こんな不親切な異世界転移は間違っている!
ころあん
第1話 不親切な転移
「……はい?」
橘 和斗(タチバナ カズト)は、目の前に広がる未知の森を呆然と見つめていた。
視界を埋め尽くすのは、見たこともないほど巨大でねじくれた巨木の群れだ。
さっきまで、自分は駅のホームにいたはずだった。
不快な熱気と、発車を知らせるベルの音。
それらすべてが、瞬き一つの間に消え去ってしまった。
代わりに肌を刺すのは、驚くほど澄んだ冷たい空気だ。
この状況を数秒考える。
「…………異世界転移。本当に、あるんだな……」
趣味であるライトノベルの知識が、この異常事態に即座に答えを出した。
口ではそう言ってみたものの、正直まだ実感は湧いていない。
「……いや、普通は可愛い女神様から説明を受けるとか、ステータス画面が開けるとか、チュートリアル的な手順があるだろ。不親切すぎないか、この運営」
虚空に向かってそんなボケをかましてみるが、当然ツッコミは返ってこない。
靴底が踏みしめる湿った土の感触だけが、ここが断じて現実ではないことを突きつけてくる。
(夢にしては、匂いも風もリアルすぎる。……笑えないな)
あてもなく続く緑の深淵を前に、カズトはただ一人、途方に暮れるしかなかった。
さて、どうしたものか。
とりあえず、現状を把握するために歩き出すことにした。
道があるわけでもない。生い茂る草木をかき分け、あてもなく森の奥へと足を進める。
(水とか食料とか、何もないんだよな。これ、もしかして詰んでないか?)
最初は「異世界転移」かもしれないという事実にどこか高揚していた。
だが、歩いても歩いても景色は変わらず、ただ巨大な樹木が立ち並ぶばかり。
次第に、足の裏に伝わる疲れと嫌な汗が、彼に現実を突きつけてくる。
ここはキャンプ場でもなければ、近所の公園でもない。
もし本当に異世界なら魔物みたいな危険な生物がいるかもしれない。
夜になれば気温が下がるかもしれない。
最悪、誰にも見つからずに野垂れ死ぬ……そんな最悪のシナリオが脳裏をよぎり始めた、その時だった。
――ガサッ。
背後で、茂みがかすかに揺れる音がした。
「……っ!?」
心臓が跳ね上がり、反射的に振り返る。
野生動物か、あるいはもっと凶悪な怪物か。
最悪の事態を覚悟して身構えた彼の視界に飛び込んできたのは、予想だにしない一人の少女が立っていた。
視界の端に映るのは、不気味にねじくれた巨木。
そして正面には、場違いなほど端正な顔立ちをした一人の少女。
黒髪のショートヘアを後ろで無造作に縛った彼女は、理知的だが、その瞳には凍てつくような鋭い光を宿している。
だが、見惚れる余裕なんて一秒もなかった。
彼女がこちらに向けているのは、元の世界でもよく知っている「黒い鉄の塊」――銃口だったからだ。
「……動かないで」
低く、よく通る声が、森の重苦しい空気を切り裂く。
冗談じゃない。
さっきまで駅のホームでスマホをいじっていたはずの俺が、なぜ異世界の森で美少女に命を狙われなきゃいけないんだ。
「あなた、何者? こんな魔物の多い森に一人で……自殺志願者か何か?」
問いかけに感情の機微はない。
ただ、答えを間違えれば即座に引き金が引かれる――そんな、本物の殺気が肌を刺した。
(いや、こっちが聞きたいよ! そもそもここどこだよ! て言うか銃のある世界かよ!魔法の杖とかならちょっとワクワクできたのにさ、初手からハードモードすぎないか!)
心の中で精一杯の毒づきを返すが、口から出たのは情けないほど震えた声だった。
「えっと……怪しい者じゃない、と言いたいところだけど。自分でも現状がさっぱりなんだ。気づいたらここに立っていたいうか……」
ゆっくりと、刺激しないように両手を上げる。
少女の指先は、迷いなく引き金にかけられている。
その洗練された所作は、彼女がどこか公的な騎士団などではなく、もっと暗く、実戦的な場所に身を置いていることを予感させた。
「……その服装、それにその顔立ち」
少女の瞳が、値踏みするように俺を上から下まで走る。
そして、彼女の眉がわずかに動いた。
「……あんた、まさか日本人?」
思わず身を乗り出して叫んでいた。
「えっ、あんたも、日本人なのか!? 俺は 橘 和斗(タチバナ カズト)。さっきまで東京にいたはずなんだけど……」
異世界の森で、あろうことか同じ国の人間に出会えるなんて。
最悪な運営の唯一の慈悲か、あるいは奇跡か。
だが、俺の名を聞いた瞬間、彼女の瞳に一瞬だけ、鋭い動揺が走った。
「……信じられない。私以外にも、まだいたなんて……」
彼女はふっと力を抜くと、手にしていた銃を腰にしまった。
深く、重いため息をつく。
「私は、暁 零(アカツキ レイ)。あなたと同じ『転移者』よ。こっちじゃ苗字は使ってないから、零でいいわ。」
零、と彼女は名乗った。
その視線はどこか遠く、過酷な過去をなぞるように虚空を彷徨っている。
「私は十二歳の時にここへ飛ばされたの。6年前の話ね。」
さらりと言った。だが、その六年の重みは、さっき転移してきたばかりの俺には想像も及ばない。
彼女は一歩、俺の方へ歩み寄る。
「いい、カズト。ここはあなたの知っている平和な世界じゃない。女神が気まぐれに人を呼んで、絶望を与えるクソみたいな世界よ。……一人でいれば、明日の朝には魔物の餌ね」
(あ、女神ってやっぱりいるのね。会えないからいないのかと思った。)
「私の任務はもうすぐ終わるわ。……特別に、私の隠れ家まで案内してあげる。同じ世界の出身者を、無残に死なせるのは目覚めが悪いもの」
ふっと、彼女が自嘲気味に笑った。
地獄で仏、とはまさにこのことだ。不親切な世界にもまだ救いはあったんだと、俺が安堵の息を漏らしかけた、その時。
――冷たい鉄の感触が、再び俺の眉間に押し当てられた。
「……っ!?」
腰にしまったはずの漆黒の銃が、再び彼女の手に握られていた。
先ほどまでの親近感は消え失せ、その瞳には冷徹な殺し屋の輝きが戻っている。
「……あー、でもやっぱり、ここで殺してあげた方がいいかしら? 変に希望を持つ前に、ね」
冗談めかした、どこか楽しげな口調。
けれど、俺に向けられた殺気は本物だった。銃口を突きつけた彼女の指先は、微塵も震えていない。
「この世界、本当に地獄よ?日本と違って強盗、殺人なんでもあり。汚い大人に利用されて、血にまみれて生きるのがどれだけ苦しいか……。それを思えば、今ここで楽にしてあげるのが、同郷のよしみってものじゃない?」
瞳の奥に宿る、昏い闇。
彼女の言葉は、俺を救おうとしているのか、それとも過去の自分を殺そうとしているのか。
「……おい、冗談だろ……?」
カズトは引きつった笑いを浮かべる。
どうやらこの世界は、俺が知っている世界よりもずっと「不親切」にできているらしい。
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