コーヒーを覆う影

初音 紡

第1話

 コーヒーカップから焙煎された豆の匂いが立ちのぼる。

 視線が静かに落ち、白いカップを見てしまう。

 白い陶器と中の黒いコーヒーがお互いを際立たせていた。

 同様にコーヒーから出る白い湯気が、周囲の冷たい空気を際立たせるようにも感じる。

 湯気によって視線が上がりかけるが、――逸らしてしまう。

 

 木のテーブルには暖色の光が柔らかく反射していて、微かなシミもある種の趣に感じる。

 いくつもの間接照明が並べられ、店内には雰囲気の良い統一感が感じられた。


 コーヒーマシンの駆動音が少し離れたところから聴こえる。

 音の鳴る方に目を向けると、レジにはサラリーマンや一般客など様々な人が並んでいた。

 カフェの中に小さな静寂と外界のざわめきが同居している。

 出入り口近くのレジはその境界のようだったが、静寂寄りにも感じた。

 

 窓際の席に腰掛けたまま、外の喧騒を横目に見る。

 駅構内では目的地へ向かう背中が幾重にも交わりつつも、時折立ち止まる人がぽつりぽつりと混ざっている。

 足早な靴音とは裏腹に、ここではキーボードを叩く音、本のページの擦れる音が静かに響く。

 アナウンスが電車の運行を知らせるも、今の私には関係がない。

 テーブルの上のカップから湯気が白く立ち上っている。

 

 コーヒーカップの持ち手に触れると、冷えた私の指を温める。

 手元のコーヒーを持ち上げると、黒い水面にこわばった顔が映る。

 コーヒーのかぐわしい香りが、少しだけ私を落ち着かせる。

 静かに、ゆっくりと啜ると、甘さのないしっかりとした苦みが口に広がる。

 ゴクリと飲み込むと、冷えを感じる身体に熱さが染み込んでいく。

 コーヒーカップを置くとソーサーに当たり、カランと音がなる。


 目の前にはブラックコーヒーが2つ。

 ひとつは私の手元に、もう片方は――私から少し遠く、対面に置かれている。

 うっすらとした人影が、コーヒーを一段と黒く染める。


 目の前には、――黒いローブを羽織った骸骨が座っている。

 両手を膝の上で組み、リズムを踏んだ指の関節がかすかに触れ合う。

 彼に瞳は無いが、興味が私を捉えていることがわかる。

 

 沈黙に耐え切れず、つい聞いてしまう。

 「死神もコーヒーを飲むのですか?」

 死神はカラカラと笑う。

 ――もっとも、骸骨の顔では表情なんて読み取れないが。

 「面白いことを言う!私は骸骨だぞ?飲もうとしても零れるだけさ」

 顎の隙間に骨の指を入れ、空洞であることを見せびらかす。

 見た目からも見て取れていたが、冷たい現実が見間違いの可能性を否定する。

 

 ……というか、そのコーヒーは何なんだ?

 「――ん?……ああ、私はコーヒーを飲めないからこれは君が飲むといい」

 骨の手がカップをそっと私の方に滑らせる。ソーサーの縁がテーブルに触れ、カランと小さく響く。

 骨の軽く触れる冷たい音が確かにそこにいると実感させる。

 「……ははっ、どうも……」

 元々あった手元のコーヒーを持ち上げ、ゆっくりと飲み込む。

 ゆっくりと落ち着けるように息を吐きだす。

 喉が異様に乾く。


 「君はカフェが好きかい?」

 死神から質問を投げかけられる。

 「……そうですね、好き……だと思います。……でも、最近は仕事が忙しくて、あまり行けてないですね」

 「ほう。昔はどんな目的で?」

 「……学生の頃は試験勉強とかしてましたね。たまに気分転換で本を読みに行くこともありました」

 学生時代も試験や遊び、バイトとか色々と大変だったけど、何だかんだで楽しかった気がする。

 「ずいぶん真面目なんだな」

 「いえいえ、結構遊んでいましたよ。友人と飲み歩いたりもしてました」

 「ほう!酒か!よく飲むのか?」

 「いえ、付き合いレベルです」

 死神の急な喰いつきに驚いてしまう。

 

 「お酒に興味あるのですか?」

 「そうだな、気になる。気になるなぁ……。死に近づくとしても飲んでしまう。……どんな快楽なのか興味が尽きぬ」

 死神は虚空を見つめ、思いを馳せている。


 数秒の思索の後、急に机に身を乗り出す。

 「では、どんな料理が好きだ?どんなものを飲む?コーヒーか?」

 「ちょ、ちょっと落ち着いてください!」

 勢いに圧倒されてしまう。

 「ん?……そうだな、少し興奮しすぎたようだ」

 そこまで盛り上がる話か、これ?

 「そうですね……外食が多いですね。牛丼とかが多めですね。あと、金曜日とかは飲み会が多いかな」

 飲み会はそこまで嫌いじゃない。

 でも、休みたい日もある。

 「ああ……でも、最近は飲み会も少ないですね。単純に仕事が忙しくて、やる時間がないだけですが」

 少し暗い話になってしまった。

 「えっと……最近、お仕事はお忙しいですか?」

 話題変更しようとして、そこまで変わってないことに気づく。

 「いいや?ほとんど暇さ。私はいくらでもいるからサボっても問題ない。……そもそも急ぎではないしな、気長に待つさ」

 ……いくらでもいる?

 「でも、見かけたことないですよ?」

 「見てないのではない、見ないだけさ。私はあまねく偏在している。場所に、物に、言葉に、行動に、あらゆる概念に私は映る」

 「よく……分からないです」

 「ふむ。……あれだ、八百万の神みたいなものだ。……いや、違うか?」

 思わず、ふふっと小さく笑ってしまう。


 カップを持ち上げようとして、既に空になっていることに気づく。

 死神から貰ったコーヒーを見て、続けて死神の顔を見る。

 死神は背もたれにゆったりと寄りかかり、片手で『どうぞ』と指し示す。


 軽く頭を下げ、二杯目に手をかける。


 「死神さんはいつもカフェにいるのですか?」

 「割とカフェにいることもある。気ままに、気の赴くままに過ごしている」

 「それは……素敵な過ごし方ですね」

 「なら、試してみるといい。そういえば、一時期流行ったやつがあったろう。……ソロキャンプとか良さそうではないか?」

 「ソロキャンプですか……確かに良さそうですが、暇に耐えられないかもですね。……スマホとか見ちゃいそうです」

 「それはそれで良いではないか。休みにまで完璧を求める必要はないはずだ」

 「完璧……求めてそうでしたか?」

 「私にはそう見えただけだ。違うのであれば気にすることはない」

 ――完璧を求めてるつもりはなかった。

 でも、迷いなく断言されると自分の認識を疑ってしまう。

 私は何を求めていたのだろうか?

 「そう深く考えなくてもいいだろう。休息の時くらいぼんやりと過ごそうではないか」

 「そう、ですね」

 

 ぼんやりと過ごす、か。

 最後に過ごしたのはいつだったろうか?

 学生の頃?仕事の閑散期?

 いや、違う。今は思考を手放した方がいいのかもしれない。

 目を閉じ、深く深呼吸をする。

 

 隣の席からキーボードを叩く音が聞こえてくる。

 奥のテーブルでは誰かが本をめくる音。

 窓越しには慌ただしく移動する靴の音が響く。

 いつの間にかコーヒーの湯気が消えている。

 しかし、胸の奥には確かな熱を感じる。

 

 会話は途切れてしまっているのに不思議と居心地がよかった。

 話を終えてもいいのかもしれない。

 でも……聞かずにはいられない。


 唇が乾く。

 カップを持ち上げると水面に小さな波が揺れ動き、私の顔を歪める。

 波紋ごと一気に飲み干し、空になったカップが置かれる。

 

 「私は……今日死ぬのですか?」

 「それは君次第だ。望み通りに。あるいは、望まなくとも。私の気まぐれなんて稀さ」

 「私……次第……?」

 「その通り」


 頭の中で言葉が繰り返される。

 問いを紡ごうとするも、擦れた吐息が出るのみで。

 視線は定まらず、脳の中を探し続ける。


 「⋯⋯さて、そろそろ時間だな。では、いつの日かまた会おう」

 骨だけの手を振り、別れを告げる。

 唐突な話題変換で反応が遅れる。


 ――考える間もなくイスが沈み、地面に落ちていく。


 「えっ?……待っ――っ!」

 黒い泥が私を覆い、世界から光と音が断絶される。

 世界が反転し、――浮上する。


 続く衝撃。

 何1つとして追いつけない。

 

 息が止まる。

 身体が固まる。

 開く眼には薄い暗闇が映る。

 立っているか、座っているかそれすら分からない。


 「っ!」

 左半身の熱さと痛みが、私をこちら側に引き戻す。

 ――どうやらイスから落ちたようだ。


 静寂なオフィスに、空のコーヒー缶がからんからんと転がる。


 瞼と身体が重い。

 頭も回らない。

 カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、と秒針だけが響き渡る。

 

 暗がりの中の時計は既に0時を超えている。


 鉛のように重い身体を捩らせる。

 黒い水滴が床を濡らすも、そこらの埃と変わらない。


 空の缶を拾い上げ、ゆっくりと立ち上がる。

 机の煩雑な資料の山を動かし、余白の部分に缶を置く。

 

 暗闇のオフィスの中、私のパソコンが唯一の光源になっている。

 PCの画面には未完成の資料が映しだされ、無言で私に催促する。


 軽くため息を吐き、少し乱れた服を直そうとネクタイに手をかける。

 一瞬、幻視がよぎり、手を止めてしまう。


 無理が祟ったか? それとも、死神が祟ったか?

 ……なんて、心の奥で呟く。


 「今度カフェに行ったらコーヒー2杯頼もうかな⋯⋯」

 

 イスに座ると軋みが連動し、疲労の波が身体を駆け巡る。

 少し身体を伸ばしたのち、画面に向き直る。

 そうして、キーボードを叩く音が響き始める。

 ――夜はまだ終わらない。

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コーヒーを覆う影 初音 紡 @hatsune_tsumugu

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