瞼の裏には君がいる

@kt24iihito

瞼の裏には君がいる

木が寒そうに靡いてる。ほぼ毎日通っている道も、ここ3日で違う国に来たかのように感じる。


10月に入って2週間ほど経った最近は空気が冷たくなり、木の揺れ方が大きくなった気がする。


聖学病院に涼太が3度目の入院をしてからまた来るようになったこの道も今では少し愛着がある道になった。




 涼太とは高校の時からの知り合いだが、正式に恋人として付き合うようになったのは大学1年の時からだ。


たまたま私がバイトしていた居酒屋に、大学の友達と飲みにきた涼太がその日に連絡をしてきて、2人で会うようになり交際に発展した。


大学を卒業してからは一緒に暮らしていたが、涼太が2年前にいきなり右目に力が入りづらくなり階段から落ちて、病院に運ばれた時から聖学病院に通うようになった。


涼太は現在、明確な治療法が発見されていない「瞼閉病けんへいびょう」と診断された。瞼閉病とは、瞼の筋肉が衰えはじめ、目が開けられなくなる所から始まって、次第に全身の筋肉に力が入らなくなり、最終的には心臓を動かす筋肉が止まってしまう病気である。現在、涼太は右目がすでに開かなくなっている。


「もう穂香の顔、左目でしか見えないよ」


寂しそうな涼太の顔を見て、少し目の上が熱くなった。


「またそんなこと言って。何か食べる?」


今の私の顔を涼太に見せたくなくて、カーテンを少し閉めにいく。


 


 先日、担当医からの話を聞いた。両目が開かなくなってから、48時間以内に体の力が全て消え、生きていられなくなる。


ただ両目が開かなくなるまでは個人差があるらしく、発症から2年間で片目しか進行が進んでないケースは初らしい。


つまり、涼太が私のことを見ることが出来なくなってから、約2日で涼太はいなくなってしまう。


涼太がまだこの世界を、私と同じ景色を見ることが出来ている今、なるべく多く私を、私と同じ世界を見てもらいたかった。


しかし、涼太のことを考えるとうまく笑えない。最後に見せる顔は笑顔を多くしたいのに泣き顔ばかりになってしまう。


1番辛いのは涼太だってちゃんとわかってるはずなのに。




 11月に入ると街はすっかりクリスマスムードになった。聖学病院へ続くいつもの道も心なしか、いつになったら装飾されるのかと大人しく待っているように見える。


昨日、担当医から今年のクリスマスを一緒に過ごせるかどうかだと伝えられた。


涼太もおそらく自分の病気のことを調べ、あとどのくらいかわかっているはずだ。


それでも、病室に着くと涼太は幸せそうに笑ってくれる。


「よかった。今日も穂香の顔をしっかり見れた」


そういうと、毎回私をベットに座らせ、両手で顔を包み込みながら、まじまじと左目で私を見つめる。


5分近くこのままの時もあるが、今日は2分ほどで涼太が私の顔を包んでいた手をベットに落とした。


「最近思うんだよね。 


俺が死んだ時、映画的には穂香の世界で、一つ大きな出来事を起こすキャラクターな訳じゃない? 


恋人が死ぬっていうさ。 


でもそれを乗り越えて穂香は幸せになりました。ってストーリーだと俺すぐいなくなっちゃうと思うんだ。 


そんなやついたなぁ〜くらいでさ! 


それだと俺が嫌なんだよね。 ただのサブキャラみたいな。


だから、ヒーローになりたい。


俺死んじゃうけど。


ヒーローになりたいんだよなぁ。」


私のことを見る左目から、すごい綺麗な涙が流れていた。






 担当医の予想も虚しく11月の終わりには涼太の左目は、ほとんど開かなくなっていた。


病室の窓の外で、風が木を揺らしていた。


その揺れが、どうしようもなく寂しかった。


辛うじて、腰をかけている時の太ももあたりの範囲は見えるらしい。


私はベット腰をかけている涼太の脚の上に顔を乗せずっと涼太を見つめていた。


この瞼が閉じてしまったら……


前から覚悟はしていたことなのに今更になってどうしようもない感情が溢れ出してくる。


「この病気もひどいよな。ただでさえ人より先に死んで偉いのに、死ぬ2日前から恋人の顔さえ見ることが出来ないんだよ?」


最近少しだけ動かしづらくなったと言っていた右手で、私の頭を撫でながら震える声で言っていた。


世の中にはもっと死んだ方がいいやつなんかいっぱいいる。そう最近思うようになってから、涼太の生きたいという気持ちを感じるたびに、私の心は誰かに両手で潰されるかのような苦しみを感じた。


それでも涼太はこの世界を暖かくしていた。


必ず伝えることを忘れないありがとうや、本来生きていれば感じることのできたはずの新作の映画や音楽、小説の話。


涼太は何も悪くないのに、迷惑かけてごめんねと伝えられる優しさ。


目が見えないことを言い訳にせず、どんな言葉もしっかりと伝えてくれる。


そうだ。私は涼太のここに憧れたんだ。


涼太がいない世界を憂いても仕方ない。涼太が生きていれば伝えることをしていたであろうありがとうもごめんねも、私が伝えられるようにならなければ。


私が涼太を伝える。恋人としての仕事な気がする。




涼太の左目に映る世界は、いつも少し揺れていた。


まるで風に揺れる木のように。


私が病院へ向かう道の木々も、同じように揺れていた。


その揺れが止まったとき、冬が来た。






 12月に入って涼太は両瞼を開けることができなくなった。まだクリスマスまで20日も残っているのに。


そこからはとても早かった。口を動かす筋肉が停止し、話すこともできなくなった。肩から腕、胸から腰、太ももから足首。涼太は2日間かけて、体が動かなくなるのを体感しただろう。


 12月7日、動かなくなった涼太の体から魂が消えた。


私自身、12月に入ってからあまりにもあっという間な出来事だったので、涼太が亡くなったと聞いても何故が涙が出てこなかった。悲しくないとかではない。何故か泣けないのだ。結局、涼太とは違い、私は冷たい人間なのかもしれない。


「穂香さん。これ」


涼太が亡くなって、体が病院から運ばれる時、顔馴染みの看護師が、私に一冊のノートを渡してきた。その表紙には、上川涼太と彼の名前だけ書いてあった。


「実は上川さん、ここ1ヶ月くらい日記を書いてたの。ただ左目も開かなくなってきた頃から、私が上川さんの話を代筆してたの。僕が死んだら穂香にって言って、書いてたわ」


なんの変哲もないキャンパスノートなのに、看護師から渡された時、とても重たく感じた。




 家に帰り、お風呂に入ってから、買ってきたコンビニ弁当を食べて、涼太のノートと向き合うことにした。


 11月2日 


 今日から穂香に、僕が生きていたって伝えられるようにこのノートを残すことにします。


 現在、右目が開かなくなり、左目でのみ穂香の顔が見れる状態です。でもこの感じだと、今年中には左目も開けられなくなるような気がします。


 穂香が歩いてくる道も、イルミネーションが装飾され始めクリスマスムード満載。ごめんね。


 隣で歩いてあげられなくて。ごめん。




 11月3日


穂香の顔を今のうちに見とかなければ。


見ることができるうちに、見ておかなければ。


ただ、穂香がその見つめる顔を、これからたまに思い出すようなことがあると、僕が死んでから辛いかな?


でもね、君の大きな二重も、しっかりとした眉毛も、小さい口も、綺麗なストレートの髪も。全部瞼の裏に貼り付けておきたいんだ。


目が見えなくなった時、僕の視界はずっと穂香でいたい。


……なんか気持ち悪いこと言ってるからやめるね!笑




 11月5日


唐揚げ食べたいな。穂香は覚えてるかな。


穂香がバイトしてた居酒屋の近くのラーメン屋さんで、穂香がバイト終わるの待って、よく一緒にご飯食べたよね。あそこのラーメン屋さんは、唐揚げにマヨネーズじゃなくてタルタルソース付けてくれてさ。


すっごい美味かったな。また食べたいな。


なんてね。今度穂香食べてきてよ!感想聞かせて。




 11月8日


少しだけ左目の瞼に違和感を感じ始めた。


あぁ、いよいよか。ここからどれくらい僕が粘れるかだね。左目が開かなくなったら今度は口も動かせないんだろうな。絶望だよ。希望がない。


でも、穂香の顔を見ると幸せになれるんだよな。


それだけで生きていける。




 11月9日


 映画を見たくなった。昔から好きな映画。


人が生きるとはどういうことなのかが、なんとなくだけどわかる映画。


付き合って僕の家で映画見る時、最初にこれにした僕はセンスがなかったね。今思えば反省。恋愛系とかにすればよかった。確か途中で穂香寝てたもんね。


いつか機会があれば見てね。この映画素敵なんだけどな……




 11月13日


 たまに口が動かしづらい。本来なら左目も開かなくなってるレベルなのかもしれないが、なんとか気合いで開けているせいで、口や肩に症状が出ているのかなんて思うようになった。


毎日ベットで穂香を待っていると、特に書くことがないって気付いた。


何かを頭で思った時は書くけど、こんなつまらない人生だったのかなって思う。




 11月15日


 書くことないから、穂香が読んだときに笑えるように思い出話書くね。


穂香はバイト先に僕がたまたま来て、連絡先知ってたから連絡が来て、その後会うようになってって思ってるよね?


あれね、穂香のバイト先あそこって知ってたの。


山川って先輩いたでしょ?あの人サークルの先輩で、穂香と同じ授業取ってた僕は、どうにかして穂香と仲良くなりたいって相談したら、同じバイト先だったの。


一回挨拶して、連絡すれば自然だよって言われて。


ちょっと引いたでしょ?その時から好きだったんだよね。


山川さん今何してるんだろうね。


最後だから言っちゃった。これで秘密ないや。




 11月18日


 流石に左目が半分くらいしか開かなくなってくると、文字が書きづらい。代筆を看護師の石田さんに頼もうと思う。




 11月20日


 穂香さん。本日から石田が代筆させて戴きます。




 左目の見える範囲は三分の一になりました。腰をかけていると太ももあたりしか見えません。でも、僕はポジティブなので、穂香を膝枕できるいい口実ができました。


頭を撫でようとしても少しだけ右手動かしづらい。


相変わらずのサラサラストレートは撫でると気持ちいいもんです。




 11月24日


 後1ヶ月でクリスマスだね。プレゼントを買ってあげられなくてごめん。イルミネーションも連れてってあげられなくてごめん。


今の僕にできることなんか、何もなくてごめん。


いよいよ左目が閉じそうだから僕自身も覚悟をそろそろ決めないと。




 11月26日


 このノートは今日で最後にします。石田さんに口で伝えるのも難しくなりそうなので、最後に穂香に伝えたいことを書いてもらいます。




 ヒーローって男の子はみんな憧れるよね。


それがむしろ、好きな人のヒーローとかだったらね。


困ってる時、悲しい時、すぐ助けてくれるヒーロー。


なれなかったなぁ。


僕のせいで、穂香の自由を奪ってしまった。


穂香とこれから行くはずだった予定も奪ってしまった。


行った先で撮るはずだった写真や、お土産の思い出も奪ってしまった。


仕事もあるし、休みの日も病院来てくれてるし、疲労を与えてしまった。


穂香の笑顔を奪って、僕のせいで穂香は幸せから遠いところまで連れてきてしまった。


僕1人でよかったのに。


世界の色を最近は思い出せないよ。


タンポポの黄色はどんな黄色だったか。


よく行く映画館のシートの色は何色だったか。


よく行ってたスーパーのポイントカードの色は?


公園のシーソーの色は?


一緒に住んでいた家の穂香のスリッパの色は?


何も覚えてないもんなんだよね。


穂香のお気に入りのコートの色はベージュ。少しだけ首が高くて袖にボタンが二つ付いてる。


穂香のお気に入りのリップは少しピンクを混ぜたような赤。髪の毛は少し赤っぽい茶色。お気に入りの下着の色は薄い水色。


色と合わせて思い出があると全て思い出せる。


不思議と視覚に頼らないと、音がよく聞こえるんだ。


やっぱり穂香の声は落ち着く。何よりも聞いてて心地いい。


瞼を閉じてるといつも穂香がいるんだ。その穂香が話している。


結局、全ては穂香なんだ。いざ瞼を閉じてみると。


仮に雪が降っても、雹が降っても。瞼の裏にいる穂香に伝えるんだ。


体も動かないし、言葉も話せない。後何日かしたらそうなって結局死んじゃうんだ。


でもね、ずっと君がいる。僕には君がいる。


だからそこまで怖いと思ってないんだ。


だから僕が死んだら君は僕から離れるんだ。


君は幸せにならなければならない。だからずっと空の上なのか、穂香を不幸にしたから地面の下なのかわからないけど君を見守ってる。穂香の幸せを一生祈ってる。


僕はもう一生分の幸せをもらったよ。


瞼の裏に君がいるから。




ありがとう。




 涙が止まらなかった。病院では全く出なかった涙が止めどなく溢れた。


全身全霊でありがとうと伝えるために涙を流した。


私の心の中で一緒になんて曖昧なものじゃない。


瞼を閉じるといつでもあなたの顔が思い出せる。


一緒に生きていこう。






 ヒーローは別に助けるだけのものじゃないと思う。


どんな人にもありがとう。ごめんね。しっかり伝えられる人。それが相手にとって少しでも幸せな気持ちにさせられるのであれば、それはヒーローだと思う。




「稲村さん、大丈夫?」




転職先の上司が声をかけてくれた。


「はい、大丈夫です」


「君がいると、みんな自然とコミュニケーション取るんだよ。なぜかね」




涼太が教えてくれたことが、私の生きる道標になっている。




仕事帰り、ふと足がラーメン屋に向いた。




涼太が「また食べたい」と言っていた唐揚げに、タルタルをつけて食べた。


その味は、思っていたよりずっと優しかった。




少しだけ瞼を閉じる。


そこには、いつものように涼太がいた。




——


瞼の裏には君がいる。


私は今日も、その世界で生きている。

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