ダットサンの幻影

こふい

第1話

 この冬、久しぶりに泊まりがけで実家に帰ってきた。

 昨夜、父も母も寝入ったあと、残った正月の料理などを肴にひとりでこたつに入り、深夜番組などを見ながら夜中遅くまでビールや日本酒を飲んだ。

 それにもかかわらず、今朝はやけに早くに目が覚めた。

 母親は色々と世話を焼いてくるけれど、久しぶりの実家はやはり落ち着かない。

 ぼくの住むべきところは、もうこことは別のところにあるということなのだろう。


 冬の早朝の空気はなんだかピンと張り詰めているように感じる。なんとなくやる方なくて、ぼくは近所の神社まで歩いて行くことにした。

 その神社はいわゆるこの地域の氏神様で、小さい頃からの遊び場でもあり、夏祭りなどでは青いはっぴを着てこの神社まで神輿を担いできたものだった。神輿を下ろしたあとに配られる缶ジュースを飲むのが楽しみだった。


 長い坂道を、見慣れた山に向かって登っていく。山の入り口にその神社はあった。長く急な石段を頂きまで上がりきったところから振り返ると、そこにはぼくが生まれ育った小さな町が広がり、町を通り越してさらに遠くの景色までをも望むことができた。

 町の景色は時のうつろいとともに変化していくけれど、この見下ろした時の感覚は、昔とまるで同じ感覚のように思えた。なんというか、高揚感と鎮静感が入り混じったような感覚だ。神社という静謐な空間がそうさせるのだろうか。

 かすかに息が弾む。その息が白い蒸気となって空へと散っていく。

 なんだか子供の頃の自分と現在の自分とが、今ここで同時に重なって存在しているような、そんな気がした。

 神主一家がひっそりと住んで守っているような、ほんの小さな神社だったけれど、ここに来るとこの場所が自分にとってとても大切な場所であったことを思い出すのだ。

 長いことお参りに来なかったことに、ぼくは心のなかで詫びを入れながら賽銭を入れ、手を合わせる。

 神社のひんやりとした空間に入ると、なぜだか背筋が伸び、それと同時に心が落ち着いてくる思いがする。

 まだ正月が過ぎて間もない時期なので、このあたりの子どもたちが書いた書き初めが境内に掲示されていた。いつの間にか、白い袴を身につけた人がほうきで参道を掃き清めており、ぼくはその人に軽く一礼をしてから石段を下りていった。

 神社を出ると、旧家が並ぶ少し古い町並みが続く。ここは、昔とまるで変わっていないように思われ、不思議な感覚を覚えるほどだった。

 そんな懐かしい町並みを歩いていると、今どき珍しいくらいに古い車とすれ違ったのである。それは、何十年も前のダットサンという車だった。少し汚れのついたその白い車は、大きなエンジン音とともに速度を落とし、朝陽を反射しながらゆっくりとぼくのすぐ横を通り過ぎていった。


 ぼくがまだ幼い頃、父はそのダットサンに乗っていた。前から見ると乗用車で、後ろはトラックの荷台になっている、かっこよく言えばピックアップトラックのような車だ。

 その頃父は石油屋として独立したばかりで、ダットサンの荷台に金属製の石油の一斗缶をいくつも載せて得意先に配達に走り回ってたのを覚えている。

 父の白いダットサンのことを思うと、まるでその記憶と繋がっているかのように、ぼくの胸には父の晴れ晴れとした笑顔が浮かんでくるのだ。

 ぼくは、子供心にその車が気に入っていたし、ダットサンに乗る父の姿も好きだった。その車を運転する思い出の中の父は、いつも弾けるような笑顔をしており、まるで笑い声までもがありありと浮かんで来るようだった。

 父にとって、あの時代はまさに順風満帆の時だったのかもしれない。

 そういえば、いつか父の生まれ育った故郷に行き、父と一緒にゴルフをしたいな、などと話していたのに、いつの間にか時間がたち、父は年老いて、もう今となっては叶わないことになってしまった。思えば、やり残したことが他にもいっぱいあるような気がする。


 振り返ると、もうすでにダットサンは走り去って見えなくなっていた。もしかしたら、運転していたのは若かりし頃の父だったのかもしれない。父が、大人になったぼくの姿を見るために、過去からこっそりやってきてくれたのだろうか。

 懐かしい景色の中で、ぼくは半ば本気でそう思ったのだ。


 最近では父は耳が随分と遠くなってきていた。話しかけてもなかなか通じないため、もうぼくの方から話をすることはほとんどと言っていいほどなくなっていたのだ。


 町並みには朝陽が斜めに射し込み、冬の空気はキラキラと輝いているようだった。


 帰ったら父と話をしてみようか。


 目を細め、ダットサンが通り過ぎていった光の先を見やりながら、ぼくはそう思っていた。

 

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