最期の晩餐

@mai_sora422

最期の晩餐

 「失礼します。」

私が部屋に入ると、彼は既にテーブルについていた。

「来てくださってありがとうございます。」

彼は軽く頭を下げる。その表情は、これから死にゆく人間のそれとは思えないほどにおだやかだ。

私は彼の正面に腰掛け、まっすぐに正面を見つめた。


「いきなりこんなことを聞いてしまって申し訳ないのですが。」

呼吸音が聞こえそうな静寂を切り裂いて、私は口を開いた。


「宮原浩二さん……。大量殺人犯であるあなたの最後の晩餐に、なぜ私が呼ばれたのでしょうか。」


***

 「村田、お前と話したがっている囚人がいる。」

所長からそう言われたのは、昨日のことだった。


 私は、日本のとある刑務所に勤める刑務官だ。もうここで働いて10年ほどになる。この刑務所には主に、大罪を犯して重い刑罰を下された者たちがやってくる。結果として私はこの10年で多くの重罪人たちと接してきたが、当然仕事としての最低限の関わり以外は一切なんの関係も持っていない。私と話したがっている死刑囚なんて、そんな存在が本当にいるものだろうか。我が耳を疑う。


「私と話したがっている死刑囚? 誰ですか。」

所長に聞き返した。


「宮原浩二だ。」

所長の言葉に、俺はまた耳を疑った。


「宮原……!? あの大量殺人犯の宮原ですか?」

宮原浩二。今ここに収容されている囚人の中では最も重い罪を犯した男といって差し支えない。元々は警察官として働いていたが、突如としてとある宗教団体の集会を襲撃。銃とナイフを使って13人の信者を殺害した。

下された判決は当然死刑。そして、明後日に執行を控えている。

しかし私は他の囚人と同様、宮原とも何か特別関わりを持っていたわけではない。指名される謂れはない。


「宮原の執行は明後日だろう? この刑務所に慣習に従って奴も明日の夜に『最後の晩餐』を迎えるわけだが、そこに同席してほしいとのことだ。」

『最後の晩餐』とは、死刑が執行される囚人が、前日の夜に自分の食べたいものを好きに食べられるという、この刑務所の慣習である。もちろん度を超えた量や価格のものは許容されないが、最後の晩餐を迎えた囚人たちは、思い思いの料理を指定し、人生最後の食事をかみしめている。

……そんな機会に私の同席を求めるなんて、なんのつもりなのだろうか。

一抹の不安、しかしそれ以上の好奇心に駆られ、私はこの申し出を承諾した。


***


 「宮原浩二さん……。大量殺人犯であるあなたの最後の晩餐に、なぜ私が呼ばれたのでしょうか。」


私の言葉を聞いた彼は、しばらく考え込んでから口を開いた。

「うーん、どうしてでしょうね。何かあなたのことを知っているわけではないんですが、なんとなくあなたは、他の看守の方とは違う目で私たちのことを見ていた気がしましたので。最後の晩餐のときは、看守の誰かと話したいと思っていたのですが、あなたの顔が最初に浮かびました。」


彼は静かにそう語った。まっすぐに私を見つめるその瞳は、13人の命を奪い、これから死刑になる人間のものとは思えないほど透き通っていた。


「違う目で……ですか。そんなつもりはありませんが、別に構いません。これも、仕事の一環といえますから。」

私は淡々と、そう答えた。


「ありがとうございます。せっかくの料理が冷える前に、いただきましょうか。」

卓上には既に料理が並べられていた。


「ハンバーグ、ですか。いいですね。」

宮原が最後に指定した料理はハンバーグ。加えてみそ汁と白米が並んでいる。


 私たちは、静かに乾杯した。椅子とテーブルの他に何もない殺風景な部屋に、私たちの乾杯の音が響いた。


 水を飲み、静かにコップを置いた宮原が、再び口を開く。

「ハンバーグはですね、妻の得意料理だったんですよ。私が大きな仕事を終えた後や何かの節目の時、妻はいつもハンバーグを作ってくれました。」

そう話すと、彼はハンバーグを口にした。


「奥さんは、料理研究家として少し名の知れた方だったと、聞いています。」

私もハンバーグを一口食べた。


「ええ。——おいしいですね。このハンバーグは。妻の作るものに似た味がします。おそらく、妻が公開していたレシピをもとに作っていただいたものではないでしょうかね。」

宮原は優しい笑みを浮かべる。確かに、よくできたハンバーグだ。

「この味を口すると、妻と過ごした日々を思い出します……いやぁ、楽しかったなぁ。」


「……。」

俺が黙っていると、宮原は静かな口調で話す。


「村田さん、私の妻のことを……知っていますか?」


「……宮原さんの奥さんは、亡くなられたんですよね。宮原さんが事件を起こされる少し前に。」

少し表情の強張った宮原に、私はそう答えた。


「ええ。自殺でした。」


部屋の空気が重くなる。宮原の目は、私を真っすぐに見つめている。


「そのようですね。そして話によると、あなたが襲った宗教団体が関わっていたとか。」


「そうですね。彼らは、妻を洗脳し、多額の金銭を教団に納めさせていました。そして、挙句の果てには……。」

宮原の表情が、さらに険しくなる。


「彼女を騙し、犯罪まがいの行為に手を染めさせ、首の回らなくなった彼女を――慰み者にしていました。」


 私は、黙るしかなかった。重い沈黙が、室内に張り詰める。


 宮原はもう一口、ハンバーグを口に運ぶ。咀嚼音が、響く。


「あなたが集会を襲い、多くの信者を殺害したのは、それが理由というわけですね?」

私が口を開く。


「はい。妻を殺したのは彼らです。しかし、どこに相談しても、その事実が報道され、世間に広まることはありませんでした。」


彼は、静かな口調で続ける。

「私は、私は何も気づきませんでした。当時は仕事がとても忙しく、家庭に割ける時間はとても少なかったのです。妻は、私にすべてを隠していました。正義の警察官の伴侶が、怪しい宗教団体に使われ、犯罪斡旋のようなものを受けていたと、打ち明けられなかったのでしょう。」


私も、ハンバーグを咀嚼する。


「後悔した時には全てが遅かったのです。私は警察官として、正義の旗印の下、多くの人を救ってきました。しかし、最も近くにいた、最も守りたかった妻を守ることができなかった。部屋で1人首を吊っていた彼女の姿を見たとき、私は、私は――」



ハンバーグを咀嚼する口は、気づけば動きを止めていた。部屋を再び、静寂が包む。


「私は警察にこのことを話しました。証拠品だってあった。しかし、教団の悪行が明るみに出ることはありませんでした。なぜだかわかりますか?」

宮原が私に問う。その声には、最初に比べ少し怒気がこもっているように思えた。


「例の宗教団体は、政府高官と密接な関係にあったからでしょう。教団の強力なバックアップは、現政権の大きな武器の1つですから。」

私は、静かにそう答えた。


「そうです。だから警察はこの事実を隠蔽しました。……まったく、驚きました。私は自分たちを、正義の組織だと信じていた。その誇りを胸に、これまで職務に邁進してきたんです。しかし、自分が被害者側になった途端に思い知らされた。私たちが掲げる正義の都合の良さにね。そして私は、警察官の職を辞めました。」

彼の声に込められた怒りの矛先は、きっと自分にも向かっているのだろう、とも思った。


私は、味噌汁をすする。



「村田さん……。私は、どこから間違っていたでしょうか。」

宮原が静かに口を開く。


「法は私を、悪だと言いました。確かに私は犯罪者です。しかし、私が動かなければ、誰が妻の無念を晴らせたっていうんだ。誰が奴らの悪事を暴けたっていうんだ。もっと、時間をかけて慎重にやればよかったのか、それじゃあ私も彼らに手にかかるのではないか、証拠をもみ消されていたのではないか。そもそも、そんなに待つ心の余裕はなかったですよ。できるはずない、そんなことは。」

宮原の口調は、完全に怒りに変わっていた。


「……現在の法治国家では、あなたは悪です。」


「そうですね、しかし奴らは悪ではなかったのか? 法は奴らを裁かなかった。しかし妻は奴らのせいで命を絶ったんだ。これが悪でなかったらなんだというんでしょうか。他にもきっといますよ。裁かれざる悪たちがね。私は法の代わりに彼らに罰を下したんだ。」

宮原の口から出る言葉はどんどん速く、強くなっていく。


「……社会が認める悪は、ルールによって決められています。その網目から漏れたものは悪ではない、そういうことになっています。」

私は、静かに答えた。


「そんな……そんな社会は……間違っている。私の幸せは、妻の幸せは、理不尽に奪われたというのに……。」



「宮原さん、あなたが殺した信者の方たちにも、家族がいました。みんな、あなたを恨んでいました。私たちの人生をめちゃくちゃにした、幸せを奪った、と。」



「……。」



宮原は黙る。静寂。



しばらくして、彼は口を開いた。

「私の正義も、誰かにとっては悪であったと。では正義とはなんと、傲慢な概念なんでしょうかね。考えてみれば当然です。私が尊重できる人間の数には限りがある。当然、命の価値も等価じゃありません。ニュースでどこかの誰かが殺害されたニュースを見ても、私が義憤に駆られて行動を起こすことはないですから。私にとっては、教団の信者13人の命より、妻1人の命の方が、圧倒的に、絶対的に重かった、比べ物にならなかったんです。私たち家族の幸せは、その他大勢の家庭の幸せの総和より断然大切です。誰しもそのはずだし、私もそうだった。そして、それに従っただけのことです。」

彼の言葉は静かで、重かった。


「あなたの事件の対象になった教団は、陰で日本に大きな影響を与えています。現政権の政策は、世間から大変称賛されていますし、事実多くの人の生活を潤わせていると思いまし、多くの人の感謝を集めているかもしれません。もし彼らの悪行が世に知れ渡っていれば、多くの人の生活に悪影響があったかもしれません。」

私も静かにそう言った。


「そうですか。奴らはこんな悪魔の所業を成しているのに、世間的には生活を潤わせる救世主なのですね。多くの国民に還元されているその金は、妻のような被害者から毟られた金ですよ。認められない。今日も教団の幹部たちは多くの人を助ける善人だとでも思っているんでしょうか。自分たちが成す偽の善行と悪行の間で、一体何を考えているんでしょうかね。」

彼の言葉には再び怒気が籠り始めた。


私は、冷静な口調を崩さずに答える。

「……きっと、あの団体だけではないでしょうね。身近にもそんなケースはいくらでもあるはずです。多くの人に迷惑をかけるヤンキーが、身近な家族や恋人、友人には優しく振舞うように、人間は善も悪も内包しています。矛盾しているようですが、そのどちらも偽りではなく、その人の一部だと思います。きっと、組織も同じでしょう。ある対象にとっての善の顔と、別の対象に対する悪の顔を併せ持って、総和をゼロ、あるいはプラスにすることで社会に貢献しているのだと、私は思います。仕方のないことです。人も組織も、矛盾だらけです。」


「……なんて歪な社会なんだ。それじゃあ私や妻のような存在は消えない。私の怒りは、妻の無念は、一体どこに向けるのが正解だっていうんだ。社会が私たちの犠牲を許容するのなら、そんな社会に敵意を向けるのは当然じゃないんですか。」

怒気だけではない。悔しさ、虚しさ、多くの感情が入り混じった声が、静かな部屋に響いた。




「……料理が冷えてしまいますね。いただきましょうか。」


宮原はそう言うと、白米を口に運ぶ。私も、そうした。


私たちは、静かに食事をした。ハンバーグは、美味かった。


しばらく食事をした後、宮原は口を開いた。

「わかっているんですよ。私がどうしようもない悪党だってことは。しかし、私にはどうすればいいのかわからなかった。警察官として日々犯罪者を取り締まっていた私には、絶対的な善と絶対的な悪しか見えていなかった。そうであってほしかった。社会の本質は健全なものであり、私たちの行いは、社会をより正しい方向へ導いているんだって。結局は互いの正しさの押し付け合いであり、なるべく客観性の高い正義を選び取っていただけなのかもしれませんね。その陰で正義に殺された人たちも、もしかしたらたくさんいたのかもしれません。」


「……宮原さん、私の知人にですね、車いす工場を運営している方がいます。その工場で作られた物品は、介護の現場で使われ、多くの苦しむ人を助けています。しかし、後にわかったことのようですが、その工場の立ち上げの際の出資金は、金融業者が投資能力のない老人たちに無理やり商談を持ち掛けることで得た……、いや、毟り取った金が元になっていたそうです。」


「……。」


「警察官としてのあなたの努力は、正しかったと思いますよ。多くの人を救っていたと思います。結果として誰かを害していたかは、わかりません。しかし誰だってそうです。自分は善良な人間だと思うためには、目を背けなければいけない事実はたくさんある。そのために、時に人は視野を狭めます。自分が日々の中で切り捨てたものを無視しなければ、正気を保てないんですよ、誰しもが。あなただけじゃない。あなたはただ、目を向けてしまっただけです。」


「……生きるとは、残酷なことですね。生きているだけで誰かを害しているというわけでしょうか。」


「どうでしょう。きっと多くの人はそうなんじゃないでしょうか。気づいていないだけで。少なくとも、人間でない多くの命を奪って生きながらえてはいますね。」


そう言って、私はハンバーグを口にした。


彼も黙ってハンバーグを口にした。


私は続ける。

「この社会は、悪を許容しています。多くの被害者たちを見殺しにしています。最大多数の利益のために。あるいは、人間の不完全性のせいでもあるでしょう。人間は善悪の両方を内包していますから、簡単に悪の側面が顔をのぞかせます。それを悔い改めて、ようやく一人前になる、なんてことはよくありますから、悪人のレッテルを貼るのではなく、許す。そういった事例はあります。未成年が絡む事件なんかでよくみられるんじゃないですかね。」


宮原はまっすぐに俺の顔を見ていた。


「成功者と言われる人たちの話を聞いていても思います。社会は、利益を生み出せる人格破綻者と持ちつ持たれつです。社会はその懐をもって悪を受け入れています。全体の利益のために。私たちは悪と共存しているんですよ。その懐に入れるかどうかの如何を、法という網で選別しています。……何が言いたいかというとですね、あなたが明日死刑台に立ち、教団の人間たちが娑婆の空気を吸うのは、あなたが悪で、彼らが善だからではなく、また、あなたの方が巨悪で、彼らの方が小さい悪だから、というわけでもなく、ただの網目への適合なんじゃないかということです。」


宮原は私の話を黙って聞いていた。


私は、ハンバーグの最後の一口を、ほおばった。



「……あの世に行ったら、妻に会えるかもしれませんね。いや、私は地獄行きだろうし、だめかもな。」

彼は静かに、優しく、物悲しく、そう言った。


「……どうでしょう。あの世のルールの網目には、引っ掛からないかもしれませんよ。」

そう答え、味噌汁をすする。


宮原は静かに、ハンバーグの最後の一切れを口に運ぶ。


ゆっくりと、今までの自分を思い返すようにそれを噛みしめ――――涙とともに、ゆっくりと飲み込んだ。





「宮原、そろそろ牢屋に戻る時間だが、問題ないか。」

看守が部屋に入り、そう告げた。


「ええ、問題ありません。」

そう言うと、宮原はゆっくりと席を立った。


「村田さん、お付き合いくださり、本当にありがとうございました。最後にあなたと話せてよかった。」


「……いえ、これも職務の一環ですから。」


宮原は部屋を出ようとする直前、再び口を開いた。


「……村田さん。」


「はい。」



「私は、間違っていなかったでしょうか。」




「……それは、誰にもわかりません。」


***


 翌日、宮原の死刑は執行された。


 そして、どこかのインターネットメディアが、例の教団の悪事を明るみにした。証拠の映像や音声もあった。

教団は、おそらくこれから解散に追い込まれるだろう。そして、癒着が明らかになった政府や、関係企業は、責任問題を問われるだろう。

国民を豊かにするための多くの政策は頓挫し、経済は冷え込む可能性が高い。

だが、多くの匿名の声は、正義を唄っている。

……私個人の感情としては、多くの人間の尊厳を踏みにじり、金を、命を奪ってきた教団の凋落はスカッとするところが強かった。宮原と話したことも、影響していたのかもしれない。


 しかし同時に、これは始まりかもしれない、とも思った。

インターネットの急激な発展は、個人をメディアに変えつつある。すべての人間に、悪人に投げる石を配っている。社会組織が許容した悪も、今後は彼ら、顔のない多くの民衆たちによって、裁かれるのかもしれない。社会が悪を受け入れるための網目は、彼らによってもっと細かくなっていくだろう。

それが正しいのか、私にはわかりかねる話だ。これまで許容されるべきとされてきた『悪』に石を投げ、傷つける彼らは、果たして正義か、それともまた別の悪なのか。


 進みゆく時代の中で変わっていく善悪の定義に、私は揺れている。揺れながらも、今日も社会の網目から漏れた悪人たちを、牢屋越しに見続ける。

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