『うどん屋「しのや」のお里の日常』

橘紫綺

『盲目の女剣士の導き手』


――手が、視えるんです。


 言外に、信じてはもらえないでしょうけれど、と滲ませながら、苦笑交じりに女人が告げたのは、うどん屋『しのや』の奥の席。

 昼時も過ぎたちょっとした暇な時間故に、客の姿は一人もない。

 そんな『しのや』に招かれたのは、年の頃は二十歳前後。春らしい桜模様の着物を身に纏った、気のよさそうな穏やかな雰囲気と表情の盲目の女人。

 その目の前に座っているのは、未だ持って興奮冷めやらぬキラキラと目を輝かせた、『しのや』の看板娘のお里。

 お里が両親の代わりにお遣いに出た帰り道のことだった。

 本当に運悪く、なんだか訳の分からない破落戸たちに絡まれた。

 と言うか、悪いのは完全に向こうの方なのだが、そんな理屈が通じるようならば、破落戸などという輩は生まれない。

 お遣いの駄賃で、美味しい団子を買い込み、口に入れた瞬間を夢見てほくほく笑顔で、足取りも軽く家路に就いていたときだった。

 とある食事処の前を通ったとき、ちょうど店から出てきた破落戸の一人に横からぶつかられた。

 そう。ぶつかられたのだ!

 だが、ぶつかってきた当の本人の方が、『どこ見てんだゴラァ!』と、間髪入れずによろめいたお里を怒鳴りつけたからたまらない。

 極楽から地獄。浮かれた気分も霧散霧消。

 あまりに突然襲ってきた衝撃に、咄嗟に何が起きたのかも解らずに呆然とすれば、日の光を遮る破落戸たちに絡まれて。

『お前のせいで、俺の腕の骨が折れただろうが! どうしてくれんじゃ、ぼけえ!』

 と、凄まれれば、体は震え、歯の根も合わず、涙がにじんで言葉も出ない。

 それでも内心では、あんたらがぶつかってきたんじゃない! むしろこっちが被害者でしょ!! と、思いっきり文句を言っているが、口が裂けても言い返せない。

『治療費寄越せ』と迫られて。

『金がねエなら、他のもので払ってもらおうか』と、強引に手を掴まれ引き上げられたときだった。

 何て言いがかりだと、恐怖と怒りが溢れ出し、涙がボタボタと零れ出たときだった。

『もし。それはあまりではございませんか』

 と、声を懸けてきてくれたのが、目の前に座らせた女人。

『ああ? 誰だてめえ! 余計な首突っ込むと痛い目……見せる……ぞ』

 と、凄む声も尻すぼみになるほど、立っていた女人には脅威も迫力も欠片もなかった。

 むしろ、お淑やかで守りたくなるような雰囲気を纏っていたことで、ある意味、その筋の人には堪らない人種。

 あからさまに破落戸たちの興味がそちらに向いたことをお里も察したが、それはそれで赤の他人を巻き込んだことに血の気を引かせて慌てふためく。

『おお。おお。なんだお嬢さん。あんたがこのちんちくりんの代わりをしてくれるって言うのか?』

『それならそれで全然構わねぇがな』

『むしろ、そっちが大歓迎だ。なあ、お前ら』

『ああ。是非ともそうしてもらおうぜ。余計な正義心に突き動かされた代償がどういうものか、勉強してもらおうか』

 下卑た笑みを浮かべて退治するその先で、目を閉じたまま微笑みを浮かべた、木の杖を突いた女人は小首を傾げて告げた。

『残念ですが、あなた方にお付き合いできるほどの時間に猶予はございません。

 そもそも、そちらのお嬢さんにぶつかっていったのはそちらなのではありませんか?

 大の男たちが揃いも揃って恥ずかしいとは思いませんか?』

『おお、おお。すげえぜ、この女。この状況でも余裕ぶってやがる』

『お前、もしかして目が見えないんじゃないのか?』

『まさかだろ? それでいて突っかかって来るなんて、正気の沙汰じゃねえだろ』

『そりゃそうだ』

 と、あからさまに馬鹿にした笑い声が上がる中、

『本当に、家族にも同じように言われてしまいます』

 左手を頬に当て、嘆息混じりに同意する女人の声に、破落戸たちの笑い声もピタリと止まる。

『お前。なめてんのか?』

 一人がドスのきいた低い声で問えば、

『全くそんな余裕はありませんよ? ただ、大人しくこのまま去って頂ければ幸いだとは思っていますが』

『それをなめてるって言ってんだ』

『そうですか? ここで『お前さんの方が大丈夫だったかい? 気を付けろよ』の一言残して颯爽と去って行かれれば、この辺りの人たちの株も上がったでしょうに……どうやら大人しく去ってはいただけないようですね』

『だったら何だ! どうしようってんだ?』

『一暴れいたしましょうか?』

 言うと、女人は突いていた杖を、木剣のように青眼に構えた。

 その後に起きたことを、お里は信じられない思いで見つめていた。

 一体誰が想像できただろうか。

 明らかに両目が閉じている女人が、木の杖だけでばったばったと破落戸たちを叩きのめしていくなどと。

 初めこそ油断していた破落戸たちも、最終的には躍起になって掛かっていったが、女人はまるで視えているかのように、一太刀も浴びることなく破落戸たちを沈めていった。

 ある意味あっという間の出来事だった。

 成り行きを見守っていた野次馬たちも、固唾を呑んでいた反動で大歓声を上げ、不利を悟った破落戸たちが悪態を吐きながら、這々の体で逃げていけば、お里はすっかり女人に心を奪われていた。

 これは是が非でもお礼をしなければと、時間の都合を聞いた上で、『しのや』に連れ込んだ。

 そして、親子共々何度も頭を下げて、お駄賃で買ったお団子を振る舞ったあと、不謹慎と思いながらも、

『本当に目が見えていないようなのに、どうしてあんなに強いのか?』

 と言う問いかけに対して返ってきたのが、


『手が、視えるんです』


 と言うものだった。


   ◆◇◆◇◆


「手……と言うと、『手』ですか? この手?」

 と、女人の前で右手を挙げて見せてから、「あ、視えないんだった」と慌てて手を下ろすお里。

 その様子がまるで見えているかのように、女人はクスクスと楽しそうに笑って頷いた。

「はい。その『手』です。その手が、私に教えてくれるのです」

「何をですか?」

「剣筋――ですかね」

「剣筋――ですか」

「はい。剣筋です」

「だったら、私も見てみたいです! その剣筋が見えたら、きっと私でも悪者をバッタバッタと倒せるようになりますよね?」

「ふふふ。それはどうでしょうか」

「え? 違うんですか?」

「さあ、私にはなんとも……」

「でも、お姉さんにはできるんですよね?!」

「はい。元々家が道場でしたので、私も剣の鍛錬をさせてもらっていましたからね。親には、自分より弱い人と一緒になるつもりはないと豪語していて、このままでは嫁のもらい手がないとよく嘆かれていましたが。まさか、目が見えなくなるとは思いもしませんでしたね」

「え? 元々は見えていたんですか?!」

「はい。見えていましたよ。それこそ、剣筋も見えていましたね」

「じゃあ、その目は……」

「取られました」

「え?」

「取られたんです。怪我をしたわけでも、病でもありません」

「じゃ、じゃあ」

「あ、目はちゃんとここにありますよ?」

 青ざめたお里を安心させるように、女人は右手で瞼を上げて、濁りひとつない黒い眼球を見せた。

「お医者様の話に寄れば、光に反応はしているようですから、見えないわけではないそうなんですけれど、実際には見えていません」

「でも、あの動き……」

「はい。私も初め見えなくなったとき、愕然としました。見えないことはとても不便ですから。

 しかもそのとき、私を庇って愛犬も命を奪われてしまいましたからね」

「え?」

「可愛い子でした。

 犬を飼っている家というものはそうないので、とても珍しがられていましたけどね。その子はとても賢い子で、まるで人間のように聞き分けが良くて、気が利く子で、いつも寄り添ってくれる優しい子でした。もしもこの子が人になれば、共に生きていきたいと思うくらいに、本当に大好きでした。

 だからこそ、悔やまれて仕方がないんです。私の目と、あの子の命を奪ったものが」

 グッと籠もった憎しみに、お里は掛ける言葉もなく息を呑む。

「一体、何があったんですか?」

「聞きたいですか?」

 少しばかり、面白がる口調で問われれば、お里の答えは決まっていた。

「聞きたいです!」

「では、お教えしましょう。物の怪に、奪われたのです」

「え?」

 発せられた言葉に、さすがのお里も咄嗟には受け入れられないものがあった。

「物の怪……ですか?」

「はい。物の怪です。噂話とか、知りませんか?」

「す、すみません。ちょっと流行に疎くて……」

「いえ。知らないことに越したことはないんですよ。物の怪というものは、認識されればされるほどに強くなるものらしいので。

 ただ、私も本気にはしていなかったのです。そのときまでは」

「と言うと?」

「相談を、受けたのです」

「相談ですか?」

「ええ。ある場所を歩いていると、突如何かに襲われると。そして、襲われたものは命を奪われると」

「それって、辻斬りか何かですか? 下手人は捕まってないんですか? 全然知りませんでした。瓦版でも出回ってたの知りませんでした」

 内心で、瓦版屋の知り合いに問い詰めようと、お里が心の底に強く誓う中、女人は続けた。

「ええ。捕まっていませんでした。そして、辻斬りというわけでもないんですよ。なんと言っても、外傷がないらしいので」

「そんなこと、できるんですか?」

「解りません。ですが、目立った外傷がないのであれば、きっと毒が絡んでいるのではと思ったのです。誰かが、その場所を通る人間を毒で襲っているのかと思ったのです。多くの人が通る道ではありませんが、その道を通らねば随分と遠回りになってしまう為に、利用する人も少なくありません。ですから、護衛を兼ねて、少し付いてきて欲しいと」

「それで、その場所に行ったんですか?」

「はい。そしたら、あの子も付いてきまして。自ら首輪を銜えて持ってくるんです。いつもいつも、私を守るように付いてきてくれたんです」

 思い出したのか、とても楽しそうな顔つきになったのを見て、お里は本当にその犬のことが好きだったのだなぁと、思いを馳せる。

「その日も、当然のようにあの子は付いてきてくれました。私に首輪の紐を持たせて、私の少し前を、私の様子を伺いながら歩いていました。天気の良い日でした。木漏れ日の陰が歩道をに落ちてまだらに染めていました。風が心地よかったことも覚えています。このまま行くと何もないままに通り抜けられると思っていました。実際、行きは何事もありませんでした。

 ですが、帰りにそれは、起きました」


   ◆◇◆◇◆


「突如、あの子が立ち止まって、唸り声を上げました。

 そして、けたたましく泣き喚きだしたのです。

 あの子の視線の先には何も居ません。それでも、あの子は毛を逆立てて警戒心を剥き出しにしていました。目には見えませんが、何かが居るのだと私は察しました。恐ろしい殺気を感じたのです」

 お里は両手を握りしめて、真剣な面持ちで女人の話に頷いた。

「そのとき、私は感じました。

 視えない何かが凄まじい勢いで向かってくるのを。

 人生で初めて本気の恐怖を感じた瞬間でした。

 ぶわりと鳥肌が立ち、冷や汗が吹き出して息が止まりました。

 殆ど反射的に刀を振り抜くと同時に倒れ込みました。

 何かを斬った手応えなど何もありません。ですが、視えない何かが進行方向を変えて、再び襲いかかってくるのが解りました。

 ですが、倒れ込んだ体勢が悪く、すぐに起き上がることができませんでした。

 そのときです。あの子が私の目の前に躍り出たんです。

 そんなあの子ごと、何かは私に覆い被さるのが解りました。

 その後、私は光を奪われ、あの子は命を奪われました。

 あの子は、私の身代わりに命を取られたのです。

 私は、己の不甲斐なさを呪いました。

 少しばかり剣に覚えがあるからと驕っていたのでしょう。調子にさえ乗らなければ、私はあの子の命を奪われることも、目を奪われることもなかったのです。

 私は私を呪いました。

 そんなときです。私は夢を見ました」

「夢、ですか?」

「はい。暗がりの中、私を呼ぶ声がしたんです。

 すると、手が視えました」

「手?」

「白い成人した男性の手でした。こちらがその手に手を載せるのを待っているように、手から肘までが視えていました。

 不思議と私は恐怖を感じることはありませんでした。

 むしろ、懐かしさを覚えていたんです。

 少なくとも、そんな白い手に見覚えなんかないのに。

 私はその手を取りました。

 その瞬間、私は悟りました。その手があの子の手だと」

「え?」

「いつも私の前を行き、私を守ってくれていた存在です。

 あなたなの? と問えば、守れなくてごめん――と、答えが手を通じて返ってきました。

 私は、謝る必要はないと言いました。むしろ謝るのは自分の方だと。

 でも、あの子は言うんです。少しだけ待っていてと。必ず光を取り戻してあげるからと。

 それまでは、絶対に守ってみせるからと」

「……」

「それからです。起きていても手が視えるようになったのは。

 かつてのように、少し前で私を導いてくれる手。その手があるから、私はこれまで通り迷いなく道を進めます。目的地を言えば、あの子が連れて行ってくれるのです。

 危険な場所に近づきそうになれば、掌を向けて止まれと合図。さっきのようにおかしな輩に絡まれれば、その人数や位置を教えてくれますし、剣筋も教えてくれます。

 ですから私はそれに従うだけで、ああいう真似ができるんです」

「ふぇ……」

 用意されたお茶をコクコクと飲んで、

「と言う話をしたら、あなたは信じますか?」

 と、にこりと微笑まれ、初めてお里は気が付いた。

「え? 今の話、作り話なんですか?」

「本当だと思ったんですか?」

「違うんですか?!」

 お里は本気で信じていた。

「駄目ですよ。見ず知らずの人間の言うことを、そんなに素直に信じるのは。

 変な輩に騙されてしまいますよ」

「え、え、え? でも、え? 嘘? 嘘ぉ」

「ふふふ。可愛らしいお嬢さん。

 今まではこの話を聞いた人たちは、皆一笑に付して信じなかったのに」

「だって、お姉さんの顔が!」

「顔? ですか?」

「そう! 飼い犬のことを話すときと、その手の話をするとき、とても愛おしそうに話してたし、信じ切ってる顔してたから!」

「信じたと?」

「はい……うう。嘘だったなんて、信じられない」

「ふふふ。そんなに落ち込まないで下さい。信じてくれてありがとう」

「え?」

 その瞬間、お里は突っ伏していた体を弾かれたように起こし、慌てて自分の頭に手を乗せた。

「い、いきなりどうしました?」

 その勢いがあまりにも凄く、女人も驚き戸惑えば、お里は戸惑いも露わに左右を見渡して言った。

「え? 今、お姉さん私の頭撫でてくれました? 今なんか、大きくて温かい手に撫でられたような気がしたんですけど」

 と伝えれば、女人は見えない目を見開いて。

 その後、とてもとても嬉しそうに微笑むと、

「きっと、私の話に中てられてしまったんでしょうね」

 と、言外に「気のせいだ」と受け取れる答えだけ返し、

「では、そろそろおいとまさせて頂きますね。すっかりお団子とお茶までごちそうになってしまって」

 と、立ち上がれば。

「え? もっと居て下さっても構わないんですよ! と言うか、本当にこちらこそ危ないところをありがとうございました」

「いえいえ。残念ながら危険は至る所にありますので、お嬢さんも気を付けて下さいね。いつもいつも私が助けられるわけではありませんから」

「あ、そうですよね。

 でも、じゃあ、もう、会えないんでしょうか? できればまた、お会いしたいです」

「そうですね。私もまたお話ししたいですね」

「じゃあ、またきっと来て下さい! 私も見かけたら声を掛けますから!」

「ええ。是非そうして下さい。私には見つけられないかもしれませんから」

「はい! 絶対、声を懸けます! そのときはよろしくお願いします!」

 と、当然のようにお里が手を差し出せば、

「こちらこそ。お願いいたしますね」

 女人も当然のようにその手を握り、ひとつ会釈をすると『しのや』を静かにあとにした。


 その後ろ姿を見送って。暫くしてからお里は気が付いた。

「え? なんであの人、私の出した手の位置ちゃんと解ったんだろ?」

 何の迷いもなく真っ直ぐに、まるで視えているかのように握られて。

 もしかして、本当は見えているのかな? と思うのだった。

 だが、その手の温もりと、女人の手を包み込んだ更に上から、包み込むように握り込まれたような感覚があったことを、お里はどう解釈したら良いのかと暫く考え。

 そのことも含めて、今度合ったときにお話ししようと切り返し、夕食時の下ごしらえをするために台所へと入っていくのだった。

                                     『了』

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『うどん屋「しのや」のお里の日常』 橘紫綺 @tatibana

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