一生で一度の恋を君の隣で

星羅

第1話

 この世界には大きく分けて3つの種族がいた。


 人間の形も理性も持たない【化生けしょう

 魔力を持たない【人間】

 魔力を持ち化生に対抗する術を持つ【魔術師】


 そして、そのなかでも固有な能力を持ち、膨大な魔力を持つ者たちを【特異体質シンギュラー】と呼ばれた。


✳ ✳ ✳ ✳ ✳


 ​低く垂れ込めた灰色の雲が村を包み込んでいた。

​ 足元は数日来の雨でひどくぬかるみ、泥が靴の隙間から容赦なく入り込んでくる。


村の通りには、土壁に茅葺かやぶきといった粗末な家々が立ち並んでいる。



「出たぞ、悪魔憑きが」



 誰かが呟いた。


 その言葉が合図とでもいうようにそれまで続いていた家々の生活音、薪を割る音、女たちの噂話の声がピシャリと止んだ。

 そして、何十もの目が少女を捉える。


 顔は泥に汚れ、身に纏うのはボロ布同然の代物。長く乱れた黒髪には、その惨状にそぐわない蝶の髪飾りが一つ、異彩を放っていた。

 しかし、汚れの下に隠れた顔立ちは、もし真っ当に育てられていれば、誰もが足を止めて見惚れたであろうほどに愛らしい。


 少女はいつものように侵入してきた化生を討ち、帰路についていた。

 しかし、それに対する称賛は聞こえない。人々の視線にあるのは得体の知れない化け物を見るような嫌悪と忌避感だけだった。


 それが「悪魔憑き」の特異体質である少女への扱いだった。


 化生を退けた直後の疲弊した身体に、乾いた音が突き刺さる。



「この化け物が!」


「来るな! 穢らわしい!」



 罵声とともに浴びせられた石の一つが額を掠め、血が流れる。

 少女は怯むことなく、いつものことだと言い聞かせてただ歩を速めた。


 いくつめかの石が放たれたとき、ふと頭上から影がかかった。


 少女の内に宿る悪魔フィルだ。翼で彼女を包み込むようにして、庇ったのだ。


 夜の帳を切り裂くような月白の髪に血色を感じさせない白い肌。

 およそ、悪魔というには似つかわしくない容姿。しかし、背に生える黒い翼が彼が悪魔であることをかろうじて認識させていた。



「出てこなくても良かったのに…」



 掠れた、感情の一切を削ぎ落とした声が漏れる。



「僕は良くない」



 フィルはため息をつくと少女の一歩前に出る。

 そして、少女の顔を覆う泥を自らの手で丁寧に拭い、石が当たった拍子でずれた髪飾りの位置を直す。


 ……悪魔らしくない。


 ​心の中でそんなことを思う。


 本来、悪魔とは人の負の感情を糧にするものではなかったか。憎悪や絶望を煽り、魂を食らう存在ではなかったか。

 それなのに、目の前の少年は、少女が投げつけられた悪意をすべて自分のことのように受け止め、傷ついたような顔をして彼女の髪を整えている。



「そんな顔、しないで。……君には、似合わない」


​「どんな顔?」


​「……人間みたいな顔」



 その言葉にフィルは一瞬、目を見開かせたあと、あどけない笑みを浮かべた。


 その時、殺伐とした空気のなかに場違いなほど朗々とした声が聞こえた。



「やれやれ。最近の若者は血の気が多くていかんのう」



​ 不意に響いた声に少女とフィルは足を止め、振り返る。

 現れたのは、二人と同年代に見える一人の少年だった。しかし、その仕草一つ一つは少年というにはあまりに老成しすぎていた。


​ 亜麻色の柔らかな髪を片側に流して結び、東方の異国を思わせる、ゆったりとした仕立ての衣を纏っている。



「…誰」



​ 咄嗟にフィルが少女を背後に隠し、翼を広げ警戒を露わにする

 しかし、少女はその翼の陰から、少年をじっと見つめる。


 魔力の波動。

 しかもその魔力量は膨大で特異体質であることを表す独特な魔力の形態。



「フィル、いいよ。敵じゃないと思う」



 そう短く告げるとフィルは怪訝に思いながらも殺気が引いていく。


 この村に魔術師自体、少女一人しかいない。風貌を見る限りでもここらへんの者ではないことは明白だった。



「魔術師…でしょ」



 少女が冷めたような眼差しで問うと、「いかにも」というばかりに頷いた。



「といっても、隠居の身じゃがな」

 


 少年は持っていた扇で口元を隠し、少女とフィルを眺めた。



「おっと、名乗りもせず失礼した。……わしはシアという。不老不死の特異体質じゃ」



​ シアと名乗った少年はその幼い外見には不釣り合いな、万象を見透かすような黄金色の瞳を細めた。

 彼はフィルの翼が完全に収まったのを見届けると、一歩、また一歩と距離を詰める。少女の瞳をのぞき込み、言葉を継いだ。



「して、お主の名は?」



 一瞬、戸惑ったように言葉に詰まった。

 名。化生との戦いに明け暮れる日々のなかで呼ばれる機会などなかった。


 「役立たず」「悪魔憑き」「化け物」……。


 ただ、そう呼ばれ、扱われてきた彼女にとって個を識別する言葉など無用の長物だった。



「……ないよ」



 絞り出すような小さな声だった。



「昔はあったかもしれないけど、もう忘れた」



 自分を定義する名を持たないという告白。それを気にした風もなく言い放った。横に立つフィルの顔が苦痛に歪む。

 しかし、シアは驚く素振りもなく、「そうか」とだけ相槌を打った。


 彼は思案するように、少女の髪を彩る蝶の髪飾りに視線を留める。



「名がないのは不便よな。……では、わしが一つ、授けるとしようか」



 シアは東方の言葉を紡ぐように、その名を唇に乗せた。



「……青蝶チンディエ。そう呼ぶことにしよう」


「チン、ディエ……?」



 聞き慣れない言葉に首を傾げる。



「左様。わしの故郷で青い蝶を意味する。うむ、我ながら良い名じゃ」



 心の中で、授けられたその不慣れな音を反芻する。



「……勝手にすれば。そう呼びたいならそう呼べばいい」


「チンディエ……。うん、悪くないんじゃない」



 チンディエと名付けられた少女は吐き捨てた言葉とは裏腹に背けた顔は耳の付け根まで朱に染まっていた。

 そんな狼狽をフィルは見逃さなかった。少女に与えられた名前を自分の手柄のように微笑を湛えていた。


 シアがその様子に頷くと、服の袂に両手を突っ込み、愉快そうに笑った。



「うむ、気に入ったようで何より」



 直後、あたりに漂っていた緩慢な空気が鋭くなり、二人を真剣な面持ちで見据える。



「さて、本題に入るとしようかの。わしはな、何も遊興でこの地を訪れたわけではない。ルドベキアの使いで参った」


「ルドベキア……」



 初めて聞く名前だ。


 シアは戸惑う二人をよそに淡々と、言葉を続ける。



​「特異体質のみで構成された集団『エルドラド』。奴らの目的は、同胞の解放――。聞こえは良いが、その実態は、同胞以外の人類を根絶やしにするという狂行よ」



 視線をフィルに、そしてチンディエに移し、嘆息を漏らす。



「奴らはお主らのような個体を放っておかぬ。わしらはそれを阻止したい。お主らにそんな業を背負わせぬためにな」



 その言葉は冷めた心に温かさを持って染み渡った。


 今までかけてもらえなかった温情。


 視線を落とせば、先ほどまで体を打っていた石ころが転がっている。

 ここの村の人々は、自分を愛してくれたことなどはなかった。都合の良いように扱われ、化生を倒して帰っても生きて帰ってきたことへの安堵も感じられない。挙句には石を投げられる。


 それでも――。


 ここは彼女が物心ついてから今日まで命がけで守ってきた地だ。守る価値などないと言い聞かせても、化生が侵入すれば体が勝手に動き、その命を狩ってきた。



「私、は……」



 決断しようとやっとの思いでこぼれた声がすんでのところで止まる。


 見捨ててしまえば楽になれる。


 けれど、自分が去った後にこの村が化生に食い荒らされる光景を想像すると、すぐには頷くことはできなかった。


 隣では、フィルがその逡巡しゅんじゅんをすべて理解し、寄り添っていた。そして彼女がどんな選択をしようとも受け入れるという言葉の代わりに手をそっと握る。


 行きたい。けれど、離れられない。そんな相反する心がせめぎ合って沈黙が降り積もる。

 答えを出せず、ただ震えているとチンディエの心をシアは見透かしたように静かに微笑んだ。



「……無理に答えを出す必要はない」



 その声に弾かれたように顔を上げる。耳に残るシアの声は先ほどまでの硬さは消え、柔らかかった。



「恩讐も愛着も、一朝一夕に整理できるほど心は単純に出来ておらん。お主がこの村に何かしらの未練があるのなら納得するまで迷うがよい」



 シアはくるりと背を向け、歩き出す。



「わしはこの辺をぶらついておる。お主の人生はお主だけのものじゃ。急かすような無粋な真似はせんよ」



 遠ざかっていく背中を見えなくなるまで見送る。



「行こう。フィル」


「うん」



 いつもと同じ道のはずなのにその足取りは重い。先ほど突きつけられた選択肢を引きずるようにして再び帰路についた。

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