不可思議な行列

御戸代天真

不可思議な行列

 男が気がついた時には、その行列に並んでいた。確か酒でも買おうと、コンビニまで出かけたはずだった。

 男の目の前には、どこまでも続く灰色の背中と、左右にはコンクリートのような壁が無機質に連なり、時折地を這うような奇妙な唸り声が聞こえた。

 酒を飲みすぎたのか、寝ぼけて夢でも見ているのかと思ったが、妙な生々しさがあった。

 男は戸惑いながらも、なぜか逆らう気にもなれず、ただ黙って並ぶことにした。体の奥底に、抗うことのできない巨大な流れを感じたのだ。

 

 その行列は、まるで生き物のように不規則だった。

 ほんの少し前に進んだかと思えば、ピタリと止まって永遠にも思える時間を待たされることもあった。次の瞬間には、駆け出すようにぐんぐんと進んだりもした。唐突に前に並んでいる何かが、煙のように消え去ることもあった。幾度も繰り返すうちに、男の胸には形容しがたい不安と、諦めにも似た感覚が広がった。一体何があるのかと先頭を見上げようとするが、霞んだ視界の奥には、どこまでも続く行列の影しか見えなかった。

 

 どれほどの時間が過ぎただろう。男は、この時間があればできたであろうことを考えようとした。あれが欲しいな、これをしたかったな、と。だが不可思議なことに、まるで水中の気泡が水面から出ずに留まるかのように、具体的な思いが一つも浮かんでこない。ぼんやりと輪郭が分かるような表面を撫でるだけで、決して深部に触れられない。記憶の真に薄い膜一枚隔てているかのようだった。

 ふいに、へその辺りに妙な違和感を覚えた。痛みでも痒みでもない。奇妙な空虚感にも似た感覚だが、不思議とそこに触れると、漠然とした満足感と達成感が胸を満たした。 

 男はその後も、進んだり止まったりを幾度となく繰り返した。

 

 男が気がついた時には、目の前に真っ白な門のような物があった。その門はてっぺんが見えないほど高く、左右にはどこまでも続く黒い壁が広がっていた。

 その汚れ一つない純白の門は、あらゆる存在を無条件に受け入れるような温かさと、同時に全てを飲み込んで何もかも消し去ってしまうような、底知れない不気味さを纏っていた。

 何かが始まる気がしていた。恐怖で引き返したくても、体が見えない何かに操られているように、言うことを聞かなかった。

 男はまるで罪人が断頭台へ向かうかのような足取りで門の前まで歩き、来るべき終焉を待つかのように虚空を見上げた。 

 

「この先へと……進みたいか」

 どこからともなく、重くそして厚い直接頭蓋に響くような低い声が聞こえてきた。その声には、一切の感情が宿っていなかった。にもかかわらず、有無を言わせぬ絶対的な力が宿っていた。まるでその存在が、この世の全てを知り尽くしているかのように。

「……はい」

 なんだ、いきなりタメ口かよ。男は内心でそう毒づいたが、問いに答えるように返事をした。 

「……この先へと進みたくば、代償を払え」

 代償? 一体、何を求められているんだ。男が持っているものなど何もなかった。当然だ。気づいたら行列に並んでいたのだから。戸惑いが募る男は、苛立ちを隠さずに問い返した。

「何ですか代償って。言われなきゃ分かんないんですけど」

 不貞腐れたような男の言葉にも、声は感情を揺らすことなく答えた。

「ふむ……なるほど。最後は小さき命を救ったわけか……よかろう。貴様は、運が良かったな。さあ、代償をはらえ」

 その声は、男の魂の奥底まで見透かしているようだった。 

 しつこいな。しかも運がいいだなんて、何を根拠に言ってるんだ。そう思った男は、語気を強めてもう一度言った。

「分かったよ、払えばいいんだろ。何でも払ってやるよ」

 男は見えない声に向かい、そう叫んだ。

「……よかろう。代償をもらう。それは……貴様の前世の記憶と名だ」

「え、おい。それってどういうことだよ……」

 戸惑い、質問を重ねようとしたその瞬間――男は、まるで雷に打たれたように、全てを思い出した。同時に、これまで胸にあったはずの「自分」という輪郭が、音もなく崩れ去っていく。自分が何者であったかという記憶も、名も、全てが闇に溶けていくような感覚だった。 

 

 そうだ思い出した。俺はコンビニに出かけてレジに並んでいた時に、強盗に襲われたんだ。居合わせた子供が恐怖のあまり泣き出して、逆上した犯人が持っていた包丁で刺そうとした。たしか俺は、その子を守ろうと、咄嗟に駆け出して……。熱い痛みが腹部を貫き、意識が遠のいたあの感覚が、今、鮮明に蘇る。

 

「代わりに……貴様に授けよう。新しい生としての名……そして体をな」

 声はそこで途切れ、二度と聞こえることはなかった。

「おい、ちょっと待ってくれ。俺はあの後一体どうなったんだ。子供は? 子供は無事なのか?」

 男は何度も呼びかけたが、それ以降、見えない声から応答されることはなかった。

 そして男の目の前にある真っ白な門が、音も立てずひとりでに、ゆっくりと開いた。

 門の先は、根源的な暗闇しかなかった。男は恐怖のあまり、思わず逃げ出そうとした。だが次の瞬間、不可視の力にぐんと吸い込まれるように引きずり込まれ、門の中へと消えていった。 


 

 ここは……どこだ。男が気づいた時には、その隘路あいろの中にいた。自分の体らしき感覚はあるが、弾力のある壁のようなものに遮られ、身動きが取れない。呼吸もままならない。

 一体何だってんだよ、さっきから俺が何をしたっていうんだよ! むしゃくしゃした男が暴れると、それに負けじと反発するかのように、壁がうねるように動き出した。壁はどんどんと自分に迫ってきて、今にも圧死させるのではないかと思うほど、強く締め付けてくる。

 痛い、苦しい。ここは一体どこなんだよ。早く出してくれ! 溺れるようにもがく男の目に、微かだが光が差し込んだ。男はそれが唯一の出口だと本能的に察し、這うようにそこへ向かった。命の危機に瀕した男の執念は凄まじく、必死に手足を動かした。

 やっと思いでたどり着き、その手に光を掴んだ瞬間、目の前がまばゆい白に染まった。


  

 ここは……どこだ?

 男はここがどこか分からなかった。男の周りには、見たことないものばかりだった。

 俺は……誰だ?

 男は自分が誰なのかも、分からなくなっていた。

 

 ここは……どこだ? 俺は……だれだ? 何も分からない。うわぁー。

 

 無事に生まれてきた元気な男の子は、何も知らないこの世界へ、情動の産声をあげた。

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