サキュバスさんは摩擦式。

矢坂 楓

プロローグ 精も魔もなきゃ用がない、そういうタイプの【救世主】

 闇に包まれた聖堂に、描かれた幾何学模様。一様によろしくない顔色を浮かべた女性達。みな、あられもない格好を恥じらう素振りも見せず幾何学模様の中心をじっと凝視していた。よく見れば、彼女らには形状こそ違えど下腹部に文様が刻まれており、それに限らず全身に幾つかの入れ墨が見られるはずだ。

 そんなものを身に宿している者など、物狂いか狂信者カルティストぐらいなものだろう……一般的な世界であれば。


「来てもらうわよ、ニンゲン。来たら全部吸い上げて殺しちゃうけど、そうしないと私達もやっていけないからね……!」


 そう、ここに居並ぶのは何れも人間ではない。そして今、儀式を行っている場所もまた、「人間界」と呼称される一般的世界とは軸を異にする。端的に名付けるなら「サキュバス界」とでも言おうか。およそ知性体と呼べる者はサキュバスしかおらず、他の世界からオスの知性体を浚ってきては精力を吸い上げるだけ吸い上げて使い捨てる、を繰り返してきた、常識という概念が我々と異にする者等の、閉じた世界だ。――というのも過去の話。今ではそういった知性体をひとつ確保するだけで、大儀な魔方陣を描いて召喚するのがやっとだったのだ。


 そんな世界にあって今、一人のオスが召喚されようとしていた。彼女らにとっては貴重な存在、喚び出したら直ちに勢力を絞りきって、残り滓すら余さず『どうにかして』処分する。閉塞された世界で徐々に朽ちつつあることを認めつつ、それでも有効活用を繰り返した果てに足掻こうとしている女達の園。そんな中に放り出されるオスはさぞ不運であろう。

 幾何学模様まほうじんの中心に立つ少女が絞り出すような声とともに引き上げた腕に合わせ、その陣の中心に光が灯る。やがて徐々に輪郭を整え、姿を現す。


「よし……よし! 成功だわ! これでひとまずなんとかなるわ! 少しでも何とか……!」


 快哉を叫んだサキュバスの少女と沸き立つ周囲。当然だが、四周をサキュバスに囲まれ、彼女らの肉体から漂うフェロモンや儀式で炊かれた香は、喚び出された知性体を瞬く間に撹乱し、サキュバス達に勢力を捧げるための供物と成り果てるが常である。今までは全て『そのように』成り立っていた。だが、その中心から現れた存在は、周囲の空気もよそに首を捻り、戸惑い交じりにこう言い放った。


「えっと……あの、ここはどこでしょうか? 早く戻らないと学校に遅刻してしまうのですが……」


 サキュバス達は平然と立ち尽くす男の姿に愕然とした。今まで召喚されたオスの知性体は、もれなく召喚直後に前後不覚となり、すぐそばに居た術士に一も二もなく飛びついていたはずだ。なのにこのオスは発情するどころか、現状に対して戸惑いこそすれ錯乱する様子すら見られない。話しぶりからして、日常の延長と思っている節すらある。


「悪いけど、アンタは帰れないわよ。ここはアンタのいた世界とは別、アンタはアタシ達が全部吸い尽くしてスッカラカンの抜け殻にするまで絞り尽くしてポイするために喚ばれたんだからね」


 召喚を主導したサキュバスの女はあきれ半分、困惑半分で男に対し雑に言い放った。本来ならこんなやりとりだって必要ない。すでに全て終わっていてもおかしくはない、余計な手間だ。言ってやらねば聞かないとは察しの悪い。襲っていいのだと理解させねばならないとは、さぞや窮屈な世界のニンゲンを喚んでしまったものだと彼女は歯噛みした。


「それは困ります。僕にも生活がありますし、抜け殻にされたら死んでしまうでしょう。なにしろ僕は『そういうの』が分からないのでお役に立てませんよ?」


「馬鹿言ってんじゃないわよ! オスが性欲無いワケないでしょうが! 気取ってないでとっとと――」


  だが、男は困惑を表情に交えつつ、淡々と返した。今もなお、周囲のサキュバスなかま達が誘惑を向けているというのに、平然と欲が無いとのたまうのだ。指の一本も自分に向けてこないことから本音の気配が強い。反駁しようとした女もすでに分かっている。男からは、発情した知性体から放たれる精気の残滓がまるで感じられないのだ。否、『精気が活性化していない』という表現が正しいだろうか。


 精気とは平たく言えば生命エネルギーだ。精気を喪うということは死ぬことと同義で、感じられないほど弱いならそれは病人か死体の類いを喚んだことになる。男の減らず口からして、それはない。


「何アンタ。ソッチ系? よく見たらその堅苦しそうな黒服、毛だらけじゃない。見えてないところも傷だらけだし――うわくっさ! びっくりしてよく分かってなかったけどくっさいわねアンタ! 獣臭い!」


「『見えてないところ』ってなんですか。淫魔のヒト達は他人ヒトの服の中まで透視するんですか、この変態」


「アホみたいに獣の匂いが染みついてるアンタに言われたくないわよ! 変態! 変態!!」


 鼻をつまんで手で振り払うそぶりを繰り返すサキュバスの女と、自らの体を覆うように両腕を構えた人間の――所謂いわゆる『現代社会』から召喚されたであろう男。周囲のサキュバス達は余りの事態に困惑しきりであるが、即座に両者を引き剥がせない理由があった。


 何故なら、術士の女はこの世界でもそれなりにやんごとなきご身分の御方……の一粒種であり、男はそんな彼女が幾度かに亘って召喚して使い潰してきた末に、いよいよサキュバス社会が逼迫する段に入って、占い師のサキュバスが「次の召喚者は救世主になり得る器だ」などとはやし立てた存在だったからだ。


「ティーゼ姫様、その辺りになさいませ。お気持ちご尤もで御座いますが、『救世主様』も困惑しておいででしょう。確かに、欲も薄ければ精力も乏しく見える身なれど、このホレの見立て通りであればこの御仁、こうして喚び出しに応じるだけの器と相応の能力スキルやらを持ち合わせているやもしれませぬ。何時ぞやもありましたでしょう、あの、なんと言いましたやら……」


「《精力絶倫》、でしょう? ホレ婆。確かにあの男は異常な精力を持ってて、一人で凄い成果を挙げたわよ。けどそれも『普通のオスの範疇』から外れていたから凄い! ってだけだったでしょう? あの男の能力は元の世界にいたころからああで、こっちで分類されただけ。このくっっっさい、見るからにニンゲン同士の関係性から爪弾きにされたから動物しか相手にしてこなかったようなどうしようもなくて動物に逃げた軟弱も」


 パァン。


 術士、姫と喚ばれた女性――ティーゼは、乾いた音とともに湧き上がった頬の熱を確認し、思わず顔を押さえていた。


「無礼者! 姫様になにを」


「謝ってください。僕にではなく、僕なんかに欲情された、なんて謂れのない扱いを受けた僕の世界の動物達にです。分かりますか。動物を『そういう』目で見る人間がいることは否定しませんが、あなた方へ絆されないことの逃げ道としての異常性として引き合いに出したこと、それが既に失礼でしょう。あなた方がどれだけ困っているのかは分かりません。他の世界から引っ張り込んだ相手に発現するなにがしかに期待していたなら申し訳ない。僕が朴念仁といいたいなら大いに結構。色々やってついぞ役に立たないというなら、あなた方のやり方で僕を『どうにか』すると良いでしょう。ですが、礼儀というものがあります。生殖行動が挨拶代わりの皆さんには分からないでしょうが、非礼を働いたら謝罪するのが僕の世界の常識です。こんにちは死ねで終わるコミュニケーションで切羽詰まった環境が改善しなかったから、それこそ、いよいよもって僕みたいなものを喚んでしまった。違いますか」


 ホレと名乗っていた老いたサキュバスは、突然の暴挙に思わず声を荒げた。その声が早いか、彼の顔を掠めるように矢が飛来する。すう、と横切った赤一線が重力に従い垂れ流されるのを構わず吐き出された男の言葉に、周囲は声を失った。


 呆れていたのだ、単純に。

 異世界に喚び出され、今まさに「お前の命を繁栄のために寄越せ、できないなら無駄だった」と、要約すればそこまでの暴言を吐かれている状況なのに、自分の尊厳……ではなかった、自分の情を向ける対象への尊厳破壊に殊更に怒りを覚えたその姿は、己の立場をどこまでも弁えていないように思えた。が、暗にサキュバス達の『姫』を、そして種族全体の現状をさらりと揶揄したことは彼女らにとっても耐え難い屈辱だったであろう。この場で一番困惑を隠せていないのは、姫たるティーゼその人だったのは間違いない。正面切って頬を張られ、一息に凄まじい熱量で謝罪を迫られるなど人生何年かも分からない彼女の人生で初めてだろう。涙がこみ上げるのを否定出来る人間など、いるわけがない。


「ちっ、違」


「支配階級というのは謝罪の言葉を学ばないのですか? 僕の世界では『ごめんなさい』というのですよ。発音は分かりますか? 復唱してください。『ごめんなさい』は?」


「……………………ごめんなさい」


 姫への侮辱ともとれる男の発言に、いよいよもって周囲の殺意が燃え上がる。しゃがみ込んで相手をのぞき込み、噛んで含めるように己の口を指さしながら告げるその態度は不遜そのものにしか見えなかったが、ティーゼ姫は長い沈黙の後に、男の言葉を反芻した。それを聞き届けると、彼は満足げに頷いてから姫の目元に布を押し当てて拭ったのち、頬をその布で押さえた。


「結構です。僕も少々感情的になりすぎました。あなた方の事情は今ひとつ理解しておりませんが、この世界には俗に言う淫魔の皆さんしかおらず、先天的か後天的かを問わず男性もなく、『行く』のではなく『喚ぶ』のが精一杯……選択権がないのですね? それで僕を引き当ててご不満と。それは誠に申し訳ない」


「あ……」


「つっ、捕まえよ! この御仁が救世主様であるかどうかを別として、不敬の誹りは免れぬ! 地下牢に隔離せよ!」


 頬に当てた布に手を添え、心からの謝罪を述べた男に何か言葉を吐き出そうとした姫であったが、ホレの指示に淀みなく動き出した周囲が男をしっかりと捕まえると、そのまま引きずられていく。


「あっ、す、すいません不敬罪で死刑だけはご勘弁頂きたいのですが僕だけ姫君のお名前を拝聴して名乗っておりません! 寸暇の余裕さえ頂ければすぐに」


「うるさい! 言い訳と名前は牢の中で吐け!」


 名乗ろうとした男はしかし、ずるずると引きずられて地下牢へと連れて行かれた。一転して静寂に(主に困惑と姫への憐憫という意味で)包まれた召喚陣の周囲にあって、中心の姫は布を頬から離し、怪訝そうに表情を歪めた。周囲は「さぞや痛くて怖かったのだろう、お労しい」と思っていたが、彼女はそれどころじゃなかった。触れられた頬の腫れが嘘のように引いているのだ。それどころか、指を頬に這わせればわかる。布地を通して彼の指が触れていた箇所が、気持ち程度にきめが細かく感じられたことに。

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サキュバスさんは摩擦式。 矢坂 楓 @Ayano_Fumitsuka

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