【小説版】コント「逃げろ」
亜れみた
第1話 【小説版】コント「逃げろ」
灰色の無機質な扉の前で、クミは怒りに肩を震わせていた。ここはビルの片隅にある喫煙室。その扉の向こうに、逃げ込んだ男がいる。
「開けなさいよ」 クミが低く、威圧的な声で言い放つ。 「開いてるよ」 中から返ってきたゴウの声は、妙にのんびりとしていた。
「開かないようにしてるでしょ」
「してないよ」
押し問答に痺れを切らしたクミは、ドアノブを掴んだまま叫んだ。 「単刀直入に言うわ! 浮気してたでしょ!」 「してないよ。オレって奥手だから、女性とふたりっきりになるってことすら、もう五年はないな~」
その白々しい言い草に、クミの逆鱗が触れた。 「はー!!! たった今、他の女と一緒に居るとこ見られて、ここに逃げ込んだんでしょ!」
「逃げてないよ!」
「はー!!! 『逃げろっ』ってハッキリ言ったじゃない!」
一瞬、扉の向こうが静まり返った。 「・・・自分に言ったんでしょ!」 クミが追い打ちをかけると、ゴウは焦ったように弁明を始めた。
「違う違う、逃げてほしかったのは俺じゃない」 「じゃあ誰!」 「・・・」 沈黙。 「はあ?」 「・・・『逃げろっ! クミ後ろ!』って言いたかったんだよ。助かって良かったよ」
クミは呆れ果てて、天を仰いだ。 「はっ??? ・・・浮気された女にだけ見える貧乏神でもいた?」 当然、背後には誰もいない。 「あと喫煙所に逃げ込むな! 吸いたい人困ってんのよ!」
ゴウは観念したのか、仕方なく扉を開けた。その隙を逃さず、クミは喫煙室の中へ強引に踏み込む。 「誰もいないじゃん!」 ゴウが周囲を見渡すが、クミは冷ややかな視線を向けた。 「騙されるのが悪い。さあ、説明してもらおうじゃない」
ゴウは気まずそうに目を泳がせながら、小さな声で話し始めた。 「実は、オレ、副
業で映画監督してて、さっきの女性は俳優さん。演出の打ち合わせしてただけ」 「ゴウが映画の専門学校出てるのは知ってるけど」 「『逃げろ!』も演技指導。でも、クミの後ろにいた怪しげな男は知らないんだよな」
ゴウの表情が、急に真剣なものに変わった。 「え、怖い!」 「昨日このへんであった殺人事件の犯人に似てるんだよなあ」 その言葉に、クミの脳裏にニュースの映像が浮かぶ。 「包囲網が厳重だから、まだ近くに潜伏してるって言われてるやつだ・・・」 「もう逃げるなら、誰かを人質に取るしかないかもな」 「脅さないでよ。・・・あっ、今、ノックされなかった?」
コンコン、と背後の扉が鳴った気がした。 「やばい。ココ扉はあるけど、鍵は閉まらない設計だ」 ゴウは顔を真っ青にしてドアへ駆け寄った。中から扉を押さえつけようとするが、外からの力は予想以上に強く、激しい押し問答が始まる。
やがて、抵抗虚しくドアが勢いよく開け放たれた。 そこには架空の、しかし確かにそこに存在する「誰か」が立っていた。二人は息を呑み、その登場人物が何かを告げるのを、ただ震えながら見守る。
「やっぱり浮気してた」 混乱の極みでクミが呟いた。 「違う、演出だって」 ゴウの声が裏返る。 「今日また新たな殺人が、この街の喫煙所で!」 「ひいーーーー!」
絶叫が、狭い喫煙室の中に虚しく響き渡った。
【小説版】コント「逃げろ」 亜れみた @aremita
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます