第25話 予知の代償
地平線の彼方、ゆらゆらと立ち昇る陽炎(かげろう)の向こうに、その村はあった。
広大なロシアの平原にぽつんと取り残された、名もなき集落。
湿った土の匂いと、どこまでも続く夏草の青い香りが、戦闘室のわずかな隙間から流れ込んでくる。
だが、そののどかな景色に、俺の心臓は警鐘(サイレン)を鳴らし続けていた。
(……待て。あの形、あの配置。俺は知っている。絶対に知っているぞ)
俺は、装填手席の冷たいペリスコープに、目に跡がつくほど強くかじりついた。
視界の端で、村の教会の尖塔が、雷に打たれたように中ほどからへし折れているのが見えた。
その瞬間、現代の日本で、寝る前にぼんやりと眺めていたスマホの画面が、鮮明なカラー映像となって脳裏に蘇った。
『――一九四三年、七月八日。南部戦線の某村において、独軍装甲部隊はソ連軍の徹底した伏せ撃ちにより壊滅的な打撃を受けた』
解説者の淡々とした声が、今の俺には死神の宣告のように聞こえた。
村の入り口、不自然に生い茂った夏草の塊。
あそこには、車体を地中に深く埋め、避弾経始に優れた砲塔だけを地表に出したTー34が、獲物を待つ蜘蛛のように潜んでいるはずだ。
「曹長! 止まってください! あの村の入り口、左の草むらが危ない!!」
インターコムを通じて、俺の叫びが九〇一号車の全員の耳に突き刺さる。
「……ステファン? どうした、いきなり。敵影は見えないぞ」
ベルント曹長の困惑した声。
無理もない。光学照準器の権威であるルディの目をもってしても、そこには「揺れる草」しか映っていないのだ。
「信じてください! あそこだけ風の揺れ方が不自然なんです! あそこにソ連の戦車が埋まってますッ!!」
俺は必死に嘘を重ねた。歴史の知識だとは言えない。
だが、俺の必死すぎる形相が、あるいは防災班長として培ってきた「異変への嗅覚」のような鋭さが、曹長の迷いを断ち切らせた。
「……ルディ、ステファンの指す位置に榴弾を一発。威嚇だ、撃てッ!」
「……了解(ヤーヴォール)。榴弾装填済み、……撃つぞッ!」
――ズドォォォォン!!
四号戦車の主砲が火を噴き、車体が大きく揺れる。
放たれた七十五ミリ榴弾が、草むらに着弾し、猛烈な土煙を上げた。
直後、地を這うような鈍い爆発音が連続して響いた。
ボォォォッ!!
草むらの中から、真っ黒な重油の煙と、天を突くような紅蓮の炎が噴き上がる。
誘爆だ。隠されていたTー34の弾薬庫が、榴弾の衝撃で爆発したのだ。
「……なんてこった。本当に、土の中に埋まってやがったのか……」
ルディが、呆然とした声で呟く。
もし今の射撃がなければ、俺たちはあと数百メートル進んだところで、無防備な車体側面をゼロ距離で撃ち抜かれていただろう。
俺は戦闘室の床にへたり込み、オイルで汚れた自分の手を見つめた。
変えた。歴史を、確かに変えてやった。
本来ならここで全滅していたはずの俺たちは、今、猛烈な熱風を浴びながら、まだ生きている。
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