灰の魔女、灰色の弟子

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1. Strangers When We Meet

Strangers When We Meet ①

 呪物から滲み出るこの瘴気は、どんな些細なものであっても慣れない——

 石像の赤い目を見据えながら、ユイは静かに息を吐いた。

 胃がひっくり返るような不快感。だが、それだけだ。事前情報と違いはない。最低ランク相当の据え物。


 ユイは視線を切り、隣に立つ少女を見た。

 小柄な体躯。年若い顔立ち。

 だが腰まで伸びた灰色の髪と赤い瞳が、只者ではないことを伺わせる。


「734。いい機会よ。あなたが封印しなさい」

 少女は一瞬の間も置かずに答える。


「了解しました」

 感情の抑揚はない。それは返事というよりは、機械的な反応といった方が正しかった。


「対象確認。呪性、固定。——封印を実行します。」

 734は石像に向かって手を広げた。

 青白い光とともに、彼女の背丈ほどの魔法陣が空中に展開される。

 それは迷いなく前進し、石像をすり抜けていった。魔法陣が完全に通過した瞬間、光は霧散し、石像の目から赤い輝きが失われる。


「封印は完了しました」

 734はそう告げると、両手を下ろした。

 魔法陣の残光が消えても、彼女の表情は変わらない。


 ユイは石像から視線を外し、734を見る。


「手順も正確だったし、呪力の遮断もきれい。初めてにしては、上出来よ」

 褒め言葉だった。


 734は一瞬、瞬きをする。だがそれ以上の変化はなく、淡々と答えた。


「評価を確認しました。次回も同様に実行します」

「……うーん」

 ユイは小さく息を吐く。

 だが続く言葉が見つからない。話題を切り替えるように、石像に目を移す。


「とりあえず……持ち運ぶには重そうだし、目立ちすぎるわね」

 先ほどまで呪物だったとは思えない、簡素な作りの石像。

 のっぺりとした目と口が刻まれているだけで、改めて見れば、おぞましさは感じない。

 封印が施されたことで、呪力は感知できなくなった。とはいえ完全に消えたわけではない。人への害が生じない水準までの無力化――それが封印の意味だった。

 ゆえに、事後処理は欠かせない。


「小さくして、持ち帰っちゃおうかしら」

 734は即座に首を振った。


「以前、封印した呪物を小型化した際、ユイは協会員と諍いを起こしています」

 淡々とした報告口調だった。


「同様の処置を行った場合、再び問題が発生する可能性があります。協会の回収班を要請し、到着後に引き渡す手順が適切と判断します」

「ん~……」


 ユイは声を漏らし、腕を組んだ。


「回収班を要請すると、報酬から天引きされちゃうのよね……。協会の窓口まで直接持参した方がお得よ」

「協会の心証を損ねる方が不利ですだと考えられます。判断はユイに任せます」

 どちらが師なのか分かったものではない、とユイは苦笑する。


「……分かったわ。呼びましょう」

 ユイは懐から端末を取り出し、協会の回収班を呼び出した。

 それから小一時間ほどして、回収班の魔女たちが到着した。

 彼女たちは石像を大きな灰褐色の布に包み込み、軽々と持ち運ぶ。まるで重さを感じていないかのようだった。

 回収班の一人が報酬を支払うと言い、734に協会発行の小切手を手渡す。番号と金額が記されたカード式のそれは、端末に入力すれば即座に口座へ反映される。

 回収班が去ると、734は迷いなく小切手をユイに差し出した。ユイは目を見張る。


「封印したあなたが、もらっていいのよ」

「私はユイの命令を実行したまでです。報酬はユイが受け取るべきと考えられます」

 命令なら、報酬を受け取るのね——


 ユイはそう言いかけたが、言葉を飲み込んだ。それは、彼女の望む解決ではなかった。


「……分かったわ。私が預かっておく」

 ユイはそう言って、小切手を受け取った。弟子の保護者として金銭を管理するため——そう自分に言い聞かせながら。


「ところで734。あなたは平気だった? あの石像……」

「嘔吐感、胃の逆流といった身体的影響はありました。報告ではより深刻な症例が挙げられていましたが、瘴気への耐性がある魔女ゆえに、比較的軽度の症状で済んだと推察されます。現在、私に身体的異常は確認されていません」

「ならよかったわ。こんなタイミングでするべき話じゃないかもしれないけど、食事はどうする?」

「ユイにお任せします」

「……そう」

 そっけない返答に、ユイの心はわずかに沈む。

 その一方で、胸の奥に別の懸念が芽生える。


(……視られているわね)

 二人は郊外から街へ向かって歩いていく。

 どこからか注がれる視線を感じながら、ユイは足を止めない。

 734は相変わらず無表情で、一定の距離を保って追従していた。

 彼女がその気配に気づいているのかどうかは、分からない。


 街に近づくにつれ、人の往来は増えていった。だが人混みの中では、気配の主を特定できない。

 見渡せば、千切れ雲の浮かぶ空と、道端で寝転ぶ一匹の猫がいるだけだった。


 ユイは一軒の廃屋に目を留める。そして何気ない仕草で、734に指し示した。


「ねえ、あそこが気になるの。行ってみましょう」

「了解です」

 734は異を唱えなかった。


 二人は廃屋の裏手へ回り込む。外壁には蔦が絡まり、亀裂が走っている。放置し続ければ、いずれ崩れ落ちるだろう。


「気づいているわよ。何が目的?」

 ユイが突然何者かに向かって問いかける。734が周囲を見渡した、そのとき。

 建物の陰から、ゆっくりと一匹のペルシャ猫が姿を現した。


 先ほど道端で寝転んでいた猫だと、734は気づく。そして、その尻尾が、二つあることにも。


「人気がなさそうな場所に移動してくれて、感謝するニャ」

 猫は、確かにそう言った。

 734は喋る猫を、特に驚きもせず見ている。猫はそんな彼女の様子が気にかかったらしい。


「猫が喋った?!みたいなリアクションはとってくれないのかニャ?」

「ユイから人語を扱う動物が存在することを既に聞いていました」

「えぇ……」と言いたげな表情を猫は見せる。


「ごめんなさい。こういう子なの……」

 ユイは猫に陳謝しつつも、話題を切り替える。


「ところで、あなたの要件は?人語を喋れるところを披露したかったわけではないわよね」

「そうニャ……えーっと……ニャんだっけ?」

 ネコがそう言うと、734の視線が突き刺さった。無表情さがかえって冷たい。


「そんな目で見ないでほしいニャ……えーっと、君たちに依頼したいことがあるニャ。君たちは呪物回収の魔女ニャよね?」

「ええ、そうよ」

「君たちに探してほしい呪物があるニャ。ニャが遠い昔に封印した呪物ニャ。」

「封印したなら問題がないじゃない」

「どこに封印したか……忘れてしまったニャ」


 猫の言葉に、ユイは思わず眉間にしわを寄せる。


「えぇ……だとしても最初から協会に任せればよかったでしょ。届け出が義務よ」

「封印したのはたぶん魔女協会ニャんてものが創設されるずっと前の話ニャ……そして忘れたのも協会が生まれるずっと前ニャ……ついでに封印したことも忘れていたニャ……」

 猫はしおらしく答える。


「ふと最近思い出したのニャ……でも協会に報告したら大目玉間違いなしニャ……困っていたところにキミたちが現れたのニャ……」

 面目なさそうな猫の様子を見て、ユイは呆れながらも哀れみを覚えた。


「状況を整理します。あなたは遠い昔に呪物を封印しました。しかし、どこに封印した忘れ、さらには封印した事実さえ忘れていた。この認識で相違ありませんか」

 734の抑揚のない声が響き渡り、いたたまれない空気が壊れた。罪悪感に浸りかけていた猫は、現実に引き戻された。


「そうニャ」


「あなたは"忘れた"と言いましたが、第三者によって"忘れさせられた"可能性もあります」

 ユイは目をピクリとさせ、口を挟む。


「呪物は"使える"からね……その線は確かにあるわ」

「まさか……魔法で記憶を消されたニャ?」

「最近思い出したのは、その効果が薄れたから……そう考えることもできる。でも協会が設立されるよりも昔の話でしょ?あなたが何かしらの干渉を受けたとしても、そんな遠い昔の話……」

「ちなみに協会には黙っていてほしいニャ」

「でしょうね。とにかく依頼内容は理解したわ。でも情報が少なすぎるわ。呪物の種類とか特徴とか、他に覚えてることは?」

 猫は首を傾げ、真剣に考え始める。ユイと734は沈黙して待つ。

 やがて猫の目がぱちりと開いた。


「そういえば肝心なことを忘れていたニャ。ニャの名前はラーニャというニャ。名乗るのを忘れていたニャ」




 猫を抱きかかえながら、ユイはメニュー表に目を落とす。サンドイッチ、サラダといった軽食が主で、物足りなさが否めない。


「もっとこう……ごちそうっぽいものはない書いてないニャ?」

 腕の中の猫——ラーニャも覗き込むようにメニューを見ている。


「あいにく、そういう店ではなさそうね」

「じゃあ他の店にすればよかったニャ」

「入店拒否されたじゃない。ここしかなかったのよ」

 店内を見渡せば、犬や猫を連れた客が数組ほど。ここはペット入店可の飲食店だ。

 ユイたちが辿り着けた唯一の場所だった。


「ニャはペットじゃないニャ」

 周りを見ながらラーニャはむすっと頬を膨らませる。


「ペットじゃないならなおさらよ。野生の犬猫なんてほとんどの飲食店がお断りだわ」

「飲食店は一般的に衛生管理が義務付けられています」

「汚い人間だってたくさんいるニャ!」

 ラーニャの憤りに、ユイは思わず苦笑する。しかし、堂々と先導していた彼女が、店先で断られ続けた姿は、思い出せば哀しいものだった。


「ねえラーニャ。あなた人間のふりをすればよかったんじゃないの?」 

「……!!ニャはこの体に満足してるニャ!!」

 ラーニャの声が店内に弾ける。その叫びには放り付くような熱があった。


「……ごめんなさい。余計なことを言ったわ」

 ユイは非を悟り、陳謝する。


「……いや、こっちもムキになって済まないニャ」

 声をあげたラーニャも、自身の棘に驚くように縮こまり、ユイに頭を下げた。734はテーブルを挟みながら、1人と1匹の姿を変わらぬ表情で見守っていた。

 猫又——長い年月を生きた猫が、魔力に目覚めた姿。尻尾が2つになるのも特徴だ。

 しかしユイの知る猫又たちは、魔法で擬人化し、尻尾も猫耳も隠して、二足歩行の生活に順応していた。魔術書を読んだり、端末を扱ったり、その姿は人間そのもの——

 だからこそ、ラーニャの発言は、ユイに自らの不明を否応なく感じさせるものだった。彼女は人間の目線に寄りすぎていた。


「……ここしか許可してくれなかったから仕方ないニャ。ここで食べるしかないニャ」

 ばつが悪そうにラーニャは小声で言った。


「申し訳ないわね」

「気にしないでほしいニャ。じゃあニャはフィッシュフライサンドを注文するのニャ。忘れっぽいニャには魚が必要ニャ」

「魚に含まれるDHAは記憶力の活性化に効果があります」

 ラーニャは目を丸くし、恥ずかしそうに笑った。その尻尾はゆらゆらと静かに揺れていた。


 ☆


 ラーニャがフィッシュフライサンドを平らげたタイミングで、ユイは本題を切り出す。


「ところでラーニャ。封印した呪物について、他に覚えていることは本当にないの?据え物だったとか歩き物だったとか……」

「……申し訳ニャいけど思い出せないニャ」

 返事と同時にラーニャの耳がわずかに伏せられる。

 ユイは天井を仰ぎ、吐息をついた。どこから糸口を見つければいいのか。考えあぐねていると、734が淡々と口を開く。


「ラーニャ様は、いつその存在を思い出したのですか」

「つい最近ニャ」

「思い出した状況やきっかけを覚えていませんか。触れた物、見た光景、音、匂いなど……連想の可能性があります」

「それ。何かないの?」

 ユイは身を乗り出して訊ねる。


 「ひょっとして覚えてない?」

 ラーニャは縮こまる背筋を伸ばし、顔を上げた。


 「きっかけ……は思い出せニャい……でも何処で思い出したかは覚えているニャ。着いてきてほしいニャ」

 席を立ち、会計を済ませると、三人は店を後にした。外に出ると、やわらかな光が頬を照らした。

 歩道を通り抜ける風が木々を微かに騒めかせ、街は昼の賑わいに包まれている。

 ラーニャは2本の尻尾を揺らしながら先頭に立つと、四肢を弾ませるように駆けだした。毛が逆立った背中をユイたちは急いで追いかける。映る街並みに、少しずつ緑が増えていく。


「ここニャ。ここで散歩してたとき──急に思い出したニャ」

 視線の先には、公営の植物園が静かに佇んでいた。門の先に広がる緑陰は、昼間だというのに薄暗く、どこか湿った気配を帯びている。草花の華々しさよりも、野生に近いの自然の姿を意図した作りだ。

 息を整えながら案内図を見上げるユイに、ラーニャが言った。


「奥の方だったと思うニャ」


 3人は通路を進んだ。植物園は奥へ入るほどに緑は濃くなり、湿った土の匂いが漂う。羽虫の不快な飛行音と、ユイたちの足音が交差する。固いコンクリートの響きが、唯一この場所の人工性を物語っている


「この辺だったはずニャ……あっ……そうニャ!」

 ラーニャはぴたりと足を止め、目を大きく見開いた。そして舗装された道を外れ、草木の覆い茂る方への飛び出す。

 その先には、林床一面に広がるシダの群生。光を拒むように葉を重ね、揺らめいている。


「思い出したニャ。ニャはこれを見て、呪物のことを思いだしたのニャ……でもどうしてニャ?」

 きっかけは判明した。しかし扉が開いた理由は依然として闇の中だ。ユイはしゃがみ込み、シダの葉を指先でつまんだ。

 ギザギザとした葉の縁。その形状が、記憶の底に沈んでいた何かをひっかく。


「シダの葉……」

 呟いた言葉が空気に溶け、波紋となる。その広がりに応じるように、細い記憶の線が、ユイの脳内で結ばれた。


「タトゥー……」

 その一言は、ラーニャの朧げな記憶に、鮮明な像を浮かび上がらせる。


「あっ……思いだしたのニャ……ニャは託されたのニャ……あの人に……」

 ユイとラーニャの記憶が重なり合う一方で、734は黙って成り行きを見守っている。


「ラーニャ。あなたに呪物を託した人には、シダのタトゥーがあったのね。シダのタトゥーを身に纏う魔女……」

「そうニャ。確かにニャはシダのタトゥーを見たのニャ」


 2人に向かって、734が静かに口を開く。


「一点、疑問があります。ユイは呪物を託したのは魔女と言いました。しかし魔女ならば、わざわざ他者に封印を託す必要はありません」 

 ユイは小さく息を吸い、疑問に答える。


「それは彼女には決して封印できない呪物だったから」

 含みのある答えだったが、734はそれ以上追及しなかった。


「全ては推測でしかないけれどね……とりあえず、目的は果たしたわ。あとは宿で考えましょう」

 茂る木々の向こうでは、日が沈み始めていた。

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