最弱な私の背後(うしろ)が、どうやらラスボス級らしい ~霊感少女は今日も気絶して生き残る~

肩メロン社長

トイレの花子さんは、逃げ出したかった①

「あ、あのっ! 佐藤さん!」

 


 放課後の教室。

 私の声が、少しだけ裏返って響いた。

 帰り支度をしていた隣の席の佐藤さんが、ビクッと肩を震わせて振り返る。



「……ひ、ひまりちゃん?」

「ごめんね、急に呼び止めちゃって。あ、あのさ、もしよかったらなんだけど……」



 私はスカートのポケットの中で、ぎゅっと拳を握りしめた。

 手汗がすごい。心臓が早鐘を打っている。


 入学してから三日目。今日こそは、勇気を出して言わなきゃいけない。

『友達作りマニュアル・改訂版』の第1章に書いてあった通り、まずは軽い放課後の誘いから。



「えっと、駅前に新しいパンケーキ屋さんができたんだって。佐藤さん、甘いもの好きかなって思って……よかったら、一緒にどうかなって……」



 言い終えるか終えないかのうちに、教室の空気がズン、と重くなる。

 佐藤さんの視線が忙しなく泳ぐ。

 息が浅い。顔色が悪くなってきた。

 私の目の前に立っているだけで、彼女のHPがゴリゴリに削られているのがわかる。


 ああ……まただ。

 みんな、私と話してはくれる。挨拶も返してくれる。

 でも、もっと仲良くなりたいと思って踏み込もうとすると、みんな急にソワソワしだして嫌がるような素振りを見せる。


 私は、気がつかないうちに言葉にできない圧迫感のようなものを与えてしまっているのだろうか。



「……ごめんね。急に誘って困らせちゃったよね」



 だから、私は自分から引くことにしている。

 これ以上、彼女を困らせるわけにはいかない。



「あ、ち、違うんだよ? 行きたいんだけど、お、恐れ多いというかなんというか」

「ううん、いいんだよ。用事あるんでしょ?」

「そうなのそうなの、家のお手伝いがあって……本当は行きたかったんだけど、ごめんね!」



 佐藤さんは深々と九十度のお辞儀をした。

 そして手をひらひらさせながら逃げるように教室を出て行った。



「……はあ」



 教室に取り残される私、小日向陽こひなたひまり。十五歳。

 周りのクラスメイトたちが、遠巻きに私を見てヒソヒソと話しているのが聞こえてくる。



「……見た? 佐藤さん、小日向さんの誘いを断ったよ」

「勇気あるよねえ。私だったら小日向さんのオーラに耐えられなくて土下座しちゃうかも」

「わかる。小日向さんって、妹みたいでちんちくりんで可愛いけど、なんかこう……近づけないよね。空気が薄くなるっていうか。高嶺の花って容姿じゃないけど、そんな感じする」

「私たちじゃ、なんだか釣り合わないよね……」



 ……違うよぉ。

 私はただ、一緒にパンケーキ食べて「おいしいね」って笑い合いたいだけなのに……。


 変なイメージが定着してしまって、私は中学の時同様に孤立してしまった。



「……また、ダメだったなぁ」



 はぁ、と重たい溜息を吐いた。

 これで五連敗だ。



「私、そんなに会話がつまらないのかな……」



 それとも、朝ごはんの納豆の匂いがまだ残ってる?

 さりげなく自分の手首の匂いを嗅いでみるけれど、制服からは柔軟剤のフローラルな香りしかしない。



「うう……お母さん、私、高校デビュー失敗しちゃったかも」



 私はスクールバッグを手に取ると、逃げるように廊下へと出た。

 けど、このまままだ真っ直ぐ帰ったら負けた気がするから帰れない。

 それに、家に帰ってもどうせ一人だ。両親は共働きで帰りが遅いし、広い家の中で一人でテレビを見ているだけなのは切ない。



「そうだ。せっかくだし、校内探検でもしよう」



 この私立高校は、敷地が広いことで有名だ。

 新入生が入らないような場所に行けば、新しい発見があるかもしれない。もしかしたら、そこで運命的な出会い(迷子の猫とか)があるかもしれないし。

 私は無理やりポジティブな思考に切り替えると、人気のない渡り廊下の方へと足を向けた。



 *



 渡り廊下を抜けた先には、木造の旧校舎がひっそりと佇んでいた。

 文化財に指定されているらしく、老朽化のためは生徒の立ち入りが制限されている。



「わぁ……レトロだなぁ」



 足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。

 肌にまとわりつくような、じっとりとした湿気。

 どこかで水が滴っているような音が、耳の奥で微かに反響している。

 埃っぽいような、それでいて腐った果実のような甘い匂い。


 普通の女子高生なら「怖い」と引き返す場面かもしれない。

 でも、私はなぜか、この空気が嫌いじゃなかった。

 なんだろう。昔、田舎のおばあちゃん家の蔵に入った時のような、妙な安心感がある。



「誰もいないね」



 ギシ、ギシ、と上履きが軋む音だけが廊下に響く。

 窓ガラスは煤けていて、外の光が茶色く濁って差し込んでいた。

 壁には歴代の卒業生が描いたと思われる絵画が飾られているけれど、湿気のせいか絵の具が溶け出し、人物画の目がどれもドロドロに垂れ下がっているように見えた。



「……あ、トイレ行きたいかも」



 緊張の糸が切れたせいか、急に尿意をもよおした。

 さっき緊張してお茶を飲みすぎたせいかもしれない。

 新校舎まで戻るのは遠いし、漏らしてしまったら高校生活が終わる。

 ふと見ると、廊下の突き当たりに『女子便所』という古めかしいプレートが下がっていた。


 入り口には黄色い『立入禁止』のテープが貼られていた形跡があるけれど、なぜか真ん中からプッツリと綺麗に切られている。

 まるで、「入っておいで」と招いているみたいに。



「ちょっとだけなら、いいよね」



 私はテープの下をくぐり、薄暗いトイレへと足を踏み入れた。

 中はひんやりとしていた。

 タイル張りの床は黒ずんでいて、所々に赤錆のようなシミが浮いている。


 個室は三つ。

 手前と真ん中のドアは板が打ち付けられていたけれど、一番奥のドアだけが、半開きになっていた。


 用を足して、すぐに戻ろう。

 私は一番奥の個室に入り、鍵をかけた。

 カチャ。

 古い金属特有の、重たくて冷たい音が響く。

 ふぅ、と息をついて、スクールバッグをドアのフックに掛けようとした、その時だった。


 ――ピチャ。


 天井から、何かが落ちてきた。

 私の肩に。

 冷たくて、粘り気のある液体。



「……雨漏り?」



 手で拭ってみる。

 指先についたそれは、黒くて、酷く鉄臭かった。

 まるで、古くなった血のような。



「え?」



 ゾクリ、と背筋に冷たいものが走る。

 違う。これは雨水じゃない。

 私は慌てて個室から出ようと、鍵に手をかけた。


 開かない。

 さっきまでスムーズに動いていたスライド錠が、まるで溶接されたかのようにビクともしない。



「嘘、なんで!? 開いてよ!」



 焦燥感が喉を締め上げる。

 その時、個室の照明がジジジ……と音を立てて明滅し始めた。

 光が消えるたび、個室の空気が重くなる。

 腐った泥の底に沈められたような、圧倒的な閉塞感。

 そして――



『…………そ、……ぼ?』



 真上から、声がした。

 耳元ではない。脳みそに直接指を突っ込まれて、かき回されているような不快な声。

 恐るおそる、見上げてしまった。

 天井の隅。

 黒いカビだと思っていたシミが、ぐにゃりと歪んでいる。

 シミの真ん中から、ずぶ濡れの赤い布が垂れ下がっていた。

 いや、布じゃない。

 それは、焼け爛れた皮膚だ。



『ねえ……あそぼ? ……からだ、ちょうだい?』



 天井のシミから、人間の上半身が生えていた。

 おかっぱ頭の少女――に見えるモノ。

 けれど、その顔には目も鼻もない。あるのは、顔面の半分を占めるほどに裂けた、巨大な口だけ。

 その口から、ボタボタと黒い液体を垂れ流しながら、逆さまの状態で私を見下ろしている。



「ひっ……!」


 

 悲鳴すら出なかった。

 喉がヒューヒューと鳴るだけで、言葉にならない。

 学校の怪談? 

 トイレの花子さん?

 いや――そんな生易しいものじゃない。

 これは、明確な悪意の塊だ。



『入って……いい?』



 返事も待たず、ズルリ、と音がした。

 天井からその怪異が、重力を無視してゆっくりと降りてくる。

 無数の人間の手足が継ぎ接ぎされた腕を、カサカサと壁に這わせて。

 狭い個室。逃げ場なんてどこにもない。

 腐った肉の臭いが鼻を突き、私はその場にへたり込んだ。



「いや、無理……来ないで……!」



 涙が溢れて視界が歪む。

 誰か。誰か助けて。

 お父さん、お母さん。

 まだ、友達だって一人もできてないのに。

 こんな汚いトイレで、変な化け物に食べられて死ぬなんて、嫌だ。



『クス、怖い? ねえ、怖い?』



 耳元で、濡れた何かが囁いた。

 冷たい手が、私の首筋に触れる。

 その感触が、限界だった。


「あ……」

 

 パチン。

 私の中で、何かのスイッチが切れる音がした。



(あ、もう無理。寝よう)



 それは生物としての防衛本能だったのか、それとも現実逃避だったのか。

 私はギュッと目を固く閉じた。

 意識が急速に遠のいていく。

 恐怖がスッと消えていき、代わりに深い、深い闇が私を包み込んでいく。

 倒れ込む私の背中で。

 カーディガンの下にある痣が、高熱を帯びて脈打ち始めたのを感じながら。

 私は、気絶した。

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