履いているのに、履いていない
古木しき
履いてるのに、履いてない。
朝。校門が見えた、その瞬間だった。
――あれ?
歩いている脚の感触が、いつもと違う。
違うというか、正確には「足りない」。
私は歩きながら、ほんの一瞬だけ思考を止める。
スカート、よし。
スパッツ、履いてる。
ニーハイ、しっかりお揃いの黒を履いてる。
制服のシャツ、問題なし。
ピンクのカーディガン、いつも通り。
アホ毛、キマッてる。
――その内側。
空。
「……あっ」
声にならない声が、喉の奥で消えた。
理解した瞬間、脳内に緊急会議が招集される。
結論から言おう。
私は今日、やらかした。
「パンツ……」
たしかに今日すこし寝坊してお母さんに言われて寝ぼけながら、色々支度していたのは覚えているけれど……まさか一番大事下着を履き忘れたとは……。
露出はない。
校則違反でもない。たぶん。
法的にもセーフ。
なのに、心が完全にアウト。
なんか悪い事をしている気がしてならない。
だがこれは事故。存在の欠落。
第一思考暴走:現実逃避フェーズ
落ち着け。冷静になれ、勝負師JK・子庭こにわ陽葉子ひよこ……! 今すぐできる対処法を考えろ……!
① トイレに行って何とかする
→ 何とかって何? 魔法?
② 早退
→ 理由が説明不能
③ 保健室
→ なぜ行くのか説明不能
④いっそサボる
→怒られる
⑤わざわざ家にダッシュで戻ってパンツを履いて戻ってくる
→無理。自転車やタクシーを使っても往復で40分以上かかる
⑥ 世界線を変える
→ 無理
詰んだ。
いや、詰んではいない。
生き延びるルートはある。
「スパッツを履いている」という事実。
これは盾だ。だが盾は、中身がないことを意識した瞬間に重くなる。
私は何事もなかった顔で校門をくぐった。
第二局面:登校挨拶・疑心暗鬼フェーズ
「あ、おはよう陽葉子ちゃん」
雛ひなちーだ。
いつもの声。
いつもの距離。
「ひなちー、おっはー!」
私は完璧な笑顔を返す。
脳内では自分の下半身の構造を三次元で把握し続けている。
――雛、見てないよね?
見てるわけない。
人は他人の脚なんてそんなに見ない。
そう言い聞かせた、その瞬間。
「あ、おはよう。子庭さん」
横から声。
隣のクラスの友人の古代涼くんだ。私は一瞬、心臓を落としかけた。
「……っ!」
「?」
今の一瞬、見た?
見たよね?
いや、何を?
私は耐えきれず、聞いてしまった。
「りょ、涼くん……今……なにか……見た?」
「え?」
完全に、素で困惑した顔。
「なにが……?」
──気づいてない。
その事実に、なぜか私は猛烈に安堵した。
「あ、いや! なんでもない!」
「?」
涼くんは首を傾げたまま、廊下の向こうを見る。
「あ、私、菜乃香さんがまたどっか行きそうだから、行くね。また」
「そ、そっか! いってら!」
去っていく背中。
私はその場で、なぜか深く息を吐いた。
理由は分からない。
でも、助かった気がした。
第三局面:授業・姿勢強化フェーズ
私はその日、異様に姿勢が良かった。
椅子には浅く座る。
背筋は自然を装って直立。
無意識に脚を組みそうになり、ダメ!今はダメ! と自分を叱る。
雛が囁いてくる。
「ねえ、陽葉子ちゃん、今日なんか変、じゃない……?」
「えっ!? ど、どこが!?」
「な、なんか……落ち着きがないというか……逆にあるというか……」
まずい。
違和感を覚えられている。
「筋肉痛!」
「え?」
「人生筋肉痛!」
「…………?」
だが、追及はされなかった。
だが前から、
「おーい子庭ー」
げっ声が大きすぎて先生に気づかれた!
「人生筋肉痛ってだヨ。というか私がせっかく授業してやってんだから、ちゃんと聞いて脳も筋肉痛になれ〜」
「ごめんニッキー!」
「……気軽に呼ぶな。ニコール宮原先生様と呼べ!」
クラスは笑いに包まれた。ニッキーは「静まれ! 静まれ!」とちっちゃい体で教卓をバンバン叩いていた。
とりあえず、助かった……。
第四局面:放課後・耐久戦フェーズ
ファミレス。
深いソファ。
ここが最難関。
私は貴族のように浅く腰掛ける。
友達から見ると「品がいい人」だ。
友達の一人はポテトを食べながら一言、
「今日の陽葉子さー、なんか育ち良さそう」
「育ちは……って! なにそれ関係ある!?」
「アハハハ!」
もう! 今日は調子が狂いまくってる……!
今日の運は本当に最悪。星座占いとかも12位だったかも……。
終局前:帰り道・自白フェーズ
夕暮れの帰り道。
私は限界だった。
「……ねえ、ひなちー……」
「うんどうしたの? 陽葉子ちゃん」
立ち止まり、顔を伏せる。
「……実はさ……今日、朝、……下着……え、と……パ、パンツを履き忘れて……」
もう全部話した。
朝の違和感。一日の緊張。
世界を欺き続けたこと。
雛は、私が真っ赤になりながら、今日の経緯を喋り終えるまで、いつもの不安そうな顔をしながら、、無言だった。
「……え……」
うんうん……。、そりゃひなちーはそんな顔になるよね……。私が完全に悪かった……!
「……なんか、たしかに……今日の陽葉子ちゃん、おかしいな……って思ってたんだけど……」
顔を上げると、雛は妙に納得した顔をしていた。
「……それだったんだ……」
「うわあああん! 恥っずー……! 見られてないかとか色々今日めっちゃ寿命縮んだよ……!」
「……あ、あのね……」
雛が、言いづらそうに続ける。
「ほ、保健室にね……予備の……」
私は固まった。
「……え?」
「下着……あるって……」
沈黙。
脳内で、今日一日の緊張が音を立てて崩れ落ちた。
「……な、な、な、な」
顔が熱い。
「なんでひなちーもっと早く言ってくれなかったのおおお!!?」
「ひぅ! ご、ごめんなさいい……!! い、言われてないから……!! 私だって言われるまで今日の陽葉子ちゃん、変……? ってくらいしか……!」
夕焼けの中、私は絶叫した。
その日、私は学んだ。
人は、聞かなければ助からない。
そして、日常は、時にミステリーより過酷だ。
私は明日、絶対に確認する。
二度と、こんな寿命が縮むような心理戦はごめんだ!
その時、スマホにメッセージが届いた。ニッキー先生からだった。
『子庭、お前、パンツ履き忘れてただろ。いつもの授業のときの姿勢と明らかに違っておかしかったから分かったゾ。次から気をつけろヨ〜』
ぐはぁッ! あのチビっ子先生、ちゃんと気付いてたんだ……。
「えっ、宮原先生? なんてきたの?」
「ひなちーには内緒!!」
「ひぅ!?」
このメッセージとともにこの日は私の黒歴史の日として、強く刻まれたのであった。
完。
履いているのに、履いていない 古木しき @furukishiki
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