(百合×イングランド)妖精の囁き、霧の中の百合
南條 綾
(百合×イングランド)妖精の囁き、霧の中の百合
雨が細かく降り続くロンドンの街路を、私は傘もささずに歩いていた。タワーブリッジの影が、テームズ川の水面にぼんやりと映る夕暮れ時。コートの下でノートを抱え、足元に飛び散る水しぶきを気にしながら、今日の取材を振り返る。
妖精の伝説が残る古いパブで、地元のおじいさんから聞いた話。グリーンマンや、現代の魔術師たちが集う隠れ家的なサークルについて。すべて、私の小説の糧になるはずだ。
日本からここへ来たのは、半年ほど前。都会の喧騒を離れ、この霧の街でファンタジーを書きたかった。
妖精の森を思わせるハイドパークの木々や、ビッグベンの鐘が響く中世のような雰囲気。現代の魔術師を主人公にした物語を書くためにぴったりだと思ったから。
現実はそんなに甘くなかった。家賃は高いし、言葉の壁は厚い。中学英語さえしっかりできれば話せるとはいうけれど、そんなに甘くはなかった。カフェで注文するだけでたどたどしくなって、店員さんの笑顔に申し訳なくなる時があるぐらい。東京じゃ当たり前だったことが、ここでは全部ハードルになって。
カフェで原稿を打つ日々だけど、インスピレーションは確かにあった。
今日も、ピカデリーサーカス近くの小さな書店で、魔術関連の本を漁っていた。埃っぽい棚の奥に、古い革表紙の本を見つけた瞬間、心臓が跳ねた。
ページをめくると、妖精のイラストと、現代の呪文が混ざったような記述。
興奮してレジに向かう途中、彼女とぶつかった。
「ごめんなさい!」
私は慌てて謝った。彼女は長い金髪をなびかせ、緑色の瞳で私を見上げた。コートの下から覗くワンピースは、まるで森の妖精のようなデザイン。リリー、という名前のプレートが見えた。
書店の店員で、地元の魔術史に詳しいらしい。
「日本人? 珍しいわね。ここで何してるの?」
それが始まりだった。リリーは私を店内の奥部屋に案内し、紅茶を淹れてくていろいろな話を聞かせてくれた。
彼女は子供の頃から妖精の伝説に魅せられ、今は現代の魔術師コミュニティで活動しているという。
ウィッチクラフトのワークショップを主催したり、フルムーンの夜に儀式をしたりっていうのを聞いた。
「ロンドンには、まだ魔法が息づいてるのよ。タワーヒルで見た幽霊の話、聞いたことある?」
私はノートを広げ、彼女の言葉をメモした。彼女の声は柔らかく、笑うたびに目元が細くなるのが可愛い。
百合の花のような、優しい香りがした。
いや、百合? 彼女の名前がリリーで、百合の意味か。偶然だけど、なんだか運命めいていなぁって。
それから、私たちは頻繁に会うようになった。
ハムステッドヒースの丘でピクニックしたり、ナショナルギャラリーで絵画を眺めたり。
リリーは私の小説の相談相手になってくれた。
「妖精のキャラクター、もっと感情を入れて。現代の魔術師なら、スマホで呪文を唱える設定はどう?」
ある雨の夜、彼女のアパートで原稿を読んでもらった。
暖炉の火がパチパチと音を立て、窓からロンドンアイのライトが見える。リリーはソファに寄りかかり、私の肩に頭を乗せた。
「綾の物語、好きよ。あなた自身みたい。孤独だけど、魔法を信じてる。」
そう言ってくれて、心が温かくなった。リリーの言葉が、胸の奥にじんわりと染み込んでくる。
外では雨が、窓を叩く音が続いているのに、二人の世界だけが静まり返って、雨音が遠くのBGMみたいに聞こえる。
リリーの唇は柔らかくて、少し湿っていて、甘い。
ほのかに紅茶の香りと、彼女独特の百合のような優しい匂いが混ざって、私の胸をいっぱいにした。
最初は触れるだけだった唇が、だんだん深く重なり合う。私はそっと目を閉じて、彼女の感触に集中した。
リリーも同じように目を閉じて、私の頰に片手を添えてくる。
その手が優しく撫でるたび、もっと近くにいたいという気持ちが溢れて、キスが少し長くなった。
ようやく唇が離れた時、二人は少し息を切らしていた。
額をくっつけて、互いの息を感じ合う。リリーが小さく微笑んで、囁くように言った。
「綾……大好き。」
私は言葉が出なくて、ただ彼女を抱きしめた。雨の音が、再び近くに聞こえてくる。
今はもう寂しくない。百合の香りが強くなり、私の胸を満たした。
それ以来、私の小説は変わった。妖精の恋愛シーンが増え、現代の魔術師がパートナーと呪文を共有する描写。
リリーは私のミューズになった。ロンドンの街は、ただの背景じゃなく、私たちの舞台。コヴェントガーデンのマーケットで手をつないで歩き、ビッグベンの下で約束を交わす。
問題も起きた。リリーのコミュニティは保守的で、外国人である私が深入りするのを快く思わない人もいた。
「妖精の秘密を外に漏らすな」みたいなのもあった。
ある夜、ワークショップで睨まれた。リリーは守ってくれた。
「大丈夫よ、綾。私がいるわ。」
彼女はそう言って、抱きしめてくれた。体温が伝わり安心するけど、心配になった。
無理をさせたらダメだと私は思った。
私の小説は進み、クライマックスへ書き進めていた。
冬が近づき、クリスマスのイルミネーションがロンドンを彩る頃、小説は完成した。リリーに最初に読ませた。
「素晴らしいわ。あなたと私の物語みたい。」
彼女の涙を見て、私も泣いた。
今、私はリリーと一緒にいる。ロンドンのアパートで、二人で新しい物語を紡ぐ。妖精のささやきが聞こえる街で、現代の魔法を生きる。雨が止み、月が輝く夜、私たちは手を取り、未来を語ると思ってたけど、でも、そんな甘い時間は、永遠に続くわけじゃなかった。
季節は容赦なく進み、ロンドンの冬が本格的に訪れた。クリスマスの華やかなイルミネーションが片付けられ、街は灰色に戻っていく。寒さが骨まで染みてくるような日々が続いた。
私はリリーのアパートで過ごす時間が長くなった。彼女の部屋は、テームズ川を見下ろす古い建物の一室。窓辺に置かれた小さな鉢植えのハーブが、かすかに魔法の香りを漂わせている。暖炉の火がパチパチと音を立て、私たちは毛布にくるまってソファに寄り添っていた。
外は霧が濃く、テームズの水面がぼんやり光るだけ。時々、川沿いの風が窓を叩く音がする。
リリーは、私の肩に頭を預け、静かに息を吐く。
「寒いね……でも、あなたがいると温かい。」
私は彼女の髪を優しく撫でた。儀式の夜から、私たちの関係はもっと深くなった。
でも、現実はまだ厳しい。コミュニティの視線は冷たく、出版の話が進むにつれ、妖精の秘密を「外に漏らすな」という圧力が強くなってきた。リリーは守ってくれるけど、私もただ守られるだけじゃいられない。
「次の物語、どうする?」
リリーが尋ねる。
「もっと、現実と魔法の狭間を描きたい。妖精が本当に助けてくれる話じゃなくて、私たちが自分で魔法を作っていく話。」
彼女は微笑んで、私の手に自分の手を重ねた。指先が冷たいのに、心は熱い。
暖炉の火が二人の影を長く伸ばす中、私たちはまたノートを開く。
その儀式は、1月の終わりに予定されていた。場所はハムステッドヒースの奥深く、普通の人は近づかない古い石のサークル。リリーは私を連れて行ってくれると言った。
「あなたも、見てほしいの。妖精が本当にいるって、信じてほしいから。」
私は迷った。怖かった。でも、リリーの手を握る感触が、私を動かした。
儀式の夜は、霧が濃かった。ハムステッドヒースの坂道を登り、木々が密集する場所へ。リリーが小さなランタンを掲げ、私の手を引く。足元は湿った落ち葉で滑りそうになるけど、彼女の温もりが支えてくれた。
サークルに着くと、数人の魔術師たちが待っていた。黒いローブを着た人たち。
長老の一人が、私を見て眉をひそめた。
「リリー、これは……?」
「私の大切な人です。綾。彼女は、妖精の物語を正しく書こうとしてる。」
空気が張りつめた。長老はため息をつき、儀式を始めた。円陣を組み、呪文を唱える。
月光が石の上に落ち、淡く光る。すると、突然、風が止まった。霧の中に、何かが現れた。
小さな光の粒子。蝶のように舞い、集まって形になる。透き通った翼を持つ、少女のような姿。
妖精だった。本物の、生きている妖精。
私は息を飲んだ。リリーが私の手を強く握る。妖精は私たちを見て、微笑んだ。
言葉は発さないけど、心に直接響く声がした。
「あなたたちは、繋がっている。古い約束のように。」
長老たちがざわついた。でも、妖精はリリーに近づき、額に触れた。
リリーの体が少し震え、目から涙がこぼれた。
儀式が終わった後、みんなが去った。
残ったのは私とリリー、そして、消えかけた妖精の残光だけ。
「妖精は、言ったわ。あなたが来るのを待ってたって。」
リリーが囁く。
「綾、あなたの物語は、ただの小説じゃない。現実を変える力があるの。」
私は彼女を抱きしめた。冷たい夜風の中で、二人の体温だけが熱かった。
唇が触れ合い、キスは深くなる。霧の中に溶け込むように、互いの存在を感じた。百合の香りが、強く甘く漂う。
それから、私たちは一緒に暮らすようになった。リリーのアパートで、毎晩のように物語を紡ぐ。
妖精の存在を隠しながら、現代の魔術を織り交ぜた新しい章を。
コミュニティの反対は続いたけど、リリーが守ってくれる。時には、私が彼女を守る番もあった。
ある春の日、ハイドパークの桜が咲く頃、私は新しい小説を完成させた。
タイトルは『霧の中の百合』。主人公は綾とリリーそのもの。妖精の恋人たちが、現代のロンドンで生き抜く話。
出版の話が決まった夜、私たちはテームズ川沿いを歩いた。
雨がぱらぱらと降り始め、リリーが傘をさす。私たちは手をつなぎ、肩を寄せ合う。
「これからも、一緒に書こうね。」
リリーが言う。
「うん。ずっと。」
ビッグベンの鐘が鳴る。遠くでロンドンアイが回る。雨の街は、私たちの魔法で輝いていた。
妖精のささやきが、時々耳に届くようになった。
リリーと私の間に、確かに魔法がある。百合のように、静かに、強く、永遠に咲き続ける。
これで、物語はようやく「完成」した。でも、私たちの人生は、まだまだ続く。
ロンドンの霧の中で、二人はこれからも、手を離さない。
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(百合×イングランド)妖精の囁き、霧の中の百合 南條 綾 @Aya_Nanjo
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