La main verte(緑の手を持つ人)

Bamse_TKE

La main verte(緑の手を持つ人)

「先日、家庭菜園が得意とおっしゃるご婦人にお会いしてね」


 誰も興味を示してくれないだろうが、どうしても誰かに話したい話、それを聞いてくれるのはいつも土曜日、このバーカウンターで一人琥珀色のグラスを傾けるこの男。何もかもを許容してくれて、最後に必ず皮肉を織り交ぜて返してくれる彼は、話好きな僕にとってありがたい存在だ。今夜も彼に甘えて僕は話を続けた。


「今度お庭に招待してくれると言うんだ」

「収穫の恵みを僕に振る舞ってくれるそうなんだ」


 僕の期待が野菜だけに向いているのではないことを承知しているように、彼は僕の瞳を覗き込む。


La main verteラ・マン・ヴェルテ


 僕が聞いたことの無い言葉にキョトンとしていると、彼は悪戯っぽく微笑みながら教えてくれた。


「緑の手を持つ人、植物を育てるのが得意な人を指す言葉だそうだよ」


 僕がどんな話をしても必ずそこから話を広げてくれる彼、僕はどんなお話が始まるのかとワクワクしていた。


「その昔、植物を育てるのが上手な女性がいたと聞いている」


 待ってましたとばかりに、僕はグラスを握り締めながら彼の話に聞き入った。


「その女性が世話をした畑は緑を絶やすことなく、牧草は常に青々としていたという」

「彼女は村から村を転々とし、行く先々でLa main verteラ・マン・ヴェルテ、緑の手を持つ人と呼ばれたそうだ」


 僕はLa main verteラ・マン・ヴェルテと言う女性と宴にお誘い頂いた女性を重ねながら、彼の昔語りに耳を傾け続けた。


「彼女がとある村に訪れ、有難い緑の収穫を村人たちにもたらし、彼女はまた次の村へと向かった」

「その後村を訪れた旅人は腰を抜かすほどに驚いた」

「その村の人も動物も肌を青や紫にして、すべて息絶えていたんだよ」


 思わぬ展開に手に持ったグラスが揺れて氷が揺らめく音が漏れた。その音に彼は微笑んで、話を続けた。


「彼女は肥料に硝酸性窒素しょうさんせいちっそを使っていたんだよ」


 僕の無知からなる沈黙を理解して、彼は解説を続けてくれた。


「硝酸性窒素は植物にとって言うなればご馳走だ、野菜や牧草はぐんぐんと育つ」

「硝酸性窒素を大量に取り込みながら」


「硝酸性窒素、それは人間や動物にとっては毒?」


 僕が聞き返すと彼は視線を空に向けながら呟いた。


「ご明察」

「硝酸性窒素を摂りすぎると人間や動物は、血液の中にある酸素の運び屋【ヘモグロビン】に異常を来たす」


 彼の語り口調とともに空気が少しずつ重くなるのがわかる。


「【ヘモグロビン】に異常を来した人間や動物はどうなる?」


 僕が聞き返すと空から視線を僕に戻し、彼は諭すかのように僕に告げた。


「全身に酸素が行き渡らなくなり、【チアノーゼ】という状態になって・・・・・・」


「【チアノーゼ】と言う状態になって?」


 僕はつい答えを急かした。すると彼はそれをわかっていたかのように、そして僕を焦らすかの様に、琥珀色のグラスを軽く傾けてから言った。


「死ぬ」


 僕は言葉を失いそうになりながらも、かろうじて一言を発した。


「その後村はどうなったの?」


 すると彼は重い口調のまま続けた。


「無人となり、動物のいなくなった村はますます緑に包まれたそうだ」

「捕食者がいなくなったからね」


 もう一口グラスに口を付けてから、明るい口調に戻った彼は言った。


「君が話していたご婦人の収穫パーティー楽しみだね、是非成果を聞かせてくれたまえ」

「君がまたこのバーに来られたのなら」

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