加藤ゆか:プロローグ

 夜の街が好きだった。無礼講が前提の会話や根絶する喧嘩が道端で起きている。他人のドラマを聞きながら、友達と談笑した。

 加藤ゆかは2人の連れとバーに入っていく。そこでモスコミュールを注文し、奥の座席を占拠した。

 彼女は転職して半年が経つ。生殿病院というブラック企業から脱出し、派遣業務で責任のない日々を送っていた。


「しかし、ゆかは明るくなったね?」


 友達の増井は加藤の頭を眺める。その視線を受けて、自分の前髪を加藤はつまむ。


「そうかな?」

「髪の毛も短くして、インナーカラーも染めてるじゃん。病院にいたときと雰囲気が違うよ」


 右手にいるのは仲山。以前の職場で知り合った。身体の関係になったこともあるが、つかず離れずな関係が続いている。

 彼女の左手にいるのは増井。飲み友達で仲山たちと行動を共にしている。


「病んでたよねー。まじめちゃんは合わなかった」


 加藤は反射的な会話をしたから、中身がなかった。今の返答に仲山は引っ掛かり、冗談を言われたように噴き出した。


「合わなかったって、あんた生まれてずっと真面目ちゃんなんでしょ?」

「よく覚えてるね」


 加藤は自分の過去を記憶していない。霧のなかを覗くように外観があるけど実像は掴めていなかった。自分が真面目な人間に映ったと言われれば、そうかもしれないとうなずく。


「さすがゆか推し」

「腐れ縁だよ」


 仲山が机に頬杖ついた。色気のある動きだと加藤は興奮し、自分のなかでタガが外れる。


「ふーん。腐れ縁なんだ。あんなことしても?」

「ちょっと! 2人ともやめなさいよ」


 増井は性の匂いを払った。自分のいないところで盛り上がってくれと意見する。


「増井が言うならマジになるでしょ。やめて。あんたにまた安売りしない」

「残念」


 今日の相手が欲しくなった。性欲がわき上がったら発散しないと気がすまない。自ら禁欲していた生活のすえ、我慢が利かなくなっている。

 加藤がスマホをひらけば通知は多い。彼女は自分の顔が優れていることを自覚していた。それを振りかざして関係を持っている。沼に落ちるような人を選ばないようにしているため、殺傷トラブルはない。身体目当ての人は多かった。

 そんな加藤の乱れを仲山は悪く思っている。


「通知を切って」

「え、いやだよ」

「もう相手しないよ」

「わかったやめるよ」


 そのカードを切られては従うしかない。加藤は不満を隠さないまま、スマホをカバンに入れる。


「貴方いつか身を滅ぼすよ」

「その時はその時だよ。誰も心配しないから」


 加藤は仕事を辞めてから人格まで変わっている。

 一人暮らしも始めて栓が抜けたように奔放していた。


「なんで加藤はそんな考えになったの?」

「病院で私が倒れたことがきっかけかな。その時に女子高生が私を助けてくれたみたいだけど、落としたペンも拾ってくれたみたいだった。それを仲山から聞いて受け取ったとき、ちょうどナースの人がいて『あなた高校生に庇われてるのね』って言われて、限界だった。気がついたら仕事辞めてたよ」

「あれがきっかけなの?」


 加藤は自分のことすぎて仲山にも話していない。酒の勢いと、好きに抱ける相手を選べるから余裕が生まれていた。


「でも、仲山まで辞めるとは思わなかった」

「私も元から合わなかった。まあ、クソみたいな職場だったね」


 2人だけで生殿病院の悪口で盛り上がった。別業界の増井は輪にはいれなくて、席を外すことにする。

 加藤はお手洗いに行く増田を目で追うと、来店した客と目が合う。

 その子は増井と入れ違いに入り、扉近くのカウンターに座る。注文を聞かれていたが、考えると言って一人の空間を形成した。緊張を晴らすかのような挙動不審さ、加藤を意識してるような素振り。

 加藤は直感で理解した。

 未成年の子が入ってきている。

 衣類は大人びているが、あどけなさが顔に面影がのこっていた。さまざまな人間を抱いてきたからこそ、人の歳に敏感だ。

 仲山は加藤の視線の先にいる女性を把握する。


「ゆかのタイプじゃないね」

「あれ未成年だ」


 どうしてか惹きつけられた。まるで初めて会ったことがないような興味がわいている。


「マスターは気がついてないね」


 彼女は何か口頭で注文する。マスターは頷いてお酒を作っていた。その様子から、仲山の発言に信憑性が増す。

 加藤は自分が感じていることを言語化しようとした。しかし、自分のことを考えないようにしてきた弊害が出ている。そして、自分のなかに滾っていた性欲が冷えていることに気がついていない。


「ゆかっていつも子どもに優しいよね」

「突然どうしたの」


 店の男が彼女に接近していた。


「ちょっと行くね」


 お酒を目の前に出される女性。コップを手に取らず、水面に映る自分を観察していた。

 加藤は離席し、隣の場所まで移行する。

  特徴的なインナーカラーと黒のライダージャケットを着た女性がいた。

 男性は女子に近づこうと質問している。


 「胸の傷はどうしたの?」


 彼女は質問に答えなかった。まるで聞こえていないというふうに。

 相手は彼女に無視されたとわかりつつも、言葉を強くして質問を続けた。


「事故にあったの?」

「喧嘩」


 しつこさを払うように椅子を座り直す。

 彼女の顔に男性は驚きつつも顔には出さなかった。桂木は片目が灰色だし、胸の傷も横から見るより大きく紫色に変色していた。


「あー……」


 男性の引いた態度に触発され、桂木のなかでスイッチが入る。舐められてたまるかという憤りで口が動いた。


「なんで喧嘩をしたのか聞かないの?」

「ど、どうして?」

「ぜんぶ相手が悪い」

「ええ……」


 思い出すと頬が濡れる。彼女はあるときから感情の抑制ができなくなっていた。それを見られたら、弱みを握ったように付け込まれることがある。

 彼女は右手を顔に当てて、無視しようとした。その時、もう反対の席に人が座る。気配に引き寄せられるように反対の方を見る


「そうそう。ぜんぶ相手が悪いよね!」


 加藤は自分の出番を待っていた。特徴的な出現に、女性の勢いは殺される。


「君は何も悪くないよ。ぜんぶ相手が悪いよ」


 女子の瞳に抱いていていた敵意が消失する。


「え、ええ……。そうです」と、辛うじて返事する。それを聞いた加藤は大袈裟に腕を組んだ。


「で、何の話?」

「何も話してないですよ。隣にいる男性がナンパしてきたので撃退しようと思ってました」

「ああ、そうだった?」


 加藤の奇行に男性は退く。分が悪い戦いから引き下がるタイプだった。


「ここの店はナンパあるから気をつけてね」

「はあ……」

「なんか泣いているように見えたから助けに来たけど」


 女子はとたん血が昇る。どのような見た目の人でも、子供扱いだけは癇に障った。


「ありがとうございます。でも、私は悪い人間だから助けてもよいことないですよ。逆恨みされちゃうかもしれない」

「あんなのはやり返してこないよ」


 女子は注文したお酒に気を向ける。手を付けてみたら、震えていることを知った。


「で、きみ未成年だよね」


 彼女は何も言い返さない。その沈黙こそが、彼女の回答につながる。

 お酒を持つ手を引っ込めた。


「この通りで私は飲み歩いているから知ってる。君みたいな挙動不審な子は未成年ばかり」

「やっぱりわかりますか」

「どうしてこんなところに来た」

「私は悪い人間なんです。だから、酒でも飲んでしまおうかなって」

「だったら今まではいい人間だった」

「聞いた本人が悲しむから悪口や愚痴が嫌いでした。私の悪口は言われていいからやめさせようとしました。けど、ある日私は間違えた。失敗を取り返すまえに、好きな人もなくしました。悪い人間なんだから、飲酒しようかなと思いました」


 彼女にとっては真剣な悩み。インターネットを使っても世界は狭く、すべてをなくした気持ちを抱えている。隣の女性に身の上を語ってしまうのは、誰でもいいから可哀想な自分を晒したかったからだ。

 それを受けて、加藤は笑った。


「あははは」

「え?」

「ごめん。君をバカにしたわけじゃない」


 彼女はなぜか怒れなかった。むしろ、その大きく口開けて歯を見せる彼女が頭に焼き付く。

 桂木のどこかで危険信号が鳴っている。彼女に魅了されてしまったら、自分が駄目になってしまう。


「君は可愛いね」

「説明してください」

「悪い人間はやれちゃうんだよ。そんなこと考えずに」


 自分の転職後を振り返るような物言いだった。加藤は女性遊びを覚え、夜の街でただれることをやれてしまった。


「未成年飲酒や喫煙なんて、隠れて出来る。だけど、君が酒を持つ手は震えていた。それに、君は自分の反省ができた。まだやりなおせるよ」


 女子のお酒を強奪し、自分のはらに納めた。加藤は無許可で酒をたしなむ。

 自分の飲料を取られたけど、怒る気になれなかった。


「あの、帰ります」

「またね」

「え?」

「また会おうよ。君のことをもっと知りたいし」

「だ、誰にでも言ってるんじゃないですか?」

「どーかな?」


 彼女は慌てて身支度をした。金銭を払おうと財布を出したら、細い手が財布の上で影を作る。

 髪がサラサラと下に落ちていく。紫と黒が交差していた。


「ここは私が払う。大人になってからまた来な」

「……あ、ありがとう」


 彼女の立ち去った後ろ姿を見送る。一度は振り返ってくれるかなと期待した。その出鼻をくじくように、仲山が隣に来る。


「ゆかって子どもに優しいよね」

「まあ、社会福祉士を目指した理由の一つですから。子どもの支援したいっていうやつ」

「まあよく聞く理由だよね」


 仲山は加藤の心を熟知している。そして、立ち去った女子が1回会ったことがあることも見抜いた。だからこそ、慎重に言葉を選ぶ。


「加藤は未成年が好きなんだ。知らなかったな」

「違うよ。本当に心配してるの」

「本当? 下心ない?」

「あの娘に下心ないよ」

「よかった。私の知ってる加藤だ。誰にでも優しくて人を助けて、私をよく見ている加藤だ。そうだよね。私が加藤だったら未成年になんて手を出さないからね」


 増井が帰ってきて、3人は解散となった。電車で帰ろうとすると、改札出る前に家族から連絡がある。

 自分の家と反対に電車を乗り継いだ。家に着くと明かりがまだついていた。彼女は自販機で水を2杯飼う。それを一気に飲み干してペットボトルをつぶした。


「よし」


 彼女は家の玄関を開ける。すると、飛び込んできたのは、破かれた新聞紙やクッション。


「恥さらしが返ってくるの遅いんだよ!」

「ごめん」

「そんなんでほんとに金あんのかよ!」

「うん。あるよ」


 彼女は自分の財布から2万円を抜き出した。それを母親に渡す。


「チッ。すくねえんだよ」


 母親が力任せに扉を閉めた。その風に押されて、床の散乱物が舞う。両手で片付けして、かばんに入れる。


「……ぐすっ」


 自分の存在を否定された気がした。それでも、一人暮らしを許してもらえている。感謝しなくちゃいけない。加藤は感情を抑えるたびに涙があふれる。悔しかったが、すぐに立てなかった。

 スマホを見て、自分に愛想振りまく子たちと連絡する。

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