あなたの夜は虹色だった

鍍金 紫陽花(めっき あじさい)

序章

桂木えり:プロローグ(1/2)

 祖母の付き添いで、病室は人の出入りが多いことを知った。桂木は友達の満島に気の抜けたまま雑談の議題に挙げると、『常識だよ』と桂木へ苦笑される。

 桂木は納得がいかなかった。ただの雑談なのに苦笑されるとプライドが傷つく。だから、次の日に言い返そうと決めた。

 桂木の家に祖母が住み着いて3年が経つ。彼女の母親が育児放棄を始めて住み着いた。家が機能するのは、祖母の尽力のおかげ。桂木えりは高校に通いながら、母よりも祖母のことを愛していた。だから、率先して病院の待合室の硬い椅子に座っている。

 このところ祖母は体調が芳しくない。近くの「生殿病院」に通院していた。

 生殿病院は、彼女の通う高校の間にあるため、帰宅途中に都合が良い。

 話したことない看護師でも、あいさつする間柄になっていた。視線で追いかける以外にスマホを起動する。

 満島の投稿を既読し、インターネットの中に放り出される。友達が少ないから、嘘みたいな雑学に惹きつけられて、時間を溶かしてしまう。世の中の堅苦しさに嫌気が差してスマホを閉じた。その繰り返しの果てに祖母が帰ってくる。

 同じ姿勢は彼女の腰を痛めた。足を組むと、靴の裏に硬い感触がする。


「ん?」


 靴を上げる。ボールペンが転がってきていた。目線をたどらせるように、筆記道具が道へと続いていた。消しゴムの指し示す方向に、一人の女性が倒れている。今しがた足がもつれたようだ。長い黒髪が顔を隠している。

 桂木は落としたものを拾い集めながら寄った。彼女は痛そうに足を撫でている。


「落とした物を返しますよ」


 その女性は顔を上げた。髪の毛をかき分けて目線が合う。


「あ、ありがとうございます……」

「立てますか?」


 自分の足を触りながら、姿勢を変える。立ち上がろうとしていた。


「手を借りていいですか」

「良いですよ」


 筆記道具を胸ポケットに入れ、女性は桂木に助けられる。彼女は手に嵌めていた髪留めで髪をくくり、顔が出てきた。

 目元の隈が彼女の疲労を物語っている。


「今度は気をつけて歩くね。ありがとう」

「またね。桂木さん」


 足を引きずり立ち去った。その痛そうな右足に気を取られていたら、病院の廊下を一人でふさいでしまう。先ほどの位置に変えると、まだ文房具が落ちていた。女性がまだ持っていたものだろうか。しかし、ペンを持ち歩きすぎだと桂木は感じた。

 その階にあるナースステーションに足を運ぶ。拾ったペンを彼女の元へ帰るようにお願いするためだ。


「すみません。お時間いいですか」

「はい。どうされました」

「先ほど転んだ彼女に返してほしいです。落とし物なので」


 そう言ってペンを渡す。受付の看護師はペンを手で受け取ったが、わざわざ2人の間に挟まる台へ置いた。ナース仲間を呼ぶように振り返って、その気配に気取られた人が集まる。


「これかかちゃんのやつだよね」

「何回目〜」

「いや、ほんとね」


 自分だけが余所者だった。ナースステーション内に内輪の話題が上がっている。盛り上げる道具を提供したわけではないため、親切心でペンを押す。


「あの、これ返しといてください」


 受付の人はペンを見ずに、触りもしなかった。


「返さなくて良いですよ」


 桂木は彼女を二度見する。

 決して冗談ではなかった。


「その子はよく物を落とすから、そんなの無くったって覚えてない。返すだけ無駄だよ。捨てといて」

「私は、渡していてくれませんかってお願いしてます」

「渡したくない」


 桂木はこの意地悪を理解していた。彼女らはペンの持ち主を軽蔑している。

 どの理由であれ、桂木は極端に嫌う。陰口や見下しが、怒りへの導火線だった。


「……お前子供かよ」

「は?」

「お前みたいな心の弱いやつが嫌い。彼女が何かしたなら本人に言えばいいだろう」

「あ、そうですか。私が返します」

「いいよ。何されるかわからないから」


 彼女は引き返して、ナースステーションの近くの席へ座る。

 トゲが背中に刺さっているような沈黙を桂木は耐える。むしろ、彼女の精神性はナースステーションとの沈黙の喧嘩を望んでいた。目をそらされても立ち退かない。

 桂木の自他境界は危うかった。まるで自分が言われたように気持ちが泡立つ。

 学校も同じ事がある。遭遇したら迷惑をかけるし、友達も新しくできない。

 祖母が出てくる。彼女は立ち上がらない桂木に首を傾げた。


「帰らんの?」


 手元のペンを見せる。


「中洲商店街にそんなの売っとったね」

「持ち主に返す」

「そんなん預けたらよかやん」

「受け取ってくれんもん」

「また、あんた余計なことに突っ込んどるね」


 桂木の性格に祖母は振り回される。

 抗うほうが言い返されるので、従うように隣へ来た。


「先に帰りーよ」


 桂木は自分で問題を解決したかった。隣に来られることで、自分の責務を果たせないと宣言されているみたいだった。


「いいから、なんでこんなことなった?」


 ナースステーションの経緯を説明した。主観が入るので、自分は中立という熱が入ってしまう。その若さも祖母は考慮している。話半分で、頷いていた。スマホを持たない祖母の暇つぶしのようなものだ。


「逆にどうして皆は意地悪するのだろう。私にわからない」

「愚痴ることが結束することもある。えりちゃんにはまだ分からないことだろうけど」


 意固地な桂木でも現象は知っている。でも、自分は人を愚痴れなかった。インターネットのつぶやきも愚痴であふれているため、皆もナースステーションのような人たちと同じかもしれない。だとしたら、桂木はずっと孤独と共にいるかもしれなかった。


「いつかわかるかもわからない。このままだとずっと1人かもね」

「そんなことない。あんたを好いてくれる人はいる」

「そうだったらいいけど」


 2人のもとに駆け寄る人がいた。あの黒髪の女性ではない。むしろ、栗色みたいな髪の毛で活発そうな人間。胸ポケットに『仲山』と書かれている。


「いやーごめん。落とし物を拾いに来たよ」

「え、でも本人に渡したい」

「私がやっとく。持ってきてくれてありがとう」


 あの嫌なやりとりが横切った。人の嫌がらせは陰湿だから、人を信じられない迷信に追い込まれていた。


「あの人とはどんな関係?」

「同僚。とても仲いいの」

「本当に?」


 仲山は察した。

 看護師や医療関係者は忙しそうに働いている。誰もいないのナースステーションに、憎い敵がいるように、仲山は激しい嫌悪感と共に一瞥する。


「私はあなたの苛立ちがわかる。まあ、一々言わなくてもね。私もいつか何とかしないとと思ってるよ」

「……かかさんに渡してくれそう」

「かか? あははは。そうね」


 仲山さんはペンを受け取った。それを大切そうに握っていたファイルに入れる。


「また会おうね。ばいばい」

「ば、ばいばい」


 仲山が消えたあと、祖母は帰りましょうかと肩をたたく。

 2人で病院を出て、帰りのバス停へ向かう。


「あの仲山って人は怖いね」

「え、いい人そうだった」


 祖母はバス停に到着した。到着まで数分待たないといけないが、この路線は遅れやすい。


「おばさんの勘やけどね」


 祖母の話は無視していい場合がある。


「婆ちゃんは体調大丈夫なん」

「平気」

「ほんと?」


 聞こえていないふりをして目をつむった。きっといい知らせじゃないのは桂木でも伝わっている。現実から背けるように、通行人を眺めた。

 出会った頃より祖母は弱っている。長時間立てなくなったし、母親といがみ合う機会も減る。


「長生きしてね」

「当たり前やん。あんたの素行を直さんとしねん」

「そんなに悪くない」

「まず口が悪い。家事ができん」

「女は家事をやれってことでしょ」

「生きていくための知恵をつけろって話。あんたはまだ子どもすぎ。残せんよ」


 ふと彼女らの見栄に2人の男性が横切る。彼らは手をつないで恋人の距離で世界に入っていた。祖母は目で背を追っかけて、ひと言はなった。


「ありゃわからんな」

「……」


 何も言わないで桂木はスマホを眺めてみた。満島は合コンに参加しているらしく、わざわざ投稿している。

 家に帰る。

 2人は靴を脱いでリビングに入った。


「2人ともおかえりなさい。誰かに着けられたりしなかった? サコンさんが言ってたけど政府による扇動はすでに始まっているんだって。マイナンバーカードは私たちを番号で管理するらしくて」

「ほんと無理やこの家。婆ちゃん逃げたい」

「いいけん手洗い」

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