そして、舞台は煌々と。
とりよいな
崖下の沼
2025年8月3日
舞台袖にいるオレたちの耳に、鼓舞するような力強い音楽が飛び込んだ。この曲はBcause we canと言うらしい。直訳すると『だから俺達はできるんだ』М-1一回戦直前。にそのことを思い出した。
オレ達は、世間を笑わせ、笑われることを生きがいとする職業に就いている。いや、正確には見習いと言うべきか。オレはこれから隣の男と、このちっぽけな舞台へと上がらなければならない。コイツを、きらびやかで夢と希望がたくさん詰まった本当の舞台へと押し戻すために。
こんな小さなハコでも心臓は音を立てて鳴るし、汗が首筋から流れる。仕方ないだろう。ここで頼りになるのは自分一人なんだから。
幼いころ何度も見たテレビの中の決勝戦を思いだす。出るタイミングは、マイクの高さは、最初のツカミは。全てに脳内でOKを返した。隣には憧れだった人がいる。今は無精髭を生やして、シャツをズボンをだらしなくだして、ふあぁと欠伸をかましているけど。コイツはこんな時でも緊張感がなかった。それが元強者の余裕か。いや、絶対違う。ガックリと項垂れたい気持ちを抑えて男の肩をぱしと叩いた。くたびれたスーツは歴戦の勇者にも、落ち武者にも見えた。
「行くぞ、親父」
誰もいない、冷えた板の上へと勢いよく走り出す。
2026年1月1日
「オーライ、オーライ」
オレの声は周りの人々にかき消された。正月の神社はテーマパークのような人込みだ。寒空の下、服を着こんだ通行人達が新年を祝う言葉を口々に交わす。正月に慌てて来るぐらいなら、普段から祈っとけよ。心の中で悪態をついた。気温は零度。分厚い二重構造の手袋をしいても指先が氷を触ったように凍えた。激しい雑踏の中ベンチコートを着て交通整理をする俺も、やっぱりモブなんだろう。名もない人々がぺちゃくちゃ喋る中「おーい」と見知った声が響いた。男にしては高くよく通る声、ロン毛で胡散臭い糸目のノッポ。誰がどう見ても二度見する顔がひょっこりと顔を出した。唯一この男、
「幸ちゃん! ボクと漫才やってくれや!」
しかし、わかりやすい態度を無視して声をかけてきた。新年早々またこれかよ。ため息をついてわかりやすく不機嫌さをアピールする。吐き出した白い息はすぐに霧散した。
「お前、今日は何の日か知ってんのかよ」
低いザラリとしたオレの声は小さかったはずだが、光太郎にはバッチリ聞こえたらしい。
「へ? お正月やけど?」
当たり前のことを、といいたげな顔で平然と光太郎はオレの馬鹿でもわかる問いに答えた。
「なら、あけましておめでとう、が先じゃねぇの?」
「あ」
光太郎は大きく口を開けた後、ぽりぽりと頭を掻いて手をぱちんと合わせた。大げさな動きは相変わらずである。
「あけましておめでとぉ、幸ちゃん! な、これでええやろ? そんで、ボクと漫才やってくれへんか!」
「嫌だ」
再会してから四年。百回はゆうに超えたお願いにオレはまたNoと返した。太い眉毛をハの字にしてえぇーと言うのもいつものことだ。
「ほんま頼むよォ! ボクらの仲やん! 出会ってから十数年、この光太郎が一番かっこいいと思った最高のお方! それが
腕に縋りつくノッポのかかとを、ブーツで思い切り踏みつけた。
「あ痛!」
光太郎は大声を上げ片足立ちでぴょんぴょん跳ねる。それを冷めた目で見た後、次々と来る浮かれ気分の車たちを右から左へと誘導灯を振って流していった。コイツの吐く白い息は寒い冬なのに熱をもって俺のもとまで届いた。
「幸ちゃんさぁ、あの人……親父さんが凄かったのはわかるよ? ボクもよう見とったし。けどあの人ダサいし、古いし、つまらんやないの」
ひとしきり痛がった光太郎は、いつものにっこりとした笑顔でズバッと言う。コイツ、踏み足りなかったか。服の中が喋ったことによって熱気がこもった。首元のマフラーを少し緩め風通しを良くする。それから頭上のニコニコする大男を睨みつけた。
「言いすぎだ」
ひぇっと声をあげる。それでも負けじと、おっかなびっくりといった様子で言い返す。
「だってさぁ幸ちゃん、一回戦落ちたんやろ……?」
「お前まだそれ言うのかよ」
「事実やし」
さらりと告げる光太郎を今度こそ殴った。ゴッと音がして「いたいわぁ」と泣く。「素手だともっと痛いぞ」と毒づいた。漫画のようなたんこぶだってできそうなぐらい分かりやすくいたがるコイツを見ていると、どんなにムカついていても笑えてきてしまう。単純な自分が嫌で余計に腹が立った。少しだけ痛む左拳を手袋越しに撫でた。
「一回戦落ちたのはオレがネタ作るの下手なのと……アイツがやる気ねぇからだよ。酒飲んで舞台立つし、客に対してボロクソ言うし。アイツが本気出せばもっとすごいはずなんだよ」
光太郎にこう言うのは何回目かわからない。後半はほとんど自分に言い聞かせていた。だが事実である。オレのネタはほかのヤツらと比べるとまだまだ粗い。親父だって古い人間とはいえまだまだやっていけるはずなのだ。
「それならボクと組めば解決やで、ボクならネタ書くし、いつでも一生懸命や!」
大口開けて片手をガッと突き上げるさまは、身長180㎝越えの大男に似合わない幼稚さで、コイツだけアニメかなんかから出てきた風に見える。いや、そんなことよりも、
「オレがボケつってんだろ! だからボケのテメェとは無理!」
突然どっと笑い声が上がった。ギョッとして周りを見ると通行人がオレたちを見て声を上げていた。いつの間にか大きな声で叫んでいたらしく、多くの視線にオレたちが晒される。舞台上でないとはいえ、オレが人を笑わせたのなんていつぶりだろうか。自然と胸が高鳴るのを感じた。
「ほうら、自分ら息ぴったりやろ?」
ニヤリと笑う光太郎の顔に慌てて現実に引き戻される。どうやらオレをその気にさせる作戦だったらしい。自分より上で楽しそうに笑うムカつく顔を手でつかんで押し返す。外気にさらされた顔が冷たいことが手袋越しでもわかった。
「大体、テメェR-1一回戦突破したじゃねぇか」
「一回戦なんて素人でも受かるもん、ボクなんか3年目やし」
その言葉に押し潰されたように身体が重くなった。潰れてしまいそうなオレを上から見下ろすのは、無邪気な顔をした光太郎だ。
「てか、ボクのやつ知っててくれたん? 嬉しいわぁ」
光太郎は何の悪意もなく、ただ笑って言う。心底オレが知っていたことを喜ぶ顔だった。その眩しさに耐えられない。足先の感覚がなくなって、世界がぐにゃりと曲がった。
「……オレ休憩だから。じゃ」
自然と荒くなる呼吸を気取られぬよう、くるりと後ろを向いた。最初はゆっくりと、徐々に歩きを早めていく。この場から早く逃げ出したかった。
「あ、待ってよ幸ちゃ……え? ……はい、そうです……おぉ! お客さん? 嬉しいわぁ、ライブ見てくれてるん? ありがとぉ」
同じ情熱を同じ年数だけかけてきたはずなのに、光太郎とオレには断崖絶壁とも言える差がある。せめて一ミリだけでも崖が小さくなればいいのに、真っ暗な谷底に沈むオレは舌打ちをした。
鉄でできた錆びた階段を、カンカンと音を立てて登る。手すりは夜の空気を吸い込んでしもやけになりそうなほど冷えていた。『沼袋』とマッキーで書いてある203号室。軋んだ薄いドアを勢いよく開けるとギイと音がなった。玄関すぐの汚れた台所を通り抜けて、ズカズカと明かりのついていない居間に上がり込む。親父はこんな寒いと言うのに暖房も付けずに絨毯の敷いてないフローリングでいびきをかいていた。そばには缶ビールが開けられて放置されている。もう炭酸は抜けきってるだろう。部屋は外と同じ程度の気温で、暗い居間に場違いな陽気な漫才だけが、部屋を何とか暖かくしようと躍起になっていた。テレビの画面だけが煌々と光って、眠っている顔を青白く照らす。またこの漫才を見ているのか。今日二回目の舌打ちをした。
「おい親父、ネタ合わせ」
雑に蹴飛ばすと、靴下越しに親父の低い体温が伝わる。コイツはそれに合わせてぐるんと寝返りを打った。しかし起きる気配はない。酒で赤らんだ顔は天にものぼるほどの幸せそうな顔でよだれまで垂れていた。
腹立つ顔。そんな睡眠を邪魔するため耳たぶを掴む。耳元に顔を近づけた。
「ネタ合わせ!」
「うおっ」
ばっと飛び起きた。幸せそうな顔は一転、鬼の形相に変わった。
「うるせぇ! 老人ホームのジジイに話すんじゃねえんだぞ!」
「テメェほとんどジジイだろうが! お似合いだろ!」
「過去を知らない愚かな若者め! 昔は苦労したんだぞ! …………大体今は夜じゃねぇか! ネタ合わせってなんだよ、夜は寝るもんだろ!」
寝起きとは思えないまくし立てるような剣幕だった。しかし拳をブルブルと震わせて眉をつり上げているというのに、口元は楽しそうに歪んでいる。ヒートアップしていく口論にオレの体だけでなく心まで熱くなる。一桁代の気温だというのに、顎先から汗が垂れた。親父の目はキラキラと輝いている。最近は見ることが減ったが、この顔を見るのがオレは大好きだった。
顔を突き合わせてつばを飛ばしあう俺たちに空気を読まないテレビの司会者の声が割り込む。
「……、はい! ファイナリスト進出決定です!」
わぁっと歓声が古いテレビの歪んだステレオから上がった。テレビの中では若い頃の親父とその相方が抱き合って喜んでいる。まだファイナルがあるっていうのに優勝したみたいな喜び方。親父は大声上げていた口をとめ、亡霊のようにじいっとテレビを見た。何度も見てきた横顔。目尻は垂れさがってヒゲが生え、しわが増えたいつもの親父だ。きっとオレも今、同じ死んだ目をしている。急速に胸が冷えた。やけに部屋が暗いのが目につく。
昔は親父も、オレも、もっと楽しそうな顔でこの映像を何度も見返していた。親父ってかっこいい、オレもあんなふうになりたい。日本で一番面白いお笑い芸人に――――
テレビのコードを思い切り引いて抜いた。ブツンと音を立てて液晶が消える。親父がハッとしたようにこっちを向いた。
「おい、テレビ壊れるだろうが。コードから抜くなよ」
ふざけた口論のトーンではなく、地を這うような低い声。淀んだ目が俺を睨みつける。負けじと眉間に力を込めた。
「うるせぇな、こんな古臭いのみてたら親父の頭が壊れるだろ。逆に感謝しろ」
髪の毛を逆立てた親父が掴みかかろうと向かってくる。しかし酔った足は簡単にもつれた。
「うお」
自然とオレの手が伸びて肩を支える。驚いて目を見開いた親父は、一拍間を置いた後、聞こえる様に舌打ちをした。
分かりやすく負け惜しみをしたコイツには、もうあのころの光は灯っていない。明かりのついていない部屋には、売れない芸人達の息づかいだけが響いた。
2026年3月8日
『R-1グランプリ優勝 光太郎』
いつもの家、いつもの汚い親父。いつもの夜。オレ達は何も変わらない。ただ、光太郎だけが変わってしまった。スマホ画面、ネットニュースのど真ん中にコイツが映っている。煌々としたテレビのセットの上で、両手を挙げ、涙を流して舞台上の誰よりも目立って輝いている。「幸ちゃん! やったでぇ!」と声が聞こえてくるようだった。
脳裏に浮かんだのは、幻想だった。光太郎がオレの隣でいつもみたいに笑って、ふざけたことを言う。オレがそれにデカい声でツッコミを入れるのだ。大勢のお客に囲まれて、拍手笑いさえ飛び交う。そんな最高の舞台。毒のように甘くて、人を駄目にする。
スマートフォンの画面はブルーライトで輝いていて、オレの顔を青白く照らす。光というだけでそれが恨めしくて床の上にスマホを投げつけた。硬いフローリングに思いっきりぶつかり鈍い音を立て、画面フィルムがパキリと音を立てる。何もしていないのに息が荒くなり、心臓が鼓動を速めた。酸素が足りない。
「ぁ……そうだ、ネタ、ネタ書かねぇと……親父を……親父を連れて行くんだ……そうすれば……」
ちゃぶ台に駆け寄ると、震える指先でネタ帳を広げた。ボールペンを握る手に自然と力がこもり、バキッと音を立ててへし折れる。視界がにじんでノートの上にポタポタと涙がこぼれた。紙がボコボコと波打っていく。転がっている親父の競馬用赤鉛筆を手に取った。歪んだ紙の上にペン先を乗せ、ゆっくりと文字を書き始める。頭を掻きむしると爪の間に汚れがたまり、髪が乱れた。凍るように冷たい部屋に、月明かりだけが煌々と輝いた。
そして、舞台は煌々と。 とりよいな @yoina_pypy
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