瓦礫の翼が鳴らす、冬の鳴動

@orangeore2025

第一章


 空は、鉄を溶かしてそのまま凍らせたような色をしていた。かつては華やかだったはずの旧校舎の屋上には、今や剥き出しの鉄骨と、朽ち果てたコンクリートの残骸が、まるで巨大な墓標のように突き立っている。ここは「廃墟」と呼ばれる場所だ。現役の生徒たちが通う新校舎とは渡り廊下ですら繋がっていない、忘れ去られた孤独な島。だが、私たち模型飛行機部の五人にとっては、こここそが唯一の、自由な滑走路だった。


 「今年も、この季節が来たね」

 

 部長の千秋が、白い息を吐きながら言った。彼女の指先は、かじかんで赤くなっている。それでも、彼女が抱えているバルサ材の機体――「イカロスⅣ号」を扱う手つきは、どこまでも繊細で、慈しむようだった。冬の空気は密度が高く、重い。しかし、その重さこそが、私たちが自作した薄い翼を押し上げ、高く遠くへと運んでくれる。風は鋭い刃物のように頬を撫でていくが、私たちは誰も、この場所を去ろうとはしなかった。

 

 

 「風速五メートル。北北西。乱気流の兆しあり。……でも、行けるよ」

 

 私は観測用のデジタル計器を睨みつけながら答える。厚手のダッフルコートを着込んでいても、芯まで冷えるような寒さだ。だが、胸の奥には、冷気とは正反対の熱い塊が居座っていた。この廃墟から、自分たちの手で作った「翼」を放つ瞬間。その一瞬のために、私たちは放課後のすべてを、そしてこの冬のすべてを捧げてきたのだ。

 

 

 千秋が機体を掲げる。それは、ただの模型ではない。幾度もの失敗と墜落を繰り返し、そのたびに部室の隅で接着剤の匂いに包まれながら修復してきた、私たちの執念の結晶だ。周囲の瓦礫が、沈みゆく冬の陽光を反射して、鈍く光る。まるで世界が終わってしまった後のような静寂の中で、千秋が力強く地面を蹴った。


第二章


 放たれた機体は、冬の重い空気を切り裂くようにして、高度を上げていった。しかし、喜びは長くは続かなかった。突然、視界の端で閃光が走った。冬には珍しい、乾いた雷鳴。雲の隙間から、紫電が「稲妻」となって灰色の空を縦に割ったのだ。それは、自然が私たちに突きつけた、容赦のない拒絶のようでもあった。


 「千秋、戻して! 気流が乱れすぎる!」

 

 叫ぶ私の声は、突風にかき消された。上昇気流に乗るはずだった翼は、予期せぬ乱気流に揉まれ、まるで傷ついた鳥のように激しく身を震わせている。プロペラの回転音が、悲鳴のように高くなった。私たちは必死にプロポを操作し、墜落を免れようと試みる。だが、自然の猛威を前にして、高校生の部活動レベルの技術は、あまりにも無力だった。

 

 

 「諦めない! まだ翼は折れていないもの!」

 

 千秋の瞳には、強い意志の光が宿っていた。彼女は寒さで震える膝を叩き、一歩前に踏み出す。廃墟の端、フェンスも何もない、奈落へと続く境界線。そこから彼女は空を見上げ、まるで見えない糸を操るかのように、レバーを繊細に動かした。稲妻が再び走り、周囲を一瞬だけ白銀の世界に変える。その光の中で、私たちの機体は、必死に空へとしがみついていた。

 

 

 「……お願い、飛んで。あんなに直したんだから。あんなに夜を徹して、翼の角度を計算し直したんだから……」

 

 部員の一人、気弱なハルが、祈るように手を組んだ。私たちの活動は、学校側からは「危険」として何度も中止を勧告されている。この冬が終われば、旧校舎の解体工事が始まり、この廃墟さえも消えてなくなる。これが最後なのだ。この場所から、自由を証明できるチャンスは。


第三章


 稲妻の余韻が消えぬうちに、今度は雪が舞い始めた。それは粉雪などという優雅なものではなく、鋭い氷の礫となって私たちの顔を打ち据える。視界は急激に悪化し、イカロスⅣ号の白い機体は、瞬く間に雪のカーテンの向こう側へと消えていった。コントロール不能。絶望という言葉が、部員たちの間に静かに広がっていく。


 「ロストした……? うそでしょ……」

 

 ハルが地面にへたり込む。雪は容赦なく、廃墟のコンクリートを白く染めていく。私たちのこれまでの努力、指を切りながら削ったバルサ材、何度も計算し直した翼の揚力、そのすべてが、この寒々しい冬の闇に飲み込まれようとしていた。千秋の手から、プロポが力なく滑り落ちそうになる。

 

 

 「……まだ、終わってない」

 

 私は千秋の手を握った。手袋越しでもわかる、氷のような冷たさ。でも、その奥にある鼓動は、まだ激しく打っている。「千秋、 telemetry(遠隔測定)の信号は生きてる。機体はまだ、あの中にいるよ。見えないだけで、あの子はまだ飛んでる!」

 

 

 私の言葉に、千秋が顔を上げた。雪に濡れた睫毛が震える。そうだ、私たちはこの冬、一度だって楽な道を選ばなかった。部室が寒ければ毛布に包まって議論し、指が動かなければ熱い缶コーヒーで温め直して、またヤスリを握った。冬という季節は、私たちを痛めつけるためのものではない。私たちの「翼」の真価を試すための、巨大な試練なのだ。


第四章


 私たちは、廃墟の屋上を駆け出した。信号が発信されている方向へ。雪に足を取られ、剥き出しの鉄筋に服を引っ掛けながらも、必死に走った。冷たい風が肺に突き刺さり、息をするたびに喉の奥が焼けるように痛む。だが、そんな痛みさえも、今は心地よかった。生きている。私たちは今、間違いなく、この冬の真っ只中で戦っている。


 「あそこだ!」

 

 千秋が指差した先。旧校舎の時計塔、その崩れかけた先端に、白く輝くものがあった。雪に埋もれかけながらも、それは確かに、私たちの「翼」だった。稲妻の衝撃か、あるいは強風に煽られたのか、機体は逆さまに突き刺さっていた。だが、奇跡的に翼は折れていない。瓦礫の隙間で、まだ、生きようとしている。

 

 

 「取ってくる。私が……あそこまで行く」

 

 千秋が言い出した。時計塔への道は、老朽化が激しく、いつ崩れてもおかしくない。しかし、彼女を止める者は誰もいなかった。私たちは知っている。あの機体が、ただの道具ではないことを。それは、私たちの不器用な青春そのものなのだ。

 

 

 千秋は慎重に、だが迷いのない足取りで、雪の積もった梁を渡っていく。下を見れば、深い闇。落ちれば無傷では済まない。それでも彼女は進む。冬の嵐の中で、彼女の背中が、まるで大きな翼を広げているように見えた。私たちは下で、彼女の名前を呼び続けた。祈り、叫び、この凍てつく世界を声で満たした。


第五章


 千秋が機体を回収し、戻ってきたとき、雪はいつの間にか止んでいた。雲の切れ間から、鋭い月光が差し込み、廃墟を青白く照らし出す。彼女の腕の中にあるイカロスⅣ号は、傷だらけで、所々のフィルムが剥がれ、無惨な姿をしていた。しかし、月光に照らされたその翼は、どんな新品の機体よりも美しく、誇らしげに見えた。


 「……飛んだね。私たち」

 

 千秋が、小さく笑った。その頬には、冷たい風のせいか、あるいは別の理由か、一筋の光る跡があった。私たちは、傷だらけの機体を取り囲む。この冬が終われば、私たちはそれぞれの道へ進む。この廃墟も取り壊され、私たちがここで過ごした時間は、誰の記憶にも残らないかもしれない。けれど、それでいい。

 

 

 私たちは、自分たちの手で「翼」を作り、あの「稲妻」が走る空へと放った。この冷え切った季節の中で、私たちは確かに、自分たちの力で高みを目指したのだ。その記憶がある限り、これからの人生でどんなに厳しい冬が訪れても、私たちは何度でも、新しい翼を削り出すことができるだろう。

 

 

 「さあ、帰ろう。……また明日から、修理だね」

 

 私は千秋の肩に手を置いた。冬の夜気はますます深まり、私たちの身体を冷やしていく。けれど、部室へ続く階段を降りる足取りは、羽が生えたように軽かった。背後では、廃墟が静かに月光を浴びて、眠りについていた。私たちの「翼」は今、一度だけ折れ、そしてより強く再生しようとしていた。瓦礫の中に、確かな希望の火を灯したまま。

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