第一話 辟易、出会い

「え、絶対染めな?真っ黒より断然似合うから」

「うん、考えとく」


 今自分ができる精一杯の愛想笑いで友人と別れる。話しかけられるのは、必要とされている感じがするから別にいい。しかし、それによってなぜ容姿について言及され、自分に対して恥の感情を持たなければならないのか。人の髪色よりも自分らの学力を心配したらどうだ。


…まあもちろん、こんなことは心の中に留めておくのだが。中身は小心者ゆえ、人付き合いを大切にすることは心がけている。しかしだ。今の自分に満足してろくに人生について考えず、これといった勉強もせず、ヘラヘラと遊び歩いているやつに言われたくない。


もっと上品な会話がしたい。良家のお嬢様たちや大正時代の男子學生のように、高貴で知的な会話がしたいのだ。だから、高校という同じレベルの人間が集まるコミュニティに淡い期待を抱き、地元で一番の進学校に入った。だがやはり田舎だからだろうか。結局「環境」の「か」の字も変わらなかった。


人生とは。努力とは。生きがいとは。存在意義とは。こんなに人生が窮屈だなんて。奏音は呆れと怒りに身を任せ、早足で廊下を歩いた。次の授業は数B。テストの点は高くないが、やらないだけで別にできる。そう思って奏音はため息をついた、その時だった。


「っ、すみません」


「あっごめん、大丈夫ですか」


「…はい」


「お前ぶつかってんじゃねえよー、すいませんこいつが」


「…は、はい」


 廊下をものすごい勢いで走ってきた男子にぶつかってしまった。こういう時の奏音は弱い。自分たちが「イケてる」ことに気づいていない集団にとって、私はあまりにも地味で相手にされないことがわかっているし、何かろくでもないことをごちゃごちゃ言われるのが癪だからだ。この場を切り抜ける方法を一刻も早く見つけ、視界から消え去りたいと思う。


簡単な会話を終え、次の授業の教室に向かうことにした。





放課後、奏音は教室にいた。窓側の席で一人、頬杖をつきながら目を瞑る。吹奏楽部の楽器の音、野球部やサッカー部の掛け声が聞こえてくる。夕方の校舎の匂いがする。橙色に染まった教室や、カーテンを揺らす心地よい風も好きだ。


この状況を客観的に見たら、誰もいない教室で静かに黄昏ている痛いヤツに見えるかもしれないが、「そんな自分」に気づいている時点で私は周りより一枚上手である。そんなことを考えていた。


「あれ、このクラスだったんですか」


振り向くと、移動教室中にぶつかった男子がいた。戦慄した。一気に心臓を掴まれた感覚に陥る。何を言われるのだろうか。今朝のことを鼻で笑われるのだろうか。容姿について言われるのだろうか。彼もまた大衆の一人なのか。


落ち着かない自分の四肢に半ば呆れながら、慎重に答える。


「いや、誰もいないから勝手に座ってる、だけです」


「同じ学年だよね。上履きの色、一緒」


「…はい」


「俺、宇多川陸って言います。よろしくお願いします」


「お願いします、田中奏音です」


「なんか部活とか入ってるんですか?俺は陸上部だけど」


「私は、文芸部」


「そっか」


「……田中さんはよくここに来るんですか?このクラス」


「来てたら何か悪いですか」


「いや、別にそんなことはないですよ」


……沈黙が続く。気まずい。陽キャ集団に沈黙はないはずだが、会話がなく静かな状態が続くということは、会話しても楽しくない「つまらないやつ」認定をされたということだろう。それは自分のプライドが許さないが、こちらから話す勇気もない。こう考えている間にも陸は、何か物音を立てながら動いている。しかし一度向き直った体と顔を窓から逸らさずにいる奏音には、陸が何をしているのかわからない。


顔は窓の方向のままだが、この沈黙を破るために、思い切って聞いてみることにした。


「そっちは、何しに来たんですか」


「部活のシューズ忘れちゃって取りに来たって感じです」


「…」


「あ、あった。そしたら俺はこれで、じゃあまたどこ」


「待って」


「、?」


「…音がしない」


「え?」


おかしい。何も聞こえない。さっきまで部員の声も、トランペットの音も聞こえていたのに、今は音どころか風すらない。心なしか夕焼け色が濃くなった気がする。


「静かす、静かすぎます」


「ほんとだ、そんなに時間経ってたんだ。俺、部活のメンバー待ってるしそろそろ帰んなきゃ。」


「……」

私が音に敏感すぎるだけだろうか。それにしてもこんなに静かなのはあり得ないと思った。



カランカランカラン…

カランカランカラン…



聞いたこともない音がした。校舎のどこで鳴っているのか、方向だけがぼやける。窓ガラスがほんの少しだけ震えているということからすると、これは現実で夢ではない。


「何だこの音…」「何これ…」


二人は困惑したまま、その場に立ち尽くした。



……キン

鐘が鳴るまで ここに立て

鳴り終えたなら 門を出よ




「…え?聞こえてますかこの歌?」


「本当に何だこれ、全然知らない曲だ」



桜の下で 待ち合わせ



——————— 曲が止まった。奏音と陸の耳の奥にはまだ余韻が残っている。不思議な体験だった。歌声の中には、ソプラノパートとアルトパートがいて、かすかに低い声も混じっていたような気がする。だが、大部分の声は小学生たち、特に女子によって歌われているように感じた。


透き通った歌声で、なぜか嫌な気分はしなかった。




徐々にいつもの景色や声、音が聞こえ始め、元に戻ってきた。


「わ、初めてこんな歌聞いた。チャイムも今のとは違ったし、どこから聞こえてきたんだろ」

奏音は動揺と少しの好奇心を抑えながら陸に話しかけた。


「俺も両方初めてですよ。今思えばチャイムの前、変に静かだったしさ、歌も校舎の西側から聞こえたような。でも耳に直接ズンって響いてくる感じもしたし、なんか変だったよな」


「俺明日友達に、この鐘の音と歌について何か知らないか聞いてみる」


「私も。今日はもう帰る」


「俺も部活行くわ。じゃ、また」


「…明日ここで聞き込みしてきた情報、共有しますか」


「おっ、いいなそれ。そうしよう」


「じゃあ、また明日」


「おう、またな」


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