「重いんだよ、僕の前に立つな」最弱の肥満貴族に転生したので、死ぬ気で痩せて固有魔法<万有引力>を極めたら、指一本で勇者を圧殺する魔王になった件
kuni
第1話
息をするだけで、肺が悲鳴を上げているのが分かった。
目を開けると、視界いっぱいに広がるのは豪奢な天蓋だ。最高級のシルクであろうシーツの肌触りが心地よい。
だが、それ以上に強烈な違和感が全身を支配していた。
「……ぐ、ぅ……っ」
起き上がろうとして、失敗した。
体が、重い。
比喩ではない。物理的に、岩石でも背負っているかのような重圧だ。
腹部には巨大な肉塊が鎮座し、視線を下に落としても自分の足先が見えない。腕を動かせば、二の腕の脂肪が波打つ感覚が伝わってくる。
「なんだ、これ……」
俺の知っている俺の体じゃない。
昨夜までは、ブラック企業での激務を終えて、コンビニ弁当を食べて寝落ちしただけの、平均的な体型の社畜だったはずだ。
混乱する頭で、のろのろとベッドの脇にある姿見へと這いずる。
ベッドから床に足を下ろすだけで、ドスン、と部屋全体が揺れるような音がした。膝がミシミシと軋む。
そして、鏡の中に映っていたのは――。
「……嘘だろ」
そこにいたのは、人間というよりは、服を着た球体だった。
あごの肉は二重どころか三重になり、首が見当たらない。金髪碧眼というパーツだけ見れば整っているはずなのだが、それが脂肪の海に埋没しているせいで、ただただ不潔で醜悪な印象を与えている。
俺はこの男を知っている。
やりこんでいた超高難易度RPG『レジェンド・オブ・ファンタジア』。
その序盤、主人公である勇者アレンの引き立て役として登場し、そして無様に死ぬ悪役貴族。
ガルガンチュア公爵家の三男、バルトロス・フォン・ガルガンチュア。
通称、『豚公爵』。
「マジかよ……よりによって、こいつか……」
血の気が引いていくのが分かった。
このバルトロスというキャラクターは、設定上は「魔力量だけはトップクラス」という素質を持っている。だが、それをドブに捨てるほどの怠惰と暴食によって、魔法の制御が一切できず、ただの太った置物と化しているのだ。
そして、何より重要なのが――彼の『最期』だ。
原作ゲームのイベント。王立魔法学園の入学式。
そこで平民出身の勇者アレンを見下し、因縁をつけるバルトロス。
激昂したアレンとの決闘になり、魔法を使おうとするも不発。アレンの神速の一撃によって、「その醜い姿こそが悪の証左だ!」という決め台詞と共に斬り捨てられる。
プレイヤーにとっては最初のスカッとする「ざまぁ」イベント。
俺は、その「ざまぁ」される側になってしまったのだ。
「……あと、半年」
記憶が確かなら、今の年齢は十五歳。入学式まであと半年しかない。
半年後に、俺は死ぬ。
斬り捨てられて、豚の丸焼きのように死ぬんだ。
「ふ、ふざけるな……ッ!」
恐怖で震える体が、肉の重みで揺れる。
嫌だ。死にたくない。せっかく二度目の生を得たのに、半年で処刑エンドなんて冗談じゃない。
コンコン、とノックの音が響いた。
「バルトロス様、お食事をお持ちいたしました」
返事をする間もなく、ドアが開く。
入ってきたのは、銀髪のメイドだった。整った顔立ちだが、その瞳には一切の感情がない。いや、よく見ればその奥底には、隠しきれない侮蔑の色が見て取れる。
彼女はワゴンを押してベッドサイドまで来ると、手際よく料理を並べ始めた。
ローストビーフの塊、バターたっぷりのマッシュポテト、クリームシチュー、そしてホールケーキが一つ。
朝食だぞ、これ?
見ているだけで胸焼けしそうな脂と糖質の暴力。
「……本日の朝食でございます」
メイドは事務的に告げる。
これを食えというのか。この、既に限界を超えている体に、さらに燃料を投下しろと?
これは食事じゃない。緩やかな自殺だ。
(食ってたまるか……ッ!)
だが、どうする?
バルトロスは傲慢な美食家だ。「こんなもの食えるか!」と暴れれば、原作通りのキャラだが、それでは何も変わらない。
かといって、「健康のために野菜を……」なんて弱気なことを言えば、使用人たちに舐められる。貴族社会において、舐められることは死に直結する。特に悪役貴族にとっては。
俺は深く息を吸い込んだ。
腹に力を入れる。脂肪の壁の奥にあるはずの、腹筋を意識して。
「……なんだ、これは」
できるだけ低く、威圧的な声を絞り出す。
内心は心臓がバクバク言っている。メイドに「は?」と言われたら泣いてしまいそうだ。だが、俺はバルトロスだ。傲慢で冷徹な貴族を演じなければならない。
「え?」
メイドが初めて、怪訝そうな顔をした。
「私の言葉が聞こえなかったのか? これは、なんだと聞いている」
「は、はい……料理長特製の、最高級ローストビーフと……」
「ゴミだ」
ガシャン!
俺はワゴンに乗った皿を、腕で薙ぎ払った。
銀食器が床に散らばり、肉塊とクリームがカーペットを汚す。
もったいない。ああ、もったいない。現代日本人の精神が「食べ物を粗末にするな」と叫んでいる。ごめんなさい料理長。後で心の中で謝るから許してくれ。
だが、今はこうするしかない。
「このような脂ぎった汚物で、私の崇高な肉体を汚すつもりか?」
メイドが呆気にとられている。そりゃそうだ。昨日まで喜んで貪り食っていたものを、全否定しているのだから。
「さ、下げろ。全てだ」
「し、しかし、バルトロス様の大好物で……」
「好みが変わった。……これからは、そうだな」
俺は冷ややかな目で、散らばった料理を見下ろす。
「野菜だ。新鮮な野菜のみを持ってこい。ドレッシングはいらん、塩とオリーブオイルだけでいい。それと鶏のささみだ。茹でたものを寄越せ」
「や、野菜……ですか?」
「そうだ。私の魔力に見合うだけの、研ぎ澄まされた肉体を作る必要がある。このような豚の餌は二度と持ってくるな」
豚はお前だろ、という視線を感じる。痛い。視線が物理的に痛い。
だが、メイドは俺の剣幕に押されたのか、慌てて床を片付け始めた。
「た、ただちに手配いたします……!」
メイドが逃げるように部屋を出ていく。
ドアが閉まった瞬間、俺はベッドに崩れ落ちた。
「はぁ、はぁ……死ぬかと思った……」
いや、本当に死ぬかもしれない。
空腹よりも何よりも、この体の重さが命取りだ。心臓への負担が半端じゃない。
少し動いて大声を出しただけで、全身から滝のような汗が噴き出している。
「まずは、痩せる。絶対にだ」
だが、ただ痩せるだけでは意味がない。
勇者アレンは強い。原作最強のチート野郎だ。普通のダイエットをして、剣術を少し習った程度では、半年後の決闘で瞬殺される未来は変わらない。
何か、画期的な方法が必要だ。
俺には、バルトロスには、一つだけ武器があるはずだ。
原作では「消費魔力が多すぎて発動すらままならない」「成功しても物が少し重くなるだけの地味な魔法」として扱われていた、固有魔法。
――<万有引力(グラビティ・コントロール)>。
質量ある全ての物体が持つ、引き合う力。
それを自在に操ることができるとしたら?
原作のバルトロスは馬鹿だったから、単に「敵を上から押しつぶす」ことしか考えなかった。だが、現代知識を持つ俺なら分かる。
重力とは、空間の歪みだ。引力と斥力、その応用は無限にある。
「試してみるか……」
俺は右手を前に突き出した。
対象は、部屋の隅にある高価そうな花瓶。
イメージする。花瓶の周囲の重力場を歪め、浮き上がらせるイメージを。
「……ぐ、ぬぅッ!」
全身の血管が浮き出るほど力を込める。
魔力が体内で暴れ回るのが分かる。まるで言うことを聞かない暴れ馬だ。バルトロスの膨大すぎる魔力が、制御されることを拒んでいる。
パリンッ!
突如、花瓶が粉々に砕け散った。
浮いたのではない。全方向からの圧力で圧壊したのだ。
「はぁ、はぁ、はぁ……ッ!」
視界が明滅する。たった一瞬、魔法を使おうとしただけで、目眩がした。
だが、俺の口元には笑みが浮かんでいた。
「……いける」
今のは失敗だ。制御できていない。
だが、威力は本物だ。触れてもいない花瓶を一瞬で粉砕した。この魔力出力は、間違いなく原作トップクラスだ。
問題は、この魔力を通すための「回路(体)」が、脂肪で詰まっていること。
そして、繊細な操作をするための筋力と体力が皆無なことだ。
ならば、やることは一つ。
「ダイエットと魔法訓練、同時進行だ」
俺は重い体を引きずり、ベッドから完全に降りた。
足の裏にかかる自重が痛い。膝が悲鳴を上げている。立っているだけで苦行だ。
「<万有引力>……対象、自分自身(セルフ)……!」
俺は、自分自身に魔法をかけた。
体を軽くする? いいや、逆だ。
「負荷、一・二倍……!」
ズンッ!!
ただでさえ重い体が、さらに鉛のように重くなる。
膝がガクンと折れそうになり、床に手をついた。脂汗が目に入って沁みる。
今の体重が150kgだとして、1.2倍なら180kg相当。
この状態で動くことができれば、それは常時、極限の筋力トレーニングを行っているのと同じだ。
さらに、魔法を維持し続けることで、暴れ馬のような魔力を常に御する訓練にもなる。魔力切れ(ガス欠)寸前の状態を維持すれば、魔力量の底上げにもなるはずだ。
「ぐ、あああああ……ッ!」
床に這いつくばったまま、俺はスクワットの体勢に入った。
一回。
ただ膝を伸ばすだけの動作が、世界の終わりくらい遠い。
太ももの筋肉が断裂しそうだ。心臓が早鐘を打ち、呼吸がヒューヒューと鳴る。
苦しい。痛い。辛い。やめたい。
甘いケーキが食べたい。ふかふかのベッドで寝ていたい。
バルトロスの記憶と本能が、楽な方へと誘惑してくる。
だが。
(……あの「豚を見る目」は、もうたくさんだ)
さっきのメイドの目。
鏡の中の自分。
そして、半年後に待ち受ける、アレンに斬り捨てられる瞬間の絶望的な痛み。
それらを思えば、この程度の筋肉痛など、甘美な刺激でしかない。
「ふ、ん……ぬ、あああああッ!!」
一回。立ち上がった。
全身の毛穴から、老廃物と共に弱音が絞り出される。
「二、回……ッ!」
膝が笑う。視界がぼやける。
それでも俺は止まらない。
この贅肉を全て魔力と筋肉に変えてやる。この醜い姿を捨て去り、誰よりも強く、美しくなってやる。
半年後。
入学式の日。
アレン、お前は俺を見て言うだろう。「醜い豚め」と。
だが、その時には教えてやる。
本当の「重み」というやつを。
「九、回……! 十、回……ッ!!」
豪奢な部屋に、男の荒い息遣いと、床がきしむ音だけが響き続ける。
これが、後に「重力帝」として世界を震え上がらせることになる男の、最初の一歩だった。
待っていろ、勇者。待っていろ、破滅の運命。
俺はこの重力で、全てをねじ伏せて生き残ってやる。
絶対にだ。
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