袋が犬に!?

きゅうりプリン(友松ヨル)

袋が犬に!?

「なんやこれ」

 リビングの床に、茶色い物体が落ちている。

 不定形で、ところどころ表面が乾いてひび割れている。近づくと、むっとした臭気が鼻の奥にまとわりついた。

 どう見ても、うんちだ。

「……いやいやいや」

 俺は立ち止まり、腰に手を当てた。

 視線をそらして、もう一度見る。

「……ない。ないない。ありえない」

 俺はペットを飼っていない。

 鼻息が荒くなり、メガネが白く曇る。

 胸の奥がざわつく。ありえない、ありえない、と同じ言葉が頭の中をぐるぐる回る。

「……落ち着け。俺」

 そう言ってみても、全然落ち着かない。

 昨日のことを思い出す。

 俺は、目が悪い。

 とはいえメガネが苦手だ。長くかけていると目の奥がじんじん痛くなる。だから近所のスーパーに行く程度なら、裸眼で出かける。そこまで視力は悪くない、と思っていた。

 その帰り道だった。

 道端に、うずくまる犬を見かけた。

 白くて、小さくて、やけに大人しそうだった。首輪もなく、じっとこちらを見ている。

「……かわいいな」

 無意識に声が出ていた。

 少し近づいた瞬間、それが犬じゃないとわかった。

 ただのスーパーの袋だった。

「……は?」

 風に煽られて膨らみ、犬みたいな形に見えただけ。

 それだけの話だ。

「あほやなあ、俺」

 自分で自分に突っ込み、思わず笑った。

 家に帰り、スーパーで買った惣菜を食べながら、さっきのことをツイートしようか迷った。

〈犬かと思ったら袋だった〉

 文字を打って、消す。

「……いや、つまんねえ」

 こんなの書いたらセンス疑われる。

 あるある過ぎて、逆に寒い。

 スマホを伏せた、そのとき。

 部屋の隅に置いた袋が、やけに目についた。

「……」

 しばらく見つめてから、俺は呟いた。

「それならさ」

 誰に向けた言葉かもわからない。

「もっと面白くすればいいよな」

 ネタとして成立するくらいまで、振り切ればいい。

 そんな軽い気持ちだった。

 惣菜の空きパックにご飯を詰めて、床に置く。

「……はい、餌」

 自分で言って、自分で引いた。

「ばっかじゃねえの」

 笑いながらも、どこか楽しかった。

 犬用ベッドまで買ったのは、さすがにやり過ぎだと思った。

 だが、ベッドの上に袋を置くと、なぜかしっくりきた。

 スーパーの名前から取って、ライフと名付けた。

「今日からお前は、ライフだ」

 もちろん、返事なんてない。

「……俺、何してんだろ」

 そう呟きながらも、袋を捨てなかった。

 そのまま忘れて、朝になった。

 それから、少しずつ異変が起こり始めた。

「……あれ?」

 餌にしたご飯が、消えている。

「俺、食ったっけ?」

 違う。

 食べていない。

 管理人から電話が来た。

『村田さん、ペットは禁止ってご存知ですよね?』

「はい」

『日中、犬の鳴き声がしたって苦情が出てまして』

「……え?」

『心当たり、ありませんか』

「……ない、ですけど」

 電話を切ったあと、俺は部屋を見回した。

 犬用ベッドは、はっきりとへこんでいる。

「……いや、いやいや」

 触ると、まだ温かかった。

「……まさかな……」

 恐怖を誤魔化すため、酒をたらふく飲み、そのまま爆睡した。

 ――そして、朝。

 リビングに足を踏み入れた瞬間、視界の端に、あの茶色い物体が入った。

「……さすがに、だろ」

 昨日までなかったはずのそれは、床の真ん中に堂々と落ちている。

 量も、形も、どう見ても説明がつかない。

 これはもう、見間違いじゃ済まない。

 袋を持ち上げる。

 これはもう、見間違いじゃ済まない。

 袋を持ち上げる。

「……軽っ」

 軽い。軽すぎる。

 ただの袋なんだから、当たり前だ。

「……なあ、ライフ」

 返事はない。

 床に投げてみる。

「わぉんっ……」

「え!?」

 確かに、犬の声がした。

 しかも、痛そうに。

「……いやいやいやいや」

 そう言いながら、もう一度触る。

 ガブッ。

「いっっった!!」

 手の甲に、鋭い痛み。

 歯形が、くっきり残っている。

「噛んだ!? お前、噛んだよな!?」

 反射的に袋を投げつける。

 床に落ちた袋の一部が、赤く滲んだ。

「……怪我、した?」

 頭が真っ白になる。

「……病院、行こう」

 パニックになり、俺は袋を抱えて外へ出た。

 待合室には犬や猫がいた。

 鳴き声が重なって、耳がうるさい。

 受付で、叫ぶように言ってしまう。

「袋が犬なんです!! ケガしたみたいで!!」

 一瞬の沈黙。

 看護師は俺の手元をちらっと見てから、淡々と聞いた。

「……お名前、お願いします」

 診察室。

 台の上に袋を置く。

「くしゃ」

 獣医はじっと覗き込む。

「これは……」

 少し間があって、

「袋ですね」

「あ、ですよね……」

 胸の力が抜けた。

「やっぱり、俺が……」

 その瞬間。

 袋の中で、何かが膨らんだ。

「……え?」

 息を吸うみたいに。

 カリ、と爪が診察台に当たる音。

 俺と獣医は、同時にそれを見る。

「……今の、見ました?」

 俺が言うと、獣医は何も答えず、聴診器を袋の上から当て始めた。

 しばらくして、淡々と告げる。

「特に異常はないですね」

「いや、異常しかないでしょ」

 獣医はカルテに何かを書き込み、背を向けたまま言った。

「軽傷なので、すぐ治るでしょう。塗り薬を出しておきます」

「……袋に?」

 返事はなかった。

 帰り道、袋を抱えて歩く。

「……なあ、ライフ」

 袋を撫でる。

「元気でよかったな」

 袋の中から、

 くぐもった鼻息と、短く高い鳴き声。

「くぅん」

 その直後、しっぽが、確かに揺れる気配がした。

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