信頼を得る方法
白峰
『聞き役』
信頼を得るのは簡単だ。
時間をかければいい。
努力を惜しまなければいい。
問題は、それを“何のために使うか”だ。
——僕は、それを間違えるのが得意だった。
某企業に入社して三年。
他部署を含む社内の人間に、僕の名前が認知され始めた頃だった。
人事部フロアまでの廊下を歩いていると、目の前に、重そうな箱を抱えた女性社員が居た。
「どちらまで?」
僕がすかさずその箱を持ち上げると、彼女は表情を瞬時に切り替えた。
「内藤さん!えーっと、備品保管庫まで。
運んでくださるんですか!?助かります。」
「もちろん」
目的地まで歩きながら、色んな話を聞いた。
営業部の空気。
人間関係。
仕事内容。
時間にすると往復十分程度だが、かなりの情報密度だった気がする。
昼休憩に入り、喫煙ブースに入ると、同期の坂本が二本目の煙草を咥えたところだった。
「どうした?今日ペース早いな」
「いや……もう俺辞めようかな。向いてねえわ」
眉尻を軽く掻きながら、乾いた笑みを浮かべる坂本は、開発部では“期待の星”と呼ばれていたはずだ。
「……なんかあった?」
「流石にあの案件、三年目の俺が一人で抱えていいもんじゃねえだろ……。」
開発途中のプロジェクトを、上司に丸投げされ、彼にしては珍しく荒れていた。
「大丈夫だよ、坂本なら」
坂本はしばらく黙って一服を続けたあと、ひとつ息を吐いた。
「……もうちょっと、頑張ってみるか」
僕は口角を上げながら、煙草をすり潰した。
ブースをでるころには、いつもの自信家な坂本に戻っていた。
僕は特に何もしていない。
ただ、聞いていただけだった。
業務後、部署合同の飲み会が開かれた。
店は駅前の、可もなく不可もない居酒屋だった。
僕は入口から一番遠い席に座った。
上座には部長、その周りを取り巻くように数人。
僕の隣は空席のままだった。
最初の一杯が空くころ、誰かが、ため息混じりに言った。
「……正直さ、この体制、限界じゃないか?」
言ったのは営業部の部長だった。
声は低く、冗談めかしていたが、周囲の反応で、本気だと分かった。
「上は現場のこと分かってないしな」
「数字だけ見て、あとは丸投げですよ」
誰かが言い、誰かが頷き、
話は自然と同じ方向に流れていった。
僕は、グラスを持ったまま黙って聞いていた。
「このまま続けても、
責任だけ増えて、報われない気がする」
部長がそう言ったとき、一瞬だけ、場の音が落ちた。
誰も否定しない。
ただ、返事を探している沈黙。
その間に、僕は口を開いた。
「……まあ」
全員の視線が、ほんの一瞬だけこちらに向く。
「言わないだけで、
同じこと思ってる人、多いと思いますよ」
それだけだった。
僕はすぐに視線をグラスに落とした。
誰かを見たわけでも、誰かに向けたわけでもない。
沈黙が、肯定に変わるまでに、そう時間はかからなかった。
「……だよな」
「俺も前から思ってた」
「部長だけじゃないですよ」
言葉が重なり、責任の所在が、ゆっくり溶けていく。
誰も、何をするとも言わなかった。
直談判するとも、抗議するとも。
ただ、
「このままじゃダメだ」という感覚だけが、共有された。
二杯目が運ばれたころには、仕事の話は自然と途切れた。
代わりに、
昔の失敗談や、どうでもいい武勇伝が始まる。
笑い声も出ていた。
場は、むしろ和やかだった。
僕は、最後まで端の席にいた。
帰り際、部長がぽつりと漏らした。
「……まあ、考えるわ」
誰に向けた言葉かは、分からない。
僕は、会計の列に並びながら、スマートフォンを確認した。
通知は何も来ていなかった。
それでいい、と思った。
翌週から、空気が変わった。
目に見えるトラブルは起きていない。
遅刻もないし、欠勤もない。
数字だって、まだ落ちていなかった。
ただ、報告が少しだけ遅れるようになった。
「まあ、後でまとめてでいいか」
「急ぎじゃないですよね」
そんな一言が、以前より自然に使われるようになった。
会議では、結論が出ない時間が増えた。
「一旦、持ち帰りましょう」
「現場判断で」
誰も間違ったことは言っていない。
ただ、決める人がいなくなった。
僕は、変わらず人事部のフロアを歩いていた。
コピー機の前で、備品の場所を聞かれ、愚痴を聞かれ、相談を聞いた。
「内藤さんって、話しやすいですよね」
そう言われる回数が、少しずつ増えていった。
ある日、営業部のプロジェクトが一件、止まった。
原因は、「最終判断待ち」。
誰が判断するのか、誰も分からなかった。
次の週、開発部で一人、休職者が出た。
無理をしていた、という話だった。
誰も責めなかった。
責められる構造じゃなかった。
「仕方ないよな」
「今の体制じゃ」
その言葉が、説明として使われた。
社内の掲示板に、匿名の意見が投稿された。
この会社は、誰のために存在しているんでしょうか。
削除されるまで、二時間かかった。
削除されたあとも、誰も話題にしなかった。
飲み会の席で、あれだけ不満を口にしていた部長は、以前より静かになった。
怒っているわけでも、落ち込んでいるわけでもない。
ただ、
決裁書にサインをする速度が、目に見えて遅くなった。
「……責任、重いな」
それが、彼の口癖になった。
僕は、相変わらず誰かの隣に座って、話を聞いていた。
「みんな、同じこと言ってますよ」
そう言うたびに、相手は少し安心した顔をする。
一人じゃない、と思えるからだ。
それが、どれほど危険な安心かを、誰も考えなかった。
三ヶ月後。
社内監査が入った。
数字の不整合。
意思決定プロセスの不透明さ。
責任者不在。
どれも、一日で生まれた問題じゃない。
それでも、報告書にはこう書かれていた。
組織全体に、統制の欠如が見られる。
その文面を見たとき、僕は初めて、少しだけ息を吐いた。
——ああ、
ちゃんと形になった。
僕は何も壊していない。
命令もしていない。
嘘もついていない。
煽動もしていない。
ただ、信頼を、
正しく使わなかっただけだ。
それは、午後の終わりだった。
人事部のフロアは、いつも通り静かだった。
静かすぎる、という言い方のほうが近いかもしれない。
コピー機の音がやけに大きく聞こえる。
内線が鳴った。
「……内藤です」
一拍置いて、事務的な声が返ってくる。
「管理部からです。
少し、お時間よろしいでしょうか」
少し、という言葉がまったく信用できなかった。
指定されたのは、普段使われていない会議室だった。
窓はあるが、ブラインドは閉まっている。
時計だけが、正確に時間を刻んでいた。
中には、三人いた。
管理部の人間が二人。
それと、外部の監査担当らしい男。
全員、
「もう結論は出ています」
という顔をしている。
「お掛けください」
促されて椅子に座る。
沈黙が、
こちらの様子を測るためのものだと分かった。
「最近の件について、 少しお話を伺いたくて」
監査担当が口を開く。
「最近の件、というのは?」
わざと確認する。
男は、手元の資料に視線を落とした。
「社内の意思決定の混乱についてです」
「ああ」
それだけで、何を指しているか分かった。
「内藤さんは、
各部署と関わる機会が多いですよね」
「人事ですから」
事実だけを返す。
「皆さんから、相談を受けることも?」
「まあ、聞かれることはあります」
「どんな内容を?」
少しだけ、考えるふりをした。
「業務の負荷とか、 人間関係とか。
よくある話です」
監査担当は、僕の顔をじっと見たあと、こう言った。
「その際、 どんな助言を?」
助言。
その言葉に、ほんの一瞬だけ、可笑しさが込み上げた。
「助言、というほどのことは」
間を置く。
「ただ、話を聞いていただけです」
本当のことだ。
管理部の一人が、資料を一枚、机の上に滑らせた。
そこには、匿名掲示板の書き込みがいくつか抜粋されていた。
みんな、同じ不満を抱えている
誰に言っても、同じ反応しか返ってこない
「これらの書き込みについて、 心当たりは?」
「特に」
即答した。
「誰が書いたかも分かりませんし」
沈黙。
時計の秒針が、一つ進む。
また一つ。
「内藤さん」
監査担当が、少しだけ声を落とす。
「あなたが、 意図的に何かをした、
という証拠はありません」
でしょうね。
「ただ」
続く言葉を、静かに待つ。
「あなたが関わった人間の周囲で、 同じ現象が起きている」
現象、か。
「偶然では?」
「ええ。偶然と判断することもできます」
管理部の男が、そう前置きした上で言う。
「ですが、
組織というのは、 偶然だけでは壊れません」
その言葉を聞いたとき、胸の奥で、何かが静かに収まった。
——ああ。
ちゃんと、ここまで来た。
「今日は、 事情聴取という形です」
監査担当が言う。
「今後、 追加でお話を伺う可能性はあります」
「分かりました」
それだけ答えた。
それ以上、聞くことはなかった。
会議室を出ると、廊下は、いつも通りだった。
誰も、こちらを気に留めない。
それでいい。
人は、何も起きていない場所にしか、安心していられない。
僕は、自席に戻る。
デスクの上には、未処理の書類が積まれている。
いつもと同じ光景。
——信頼を得るのは、簡単だ。
時間をかければいい。
努力を惜しまなければいい。
問題は、それを“何のために使うか”だ。
────────
以上が、
誰一人として「被害者」を名指しできなかった事件における、
信頼されていた人物の供述である。
信頼されていたことだけが、唯一の事実だった。
信頼を得る方法 白峰 @shiramine00
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