363日目の思い出

為ヶ井ユウ

第1話 363日目の思い出


 床の間に生けられた万年青おもとの横に、不思議な形の果物が転がっていた。


「なんや、これ」


 言いながら指差すと、幼馴染の逸也いつやがこちらを振り返った。


「ああ、仏手柑ぶっしゅかんや。仏さんが手ぇ合わせてるみたいやろ」


 確かに。

 ちょっと気持ち悪いけれど、言われてみれば、黄色い手が合掌しているようにも見える。


「でも……なんや、黄色いカエンタケみたいやな」


 そう言うと、逸也は鼻で笑った。


「縁起もんやで。そんな物騒なキノコと一緒にすんな」


「食べれんの?」


「まぁ、ジャムとかにしかできんけどな」


「ふぅん」


 会話が途切れると、部屋の中はしん、とする。

 ストーブの上のヤカンだけが、しゅんしゅんと音を立てて、余計に静けさが際立つ。


 古く、ゆらぎのある窓からは、葉を落とした紅葉の枝と、万両の赤い実が見える。


 ──まんりょう、ないない。


 あれは何歳のことだったんだろう。

 逸也が、たどたどしくそう言っていたことを、なぜか鮮明に覚えている。

 いや、思い出として語るうちに、あたかも当時を覚えている錯覚に陥っているだけなのだろうけれど。


 そんな小さな時から、彼は植物が好きだった。

 そして私は──彼が好きだった。


 ぱちん、と花鋏の音がひとつ。


 正座した逸也が、正月花を生けている。

 その凜とした佇まいも、真剣な横顔も、鋏を持つ、ごつごつとした手も、見慣れているのに新しい。多分、私の気持ちが毎回新鮮だからなんだろう。

 ──重症なのは、よくわかっている。


「お前、生けおわったんやったら、もう帰れよ」


 じろじろ見ていたからか、彼は呆れたように、そう言った。でも、その目は優しい。


「いやや。帰ったら冬休みの宿題しぃやーって言われるもん」


「宿題より受験勉強やろ。もうすぐやで、試験」


「せやな」


 彼と同じ大学には行けそうにない。

 でも、彼が京都の大学に進むというから、私もここに留まることにした。

 友達には、男で進路を決めるなと怒られ、自分でもそう思うけれど、私はまだ、ここに繋がれていたい。


「なんかちらっと聞いたけど、お稲荷さん、行かへんの?」


 毎年、うちの家族と逸也で、初詣に行っていた。でも今年は、行けないらしいと、母から聞かされていた。


「あぁ、ちょっと無理やねん。避け続けてきたけど、来年は三ヶ日全部、出頭や」


 正月の三日間、お父さんの住職さんと一緒に、本山の法要に出ることになったという。


「大変やなぁ。めっちゃ寒そうやん」


「そら寒いで。あんなでかい法堂」


 話すうちに、彼は松と千両を生け終えて、水盤を手に立ち上がった。


「庫裡の玄関に置いてくるわ」


 ひとり残された私は、そっと仏手柑を取り上げた。

 柑橘の爽やかな香りが立ち上り、思わず目を閉じる。


「ええ匂いやなぁ」


 ひとつ思い出ができた、と頬が緩む。

 お稲荷さんも、ディズニーランドも、どこに行かなくてもいい。

 生活のどこかが繋がっていれば、それでいい。


 障子がすっと開き、逸也が戻ってきた。


「お前、何で仏手柑と手ぇ繋いどんねん」


 その苦笑でさえ、愛おしい。


「誰も繋いでくれんし、仏さんと繋いでるねん」


「さみしいやっちゃ」


 彼は片付けをしながら、肩をすくめる。

 私も箒を持って、ビニール絨毯を掃く。


「……なぁ、隻手の音声って公案あるやん?」


 ぽつりと呟くと、眉を顰められた。


「なんやねん、藪から棒に」


「私やったらさぁ、こう、誰かと合わせたいわ。手ぇを」


 右手を開き、逸也に向ける。

 彼は黄色いゴミ袋に切った枝を放り込みながら、ため息を吐く。


「なんや、その乙女みたいな答えは」


「乙女やし」


 私の隻手は行き場所を失ったように、宙にとどまっている。

 重ねてくれる未来が、あるのかどうか。


 彼は立ち上がり、一歩、私の前に進んだ。


「ほな、仏さんと繋いどき」


 そう笑いながら、仏手柑を手のひらに重ねられる。

 私も、笑った。


「──せやな」


「正月明けたら、ジャムを作ったるわ。パンにつけたら、うまいで」


「ほんま?楽しみやわぁ」


 再び、箒を持つ手を動かす。


 今年363日目の思い出は、こうして来年に続いていく。

 ジャムとパンの思い出は、どこへ繋がるだろうか。













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