その手でふれて

古杜あこ

その手でふれて

 同類だと思っていた。

 誰にでも容易く打ち解けているようで、誰にも心を開いていない。


 行動の端々に表れている。

 さりげなく開けている距離、笑って言葉をはぐらかす会話。


 同じ学部なのに関係は遠く、遠いのに感性は近い。


 それが、雜賀篤志という存在だ。


 

 左手で頬杖をついたまま、右手でマウスのホイールを回す。

 文書ファイルの最終ページに既に達しているから、意味のない行為だ。

 それに気づかないまま平地ひらちは教室の片隅で騒いでいる同学部の学生たちから目をそらすことができなかった。


 バカ騒ぎをしているのはいつものことだ。

 大学生のそれよりも、高校生、いやむしろ中学生にも近い馬鹿話を大声で繰り広げている。

 同じ学年でいるのが恥ずかしくなるような、いつもの景色である。

 であるのにも関わらず目がそらせなかったのは、集団の中の一人が、何のためらいもなく別の一人の背中を叩いたからだった。


 いつもだったら、その手は心を隠すように誰にも触れることなどなかったというのに。


「いってなあ、雜賀! 何すんだよ!」

「大地がアホ言ってるからだろ、な、雜賀?」


 顔を顰めて苦情を申し立てる加賀美大地を見て、雜賀は苦笑している。

 ああいう表情はいつも見せる表情である。だから何も不思議な点はない。

 男同士でああやって手が出ることだって、何らおかしくもない。


 雜賀以外だったら。


「なんで……」


 思わず声に出してしまったが、誰にも気づかれなかったようだ。

 授業が始まる前の教室は騒がしい。

 馬鹿どもはまだ馬鹿な会話を続けている。

 平地は、ただマウスのホイールを回し続けた。



 雜賀という人物は、人と一定の距離を置く、そんなタイプだと平地は理解していた。

 そして、その孤独な様子は平地自身の姿と重なっていて、雜賀を本当の意味で理解できるのは自分だけだろうとそう思ってすらいた。

 一緒に笑い転げている奴らを、内心見下しているのだと想像すると、それだけで愉快だった。いつも周囲を気にすることなく騒ぎ立てる迷惑な奴らの鼻を明かしているように思えたからだ。


 雜賀も大声で笑っている。

 ただ、よく見ればやはり一瞬笑いを止めて真顔になったかと思うと、小さく息を吐いて視線を下にやってから、再び笑いの中へと戻っていく。

 あの一瞬の間が、やはり平地と同じところにいるのだという証明のようで、平地は安堵しようやくパソコンに視線を戻した。

 前の授業のメモを整理するつもりで、最初から読み返す。が、全然考えがまとまらない。

 思っていた以上に動揺していたようだった。


 再度雜賀を見やる。

 引っ込められた手は机の上に置かれて、再び誰かに向かって伸びるようなことはなさそうだ。

 いつもの、雜賀だ。

 落ち着いて文字を追う作業に戻る。今度はちゃんとすらすらの文字が頭に入ってきた。頬を支えていた手をリュックの中に突っ込んでノートを取り出した。


 そうやって文字を追って整理した内容をノートに書きこんでいると、教室の中の騒々しさの種類が少し変わったように感じて、平地は再び顔を上げた。

 女子の固まりが教室に入ってきたのだ。


 男共の声より一段も二段も高い彼女らの声は耳を必要以上に刺激して癇に障る。

 話の内容は幼稚さはないが、中身のない話ばかりだ。

 女子の集団の中に、五十嵐梢の姿を見つけてしまい、平地は反射的に舌打ちした。

 その梢は一瞬だけ男子の集団を見てすぐに目をそらしたことに気づき、違和感を覚えた。

 いつもだったらあの女はずっと男共を見ているはずなのに。正確には雜賀を、だが。


 (何かあったのか)


 鬱陶しいほど雜賀を見つめる梢が今日に限ってはそうしない理由。

 挨拶以外の会話をほとんどしたことがない女子学生の事情など知るはずもない。

 自分がされたわけでもないが、好意の欠片もない相手から見つめられたら嫌悪感が募るだけだ。

 梢が見ているのは雜賀だが、自分のことのように平地は梢に対して煩わしさを覚えていた。


「相変わらず真面目だね、あんた」

「……それ、貶してるだろ」


 知らぬ間に横に座った石山絵菜に声をかけられて、平地は内心驚いたが、何事もなかったようにそう返す。

 同学部生の絵菜とは親しい会話をするような関係ではない。だというのにこんな風に勝手に絡んでくる。

 興味深いからというのは本人の談だが、平地当人からすればどこに興味を覚えるのか不明で不気味でしかない。


「振られたっぽいよ、梢」

「……は?」


 絵菜の口から突然もたらされた悲報なのか、朗報なのか、判断できかねぬ言葉をただ聞き返す。

 梢が振られたからなんだというのだろう。


「本人は否定してるけど、あの感じ雜賀くんに振られたね」

「憶測かよ、友だちなんじゃないのか」

「私が梢と? 別に友達じゃない。梢の方も友達だって思ってないっぽいし。ま、都合がいい存在?」


 絵菜も絵菜で、そんな言葉を何のためらいもなく吐いてしまうあたりが不気味だと、自分のことを棚にあげて平地は思った。

 

「一緒にいて嫌じゃないってのは稀有な存在だとは思ってはいるけどね」

「……そうかよ」

「嬉しいんじゃないの?」


 絵菜に聞かれて、平地は言葉に詰まった。

 嬉しいと思うようなことがあったのか、と考えを巡らせてみるがやはりこの女が何を言っているのかわからない。


「梢が振られて。平地は梢を嫌ってるからさ」

「誰が」


 嫌いではない。嫌いだと思う価値すらないと思っていた。

 そもそも雜賀が梢を振るのは至極当然の事柄で。おさまるところにおさまった、というのが適切な表現なのだろう。

 これで雜賀も心乱されることなく、穏やかに日々を過ごすことができる。

 まるで自分のことのように安心して、平地はぴたりと手を止めた。

 手。

 雜賀が大地の背中を叩いた、あの手。


 どうしてただそれだけの出来事が、こんなにひっかかるのだろう。

 


 授業を終えれば誰かと慣れあうつもりはないから帰るだけだ。

 教室を出ようとすると、女子の集団が入口を塞いでいた。

 目の前のいるのは、女子の中でもひときわ背が小さい梢で、一瞬にして平地の心がささくれだった。


 振られたくせに。と、鼻で笑い飛ばしたら、それに気づいた梢が平地を見た。


「あ、ごめん。平地くんが出たいって」

「うわ、ごめん」

「ああ、ごめんごめん」


 梢が声をかけると、女子の集団たちは口々に謝罪を口にしながら扉の前を譲ってくれる。

 謝られるとほんの少しだけ申し訳ない気持ちがわかないわけではなかったが、それよりも梢の言葉で動くというのが何ともひっかかった。

 ここに立っている人物よりも、梢の方を優先するのは――友人だから、というのは理解がはできた。

 できたが、どうして梢の顔も声も全部がイライラに直結する。


「……雜賀に振られたって?」


 言うつもりもない言葉が飛び出していた。

 しんと、辺りは静まり返ったのがわかったが、平地はやめなかった。


「しつこくしてたもんな。嫌がられて当然だろ」


 梢が泣けば溜飲がくだるのだろうか、そう自問しながらの言葉に、梢が眉を吊り上げたのがわかった。

 怒らせた、と分かった途端、心に湧き上がってきたのは小気味よさだった。

 怒ったということは傷ついたからだ。煩わしい梢を傷つけることができた、それがとても爽快だった。


「んだと」

「平地」

「とおぉ……?」


 今にも掴みかかってくると思われた梢は、平地との間に入って来た人物によって一気にその勢いを落とし、信じられない物を見るような目でその人物ただ見上げている。

 平地も、その梢を見てただ息を飲んだ。


 雜賀だ。

 梢を背に庇うように平地の前に雜賀が立ちはだかった。


「……なんで?」

「人の気持ちを勝手に決めつけるんじゃねえよ」


 決めつける、の意味がわからずただ平地は混乱した。

 何で雜賀が出てくるのか全く理解不能だった。雜賀は梢を傷つけてた平地に対して感謝しても可笑しくないのに。そう思った。

 だというのに、雜賀は怒りを隠そうともせずに平地を睨みつけている。


「決めつけ? だって、雜賀、迷惑――」

「梢ちゃん」


 平地の言い訳のような言葉を無視するように、雜賀は梢の方へと振り向くと、少しだけ躊躇ってから手を伸ばし梢の手を掴んだ。


「え、雜賀、くん?」

「……行こう」

「え? ちょ、えええ?」


 梢は一瞬助けを求めるように平地を見て、すぐに鋭い眼光になって平地を睨みつけたがそのまま雜賀に引きずられるようにその場を去って行った。

 残された平地は、その場に残されたギャラリーと共に呆然とすることしかできない。


「……な、ん、なんだ」

「平地!」


 名前を呼ばれるのと同時に、背中に衝撃が走り平地は咳き込んだ。


「か、加賀美……」

「振られてやんの!」

「だ、だれが……!」


 無遠慮に再度背中を加賀美大地に叩かれ、喘ぐように息を吸い平地はただ大地を敵意を込めて見やることしかできなかった。


「まあまあ、たまには俺らとも遊ぼう、な?」

「絶対に」


 嫌だ、という前に大地に肩を組まれて逃げ道を塞がれてしまった。

 肩に回された手を見やる。先ほど背中を叩いたのはこの手だろう。苦しかっただけの、暴力ではない、手。


 こいつに叩かれたいなんて、誰が思うか。

 さきほど、一瞬引っ込めかけて、それでも梢の手を掴んだ雜賀の手を思い出して、胸がざわついた。

 意味不明だ。何で梢の手を掴んだのだろう。


 あの手に、引っ張って行って欲しかったのは、平地の方だったとでもいうのだろうか。

 少なくとも、平地の肩に回されたこの手が不快であることは間違いなかった。



 ようやく解放された。

 馬鹿に馬鹿話に付き合わされ、――ジュースはおごってもらったが――解放された時には外は真っ暗で、まさに踏んだり蹴ったりとはこのことだ、と平地は誰もいないことを確認してから深いため息を漏らした。

 こんな目に合わなければならないほど、悪いことをしたんだろうか、と自分自身に問いかけてみる。否。確かに梢を傷つけたがこんな目にあうほどではない。あの女思いきり反論しようとしていたし。

 

 馬鹿はやっぱり馬鹿で、つまらない話で馬鹿笑いをする。

 それに付き合わされなければならないのは、拷問でしかない。

 やはり、独りは楽だ。誰かと慣れあうより孤独のままがいい。

 

「……平地」

「!」


 誰もいないはずだったのに、と、声をかけられた平地は飛び上がりそうになるほど驚いた。

 恐る恐る声が聞こえた方を見やると、雜賀が平地の方へと駆け寄ってきた。

 雜賀は平地の前で足を止めると、荒い息を何度か繰り返し、息を整えてからようやく平地に視線を向けた。


「雜賀、あ、あの……」

「どうでもいいけど、梢ちゃんには謝っとけよ」

「そこかよ」


 平地の言動を咎めることもなく、梢への謝罪を要求するとは予想外すぎた。

 雜賀と会話をするのは初めてではないが、こんなに予想外の言葉ばかり吐く雜賀は知らない。

 雜賀が変わったのか、平地が雜賀を理解していなかったのか。もしくは両方なのか。


「つーか、あれはかなり荒ぶってた」

「荒ぶる? 五十嵐さんが?」


 あの小柄な体で暴れても怖いも何もなさそうな気がする、と平地は首を傾げた。

 そんな平地の態度に、業を煮やしたのか雜賀はそれ以上何も言わず顔を伏せるとその場から足早に立ち去って行ってしまった。


「なんなんだよ、本当に」


 理解していたはずの雜賀がわからない。

 それだけなのに、今までにないほど心の中が千々乱れている。そんな自分に戸惑い、ただ平地は立ち尽くすことしかできなかった。




「五十嵐さん、昨日は」

「はあ? 何だよ? 話しかけてくんな」


 ごめんも、言い過ぎた、も言わせてくれず、梢は声をかぶせるように拒否してきたからそのまま平地は回れ右した。

 そんな『荒ぶる』梢の横に座って、平地を馬鹿にしたように薄笑いを浮かべていた絵菜も意味が分からなすぎる。


 わかっていることは一つだ。


「五十嵐梢、あの女は嫌いだ」


 大嫌いだ。

 二度目を胸中で呟いて、平地は彼女らと離れた席へと移動した。




 おわり

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

その手でふれて 古杜あこ @ago_t

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画