何をもって

ナチャーラ

何をもって仲がいいと言えるのか

仲間だと言える定義はどこから来るのだろうか


何でも話せる?

何も言わなくても通じ合える?

辛いときに寄り添えあえる?

どんなことでも冗談で済ませられる?


結局これらは「自分」が思っている境界線だ

相手にとっては話していないこともあるかもしれない

なんとなーくで通じているかもしれない

ただの親切心かもしれない

相手はその場に合わせているだけでよくない気分かもしれない


エスパーでもない限り他人の心は読めないし、相手の発言の真意なんてものはわからない


いじられキャラだとしても超えてはいけない一線が存在する

僕がそうだったから


結局身内の中だけで止まったからよかったけど、広まっていたら居心地が悪くなっていたかもしれない。


そいつらは「あの時はそんな話もあったねw」という感じかもしれないが

僕としてはその話を掘り返されるだけで嫌な気分になる


ただ少し人間関係の方であったくらいだ


ただ自分がしていないことを言われて周りも同調すると

「本人の弁明より噂の方を信じるんだ」という気分になる


今でも彼らに遊びに誘われたりしていくこともあるが、正直居心地が悪い

その頃の自分の話をされたくないからだ


嫌な過去は嫌な過去で割り切りたいし、そういう話をされるといつまでも忘れることが出来ない。


一時期同じ団体として動いてたから彼らは仲間意識が高いが、僕自身はそこまで感じていない


別に今いると友達全員が悪いわけではない。

いつも遊びに行く子もいるし、相談に乗ってくれたり、本音で語れる子もたくさんいる。


根も葉もないうわさとは怖いものである。

人間みんなうわさが好きだから、「面白い!」と感じた噂は瞬く間に広がる。

本人の意に介さずその噂は広がり続ける


そして、別の人のうわさが流れればそっちにみんな動いていく。

元のうわさを忘れて


でも、最初に流された噂の張本人だけはその噂をずっと覚え続けている

だってその人が当事者としてでっち挙げられているのだから


自分の目で見たものではないのに口だけのうわさを信じる

「百聞は一見に如かず」という言葉が存在していない世界のようだ

ただ面白ければいいという考え方に陥っているのかもしれない


でも僕ももう子どもではない

噂ばっかに流されている人は

「あぁこの人は言葉だけで自分の人生の行き先を決めているのだな」

と考えるようにした


人生においてうわさが一つもつかないなんて人はいないと思う

面白半分だったり、気に食わないから陥れよう、なんていう浅はかな気持ちから噂なんてものはできる


本人の気持ちなんてものは関係ない

ただのその場しのぎのエンタメとして見ているだけ


噂というのは便利な言葉である


人間一人いれば流せるのだから

対象者の同意を得る必要性もない

いくらでもエピソードを考えられる


だからこそそんなうわさが流れても目もくれずに自分を信じてくれる親友こそが真の「仲がいい友達」といえるのではないか


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