第九章 因縁の再会

黒沢との戦いから、二週間が経過していた。


 道明は、聖都の医療院で目を覚ました。身体中に包帯が巻かれ、動くたびに鈍い痛みが走る。だが、命に別状はない。リーゼルの力と、医療院の治癒魔法のおかげで、驚くほど早く回復していた。


「道明さん、起きましたか」


 ベッドの横に、リーゼルが座っていた。その顔には、疲労の色が濃い。おそらく、ずっと付き添っていたのだろう。


「……どのくらい寝てた」


「三日間です。ずっと、意識が戻らなくて……心配しました」


 道明は、天井を見つめた。


 三日間。長い眠りだった。だが、その間に——多くのことを考えた。夢の中で、あの老人と話をした。「お化け」の意味を、少しだけ理解した。


「黒沢は……どうなった」


「まだ、生きています。別の部屋で、拘束されています」


「……そうか」


 道明は、ゆっくりと身体を起こした。


 痛みが走るが、我慢できないほどではない。


「会わせてくれ」


「え?」


「黒沢に、会いたい」


 リーゼルは、困惑した顔をした。


「でも、まだ身体が——」


「大丈夫だ。少し、話がしたいだけだ」


 リーゼルは、しばらく道明を見つめていた。


 それから、小さく頷いた。


「……わかりました。でも、無理はしないでくださいね」


「ああ」


 道明は、ベッドから立ち上がった。


 足元が少しふらつくが、歩けないことはない。リーゼルに支えられながら、廊下を歩いていく。


 黒沢が収容されている部屋は、医療院の奥にあった。


 扉の前には、二人の兵士が立っていた。道明の姿を見ると、すぐに道を開けてくれた。


「御者様、どうぞ」


 道明は、扉を開けた。


 中は、薄暗い部屋だった。窓には格子がはめられ、外の光がわずかに差し込んでいる。


 その部屋の中央に——黒沢がいた。


 両手を鎖で繋がれ、床に座っている。顔には傷が残り、服はボロボロだ。だが、その目だけは——まだ、生きていた。憎悪と怒りに満ちた、ギラついた目。


「……来たか、神崎さん」


 黒沢が、嘲笑うように言った。


「勝者の凱旋ってか? まあ、せいぜい威張ればいいさ」


 道明は、黒沢の前に立った。


 しばらく、無言で見下ろしていた。


 それから、ゆっくりと——膝を折り、黒沢と同じ目線になった。


「……何のつもりだ」


 黒沢が、訝しげに言った。


「お前に、聞きたいことがある」


「何だよ」


「お前は、なぜタクシー運転手になった」


 黒沢の顔が、わずかに歪んだ。


「……は? 今さら、そんなこと——」


「答えてくれ」


 道明の声は、静かだった。


 責めるでも、詰問するでもない。ただ、純粋に——知りたがっているだけ。


 黒沢は、しばらく黙っていた。


 それから、吐き捨てるように言った。


「……他に、選択肢がなかったんだよ」


「選択肢?」


「俺は、大学を中退した。就職活動もうまくいかなかった。親には見捨てられた。友達もいない。金もない。何もなかった」


 黒沢の声には、怒りと——悲しみが混じっていた。


「タクシー運転手なんて、最底辺の仕事だと思ってた。誰でもなれる、何のスキルもいらない、底辺の仕事だって。でも、他に選択肢がなかったから——仕方なく、やった」


「……」


「でもな、驚いたよ。俺、意外と売上が良かったんだ。最初の月から、ノルマを超えた。二か月目には、新人の中でトップになった。三か月目には——」


「会社全体でトップになった」


「そうだ」


 黒沢が、自嘲気味に笑った。


「初めてだったんだ。何かで一番になるなんて。学校でも、スポーツでも、勉強でも——一度も一番になったことがなかった。でも、タクシーなら——」


「俺も同じだ」


 道明の言葉に、黒沢が顔を上げた。


「何?」


「俺も、他に選択肢がなくてタクシー運転手になった。二十五年前、妻と結婚して、娘が生まれて——金が必要だった。でも、学歴も資格もない俺には、まともな仕事がなかった」


「……」


「タクシー運転手は、確かに『誰でもなれる』仕事だ。でも、『誰でも続けられる』仕事じゃない。お前も、知ってるだろう」


 黒沢は、黙っていた。


 道明は、続けた。


「最初の一年で、半分以上が辞める。三年続く奴は、三割もいない。五年続く奴は、一割以下だ。——俺は、二十五年やった。お前は、五年だ。どっちも、『続けた』側の人間だ」


「……何が言いたいんだよ」


「お前は、間違えた」


 道明の声が、少しだけ硬くなった。


「売上を上げることに、執着しすぎた。客を『金づる』として見るようになった。先輩を『邪魔者』として見るようになった。——それが、お前の間違いだ」


「うるせえ」


 黒沢が、吐き捨てた。


「綺麗事言うなよ。客なんて、金を払うだけの存在だろ。先輩なんて、俺の邪魔をするだけの存在だろ。——この世界は、競争なんだ。勝つか、負けるか。それだけだ」


「違う」


 道明は、首を振った。


「タクシー運転手の仕事は、競争じゃない。——サービスだ」


「サービス?」


「客を、目的地まで送り届ける。それが俺たちの仕事だ。金を稼ぐのは、その結果に過ぎない。——お前は、順序を間違えた」


 黒沢の顔が、歪んだ。


「くだらねえ……そんな綺麗事——」


「綺麗事じゃない」


 道明が、黒沢の目を見た。


「俺は二十五年間、客を乗せ続けてきた。その中で、わかったことがある。——客は、敵じゃない。客は、俺たちを必要としている人間だ。困っているから、タクシーを呼ぶ。急いでいるから、タクシーに乗る。——その人たちを、目的地まで送り届ける。それが、俺たちの存在意義だ」


「……」


「お前は、それを忘れた。だから、『闘争の御者』になった。客から奪う存在に、なってしまった」


 黒沢は、黙っていた。


 その目には、複雑な感情が渦巻いていた。怒り、悔しさ、そして——どこか、寂しさのようなもの。


「黒沢」


 道明が、静かに言った。


「お前は、まだやり直せる」


「……何?」


「『闘争の御者』の力は、失われた。お前は、今は普通の人間だ。——だから、やり直せる」


 黒沢の顔が、強張った。


「やり直す? 俺に、何をしろって言うんだ」


「俺と一緒に、走れ」


 黒沢が、目を見開いた。


「は……?」


「御者は、俺一人じゃ足りない。この国を守るには、もっと多くの御者が必要だ。——お前が手伝ってくれれば、助かる」


「馬鹿言うな! 俺は、あんたの敵だったんだぞ! 帝国の手先として、この国を攻めようとした——」


「知ってる」


 道明が、静かに言った。


「だから、償え。俺と一緒に、走って償え」


 黒沢は、言葉を失った。


 しばらく、沈黙が続いた。


 やがて、黒沢が——小さく、笑った。


 自嘲でも、嘲笑でもない。どこか、諦めたような——しかし、少しだけ安堵したような、複雑な笑み。


「……あんた、やっぱり変だよ」


「よく言われる」


「敵に、『一緒に働こう』なんて……普通、言わないだろ」


「普通じゃないからな、俺は」


 道明が、立ち上がった。


「考えておいてくれ。急がなくていい。——ただ、お前が『やり直したい』と思ったら、俺はいつでも歓迎する」


 道明は、背を向けた。


 扉に向かって歩き始める。


 その背中に、黒沢の声が届いた。


「……神崎さん」


「何だ」


「……なんで、俺を助けたんだ。あの時、殺すこともできたはずだ」


 道明は、振り返らずに答えた。


「殺す理由がなかった」


「理由?」


「お前は、俺の敵だった。でも、『殺すべき敵』じゃなかった。——ただの、道を間違えた同業者だ」


 道明は、扉を開けた。


「じゃあな、黒沢。また来る」


 扉が、閉まった。


 黒沢は、一人、薄暗い部屋に取り残された。


 その目から——一筋の涙が、流れ落ちた。


         ◇


 医療院を出た道明を、リーゼルが待っていた。


「道明さん、話は——」


「終わった」


 道明は、空を見上げた。


 青い空。白い雲。この世界の空は、いつ見ても美しい。


「リーゼル、次はどこに行く」


「え?」


「『お化け』を集める旅だ。まだ、十一柱残っている。——次は、どこだ」


 リーゼルは、少し驚いた顔をした。


 それから、笑顔になった。


「東の港町です。そこに、二柱目の『お化け』がいるはずです」


「なら、行こう」


 道明は、歩き出した。


 リーゼルが、その隣に並ぶ。


「道明さん、黒沢さんのことは——」


「あいつは、自分で決める。俺が決めることじゃない」


「でも——」


「リーゼル」


 道明が、彼女を見た。


「人は、変われる。二十五年、客を乗せてきた俺が言うんだから、間違いない」


 リーゼルは、しばらく道明を見つめていた。


 それから、小さく頷いた。


「……はい。道明さんが言うなら、きっとそうです」


「よし、行くぞ」


 天輪号が、光と共に現れた。


 道明は、御者台に乗り込んだ。


 リーゼルが、隣に座る。


「アウルス、東の港町までのルートは」


『直線で五十里。馬車なら、一刻で着く』


「よし、行こう」


 馬車が、走り出した。


 聖都を離れ、東へ。


 二柱目の「お化け」を求めて。


 神崎道明の旅は、続いていく。

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