第三章 走り方を忘れた国
リーゼルの案内で、道明は聖都アルカディアの街を歩いていた。
神聖馬車——「天輪号」は、王城の厩舎に預けてある。アウルスによれば、馬車を呼べばいつでも来るらしいが、今は徒歩で街を見て回りたかった。土地勘をつけるには、自分の足で歩くのが一番だ。
「この通りは『中央大路』と呼ばれています。聖都で一番広い道で、王城から港まで一直線に繋がっています」
リーゼルが、一生懸命に説明する。
道明は、頷きながら周囲を観察していた。
道幅は、片側二車線——いや、馬車二台分くらいか。石畳は丁寧に敷かれており、凹凸はほとんどない。排水溝も整備されている。道路の設計としては、かなり優秀だ。
だが——
「馬車が少ないな」
道明は、ぽつりと言った。
リーゼルが、困ったように笑う。
「はい……今は、馬車を使う人があまりいないんです」
「なぜだ」
「えっと……いろいろ事情があって……」
彼女の歯切れが悪い。何か、言いにくいことがあるらしい。
道明は、追及しなかった。代わりに、周囲の様子を観察し続けた。
店が並んでいる。食料品店、衣料品店、雑貨店。品揃えは悪くなさそうだ。人通りも、そこそこある。だが、どこか——活気がない。人々の表情に、覇気がない。まるで、何かを諦めているかのような。
「……この国は、どのくらいの歴史があるんだ」
「千年以上です。建国から、ずっと御者の一族が国を守ってきました」
「御者の一族?」
「はい。代々、神聖馬車を操る力を受け継いできた血統です。でも、百年前に——」
リーゼルが、言葉を止めた。
道明は、彼女の顔を見た。その瞳に、深い悲しみの色が浮かんでいる。
「——百年前に、何があった」
「大戦争です」
リーゼルの声は、かすかに震えていた。
「隣国——黒鉄帝国との戦争で、御者の一族は全滅しました。最後の御者が倒れたとき、神聖馬車も動かなくなって……それ以来、この国は——」
「衰退した」
「……はい」
道明は、もう一度、街を見回した。
なるほど。活気がないのは、そういう理由か。
御者がいない。神聖馬車が動かない。この国のシンボルであり、守護者であった存在が失われた。それは、国民の心に大きな傷を残したのだろう。
「その戦争は、どうやって終わった」
「講和です。黒鉄帝国が、条件つきで停戦に応じました」
「条件?」
「毎年、膨大な量の資源を献上すること。それと——」
リーゼルが、また言葉を止めた。
「——それと?」
「御者が復活しないよう、監視すること」
道明の目が、わずかに細くなった。
「……つまり、俺が御者になったことは、黒鉄帝国にとっては都合が悪いってことか」
「はい……だから、今は秘密にしておいた方が——」
「遅いだろ」
「え?」
道明は、肩をすくめた。
「さっき、街中を馬車で走った。大勢の人間が見てる。噂はすぐに広まる。もう隠しようがない」
リーゼルが、青ざめた。
「そ、そうでした……どうしよう……」
「心配するな。どのみち、隠し続けることは不可能だ。それなら、堂々としていた方がいい」
「でも、黒鉄帝国が——」
「来たら、その時に考える」
道明は、淡々と言った。
心配しても仕方がない。今、自分にできることは、この国の状況を把握し、御者としての仕事を始めることだ。それ以外のことは、後回しでいい。
——損切りも営業のうち。
余計なことに気を取られていては、肝心な仕事がおろそかになる。
「リーゼル、話を変えよう。この国には、『依頼』の仕組みはあるのか」
「依頼?」
「御者に対する仕事の依頼だ。誰かを乗せて、どこかに送ってほしいという——」
「ああ、それなら『御者組合』があります! 今は機能していませんが、かつては御者への依頼を取り次ぐ組織がありました」
「御者組合か……」
それは、タクシー会社の配車センターのようなものだろう。であれば、そこに行けば、仕事の流れがわかるかもしれない。
「案内してくれ」
「はい!」
リーゼルが、先導して歩き出す。
道明は、その背中を追いながら、考えていた。
この国は、百年間、御者なしで過ごしてきた。
つまり、「御者に頼む」という習慣そのものが失われている可能性がある。かつての依頼システムは、形骸化しているかもしれない。
——需要の掘り起こしからか。
厄介な仕事だ。だが、やりがいはある。
新規開拓。それは、タクシー運転手にとっても重要なスキルだ。決まったルートを走るだけでは、売上は頭打ちになる。新しい客層を開拓し、新しい需要を創り出す。それが、できる運転手とできない運転手の差を分ける。
道明は、小さく笑った。
——異世界でも、やることは同じか。
◇
御者組合の建物は、中央大路から少し外れた場所にあった。
かつては立派だったのだろう。白い石造りの三階建て。正面には、馬車の車輪を象った大きなレリーフが掲げられている。
だが、今は——
壁は汚れ、窓ガラスは割れ、レリーフは苔に覆われている。建物全体から、放棄された空気が漂っていた。
「……ここか」
「はい……すみません、こんな状態で……」
リーゼルが、申し訳なさそうに言う。
道明は、建物の前に立ち、しばらく眺めていた。
百年。人がいなければ、建物はこうなる。当然のことだ。
「中に入れるか?」
「たぶん……鍵は、管理局が持っているはずです。でも、今は誰も——」
「待ってろ」
道明は、建物の周囲を歩き始めた。
正面の扉は、確かに施錠されている。だが、裏手に回ると——案の定、勝手口があった。その扉は、蝶番が腐食して半開きになっている。
道明は、身を屈めて中に入った。
埃っぽい空気が、鼻を突く。光は乏しいが、目が慣れれば何とか見える。
広い部屋だった。おそらく、かつては受付カウンターがあったのだろう。今は、カウンターの残骸と、崩れた棚が散乱している。
道明は、慎重に歩を進めた。
床板が軋む。天井から、埃が舞い落ちる。
奥に、階段があった。二階に上がると、さらに広い部屋に出た。
壁一面に、古い書類棚が並んでいる。その多くは空だが、一部にはまだ紙束が残っている。
道明は、その一つを手に取った。
埃を払うと、文字が浮かび上がった。この世界の文字だ。なぜか——読める。アウルスが言っていた「御者の力」の一部なのかもしれない。
「——依頼書、か」
それは、百年前の依頼記録だった。
日付、依頼者名、行き先、料金。タクシーの乗務日報と、驚くほど似ている。
道明は、次々と書類を手に取った。
どれも百年前のものだ。依頼内容はさまざま。人の移送、荷物の運搬、緊急の連絡——御者の仕事は、多岐にわたっていたらしい。
そして、どの書類にも、最後に一言が添えられていた。
「功徳」。
その言葉が、何を意味するのか。道明は、アウルスに聞いてみることにした。
「——アウルス」
呼びかけると、手の甲の紋章が光った。そして、どこからともなく、アウルスの声が聞こえてきた。
『なんだ』
「功徳、って何だ」
『……急に何を聞く』
「この組合の書類を見てる。すべての依頼に、『功徳』という言葉が書かれている。どういう意味だ」
アウルスは、しばらく黙っていた。
それから、低い声で答えた。
『功徳とは——御者が積む「徳」のことだ。人を助け、正しき道を歩むことで、御者の力は増していく。その蓄積を「功徳」と呼ぶ』
「つまり、売上みたいなものか」
『……売上?』
「俺の世界では、タクシーの運転手は『売上』で評価される。客を乗せた距離と時間に応じて、金が入る。その累計が売上だ」
『なるほど。似ているな。功徳は、金ではなく「力」として蓄積される。御者の能力を高め、神聖馬車の性能を向上させる』
「じゃあ、俺が依頼をこなせばこなすほど、強くなるってことか」
『そういうことだ。ただし——』
「ただし?」
『功徳は、「正しい行い」でなければ積まれない。金のため、私欲のための行動は、功徳にならない。場合によっては、マイナスになることもある』
道明は、頷いた。
それは——タクシー運転手の心得と、よく似ている。
客を「金づる」として見る運転手は、長続きしない。たとえ一時的に稼げても、いずれ客から嫌われ、苦情が増え、会社から切られる。
逆に、客を「人間」として見る運転手は、信頼を勝ち取る。リピーターがつき、指名が増え、安定した収入を得られる。
——結局、どこの世界でも同じか。
「わかった。じゃあ、早速——」
『待て』
アウルスの声に、緊張が混じった。
『誰かが来る』
道明は、反射的に身構えた。
階段の方から、足音が聞こえる。複数。少なくとも三人以上。
「——そこにいるのは誰だ!」
男の声が、響いた。
道明は、ゆっくりと両手を上げた。
「怪しい者じゃない」
「怪しくない奴が、閉鎖された建物に不法侵入するか!」
階段から、数人の男が現れた。
制服を着ている。おそらく、この国の治安組織——警察のようなものだろう。
先頭の男が、道明を睨みつけた。
「お前、何者だ。ここは立入禁止だぞ」
「すまない、知らなかった」
「知らなかった? 入口に看板が——」
男が、言葉を止めた。
道明の手の甲が、金色に光っていたからだ。
「……その紋章は」
「ああ、これか」
道明は、右手を見せた。
「俺は神崎道明。今日から、この国の『御者』になった」
男たちの顔色が、一瞬で変わった。
驚愕。困惑。そして——畏怖。
「ご、御者様……!?」
「本物、なのか……」
「馬鹿な、百年ぶりに——」
口々に呟きながら、男たちは跪いた。
道明は、ため息をついた。
「……立ってくれ。頼むから」
◇
騒ぎを聞きつけて、リーゼルが駆けつけてきた。
彼女の説明で、事態は収まった。どうやら、王からの正式な布告がまだ出ていなかったらしく、治安組織の人間は道明のことを知らなかったのだ。
「申し訳ありませんでした、御者様」
先ほどの男——治安組織の隊長だという——が、深々と頭を下げた。
「いや、俺が悪い。勝手に入り込んだのは事実だからな」
「とんでもありません! 御者様がこの建物に興味を持たれるのは当然のこと。むしろ、我々の管理が行き届いていなかったことをお詫び申し上げます」
道明は、困った顔をした。
この国の人間は、御者に対する敬意が強すぎる。話しにくくて仕方がない。
「……一つ、聞いてもいいか」
「はい、何なりと」
「この建物——御者組合を、使えるようにしたい。修繕して、機能を回復させたい。可能か」
隊長は、目を丸くした。
「使える、ように……?」
「ああ。俺は御者として働くつもりだ。だが、依頼を受ける窓口がないと、仕事にならない。この組合を復活させれば、依頼を受け付けることができる」
隊長は、しばらく黙っていた。
それから、顔を輝かせた。
「……素晴らしいお考えです、御者様! 確かに、御者がいても依頼の仕組みがなければ——すぐに、上に報告いたします! 王城に予算を請求し、職人を手配し——」
「待て」
「は?」
「大袈裟にしなくていい。まずは、この部屋の掃除だけでいい。依頼を受け付けるスペースができれば、それでいい」
隊長は、困惑した顔をした。
「しかし、御者様にふさわしい環境を——」
「俺は、豪華な環境は要らない。走れればいい。客を乗せられればいい。それだけだ」
道明の言葉に、隊長は何も言えなくなった。
リーゼルが、そっと道明の袖を引いた。
「道明さん……」
「ん?」
「あの、少し——」
彼女は、道明を部屋の隅に連れていった。そして、小声で言った。
「道明さん、この国の人たちは、御者様にとても期待しているんです」
「わかってる」
「でも、道明さんは——その、あまり……」
「偉そうにしない、ってことか」
「はい……」
道明は、小さく笑った。
「俺は、元の世界でもタクシー運転手だった。お客様に頭を下げて、丁寧に応対して、目的地まで安全に送り届ける。それが俺の仕事だった。急に偉そうにしろと言われても、できない」
「でも、御者様は——」
「リーゼル」
道明は、彼女の目を見た。
「俺は、『御者様』じゃない。ただの道明だ。そう呼んでくれ」
リーゼルは、しばらく道明を見つめていた。
それから、ふっと笑った。
「……わかりました。道明さん」
「よし」
道明は、振り返った。
隊長たちが、まだ困惑した顔で待っている。
「——すまん、待たせた。さっきの話だが、掃除だけでいい。人手を貸してくれるなら、ありがたい」
「は、はい……わかりました」
「それと、もう一つ頼みがある」
「何でしょう」
「この国の人間に、伝えてくれ。『御者が戻った。依頼を受け付ける。困っていることがあれば、何でも言ってくれ』と」
隊長の目が、見開かれた。
「——本当に、よろしいのですか」
「ああ。何でもいい。人の移送、荷物の運搬、緊急の連絡——何でも受ける。それが、御者の仕事だからな」
隊長は、深く頭を下げた。
その目には、涙が光っていた。
「……ありがとうございます、御者様。いえ、道明様。百年間、我々は——」
「礼はいい。仕事をくれ。俺は、走りたいんだ」
道明は、窓の外を見た。
聖都の街並みが、夕日に染まっている。
この国は、百年間、「走り方を忘れた」と言っていた。
——なら、思い出させてやる。
神崎道明は、五十六歳にして——この世界で、新しい営業を始めようとしていた。
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