津田沼陰陽記

川崎イヌジロー

第一部「虚飾貪婪ノ鬼(きょしょくどんらんのき)の怪」

第一話:ブランコと鬼

 津田沼に風が吹く。南から吹く風には東京湾の匂いがする。潮風というには爽やかさの足りない、やや油混じりの匂いが鼻をつく。


 津田沼一丁目公園にはまだ暑さが残っている。ほんの少し秋の気配がしはじめた時期ではあるが、街路樹の葉はまだまだ青く、その大きな葉はまだ枯れる様子がない。津田沼の街路樹はどうしてか、マロニエなのだ。


 夜の訪れを早く感じるようになった九月の下旬。それでも夜の二十一時ともなるとあたりは暗い。そんな時間に若い女性が一人でブランコを漕いでいるとなれば、通りがかる人は誰しも目を止めてしまうだろう。きっと、なにごとかあったに違いないと。


 およそ尋常ではない様子で女性がブランコを漕ぐ。顔は険しく、親の仇を見つめるような眼をしているのでなおさら注意を集めそうだ。しかし、誰にも見えていない。


 というのも、彼女は結界を公園に張っているからだ。妖怪を退かせる結界ではない。人から身を隠す結界だ。彼女を見ることは基本的にできない。


 結界は、公園を取り囲むように太い五寸釘が五本、五芒星の形になるよう、その頂点に打ち付けられている。釘の一本一本に護符が貼られており、護符には梵字の「キリーク」と阿弥陀如来を示す文字が書かれている。


 これにより、阿弥陀如来に借りた力を金(ごん)の気として扱い、結界を強化している。阿弥陀如来は、生きとし生けるものすべてを救い上げると誓った、終わりなき慈悲の化身だ。つまり、「人を助ける」ことを前提とした願いでなければ力を借り受けることができない。


 これからブランコの周辺で起こる怪異から人を守るという願いが「他人から見えない、寄せ付けない」効果を成立させている。願いが純粋であるほど結界は強くなる。


 さび付いたブランコの鎖が擦れ、悲鳴のような音を上げる。金切り声のような耳に障る音が、さもその女性が叫んでいるように聞こえる。


 金属による結界だ。五行の「金」の気を溜めるために五寸釘を用い、さらにブランコの金属運動によって、その気を加速、集積させている。


 ブランコのかたわらに鬼が立っている。筋骨隆々な鬼神だ。五行の彩りを拒絶したような、鈍い灰色をしている。彼女を見つめながら、悲しそうな顔で口を開く。


「俺も好きでお前を喰ってるわけじゃねえんだぞ」


 ブランコに集まった金の気が結界の中で渦巻きはじめる。髪が風を切る音がする。女性の長い髪がブランコに流されながら、さらにその渦の気流に舞い上がりはじめた。


 津田沼は繁華街といえる。夜の二十一時であれば車の通りが多く、この時期は異常なまでに繁殖したムクドリの声が騒がしい。しかし、結界の中はまるで重たい金属で蓋をされたように喧騒がくぐもって聞こえる。


「うん、わかってるよ。感謝もしてる」


 そう答える女性は物憂げだった。そしてまた聞いた。


「ところでさ、美味しいの? 私」

「うめえ。困ったことにうめえ」


 そんな物騒な話をしている女性の目線に一人の男が入った。同年代でバイト先が同じの浪人生。知ってはいるが話したことはない。こっちを見ている。


「おい、あの男こっちが見えてんぞ。てか、俺のことが見えんのか?」


 鬼神が言う。見えないはずの結界の中でその浪人生と目が合った。起こるはずのないことに鬼は焦り、女性に踵を返す。


 男は軽々と結界の中に足を踏み入れた。まるで布に刺す針のようにすうっと。


 結界は鉄の蓋が割れたような甲高い音がして、五寸釘が震えた。ムクドリの群れがけたたましく鳴く声が耳に突き刺さるように流れ込んだ。その声に男は一瞬、気を取られたがまたかと言わんばかりの涼しげな顔で話しかけてきた。


「糸井さん、だよね? こちらは鬼滅の刃? よくできてる」


 予想外の事態に糸井と呼ばれた彼女と鬼は焦った。


「間に合わない!」


 その瞬間、ブランコに地響きが伝わり糸井の足元がめくり上がる。泥礫を跳ね上げる衝撃音が聞こえ、砂塵が舞う。穴の底から這い出したのは異形の姿だった。


 虚飾貪婪ノ鬼。糸井と鬼神がおびき出した鬼だ。様相は黒い人影のような体躯に、骨に見える鎧のような外骨格をまとっている。その不気味な黒い影が、糸井を睨む。


「やるしかない!」


 糸井がそう吐き捨てると、灰色の鬼神が殴りかかる。鬼神の右拳が異形の頬を打つ。衝撃を殺しきれずのけぞるが、外骨格を軋ませながら無理やり踏みとどまる。


 のけぞった姿勢を保ち、わなわなと外骨格が震える。打たれた頬をそのままに力み、姿勢を戻そうとする。しかし、鬼神は打った右こぶしをそのまま押し倒そうとさらに押し付ける。


 姿勢を戻せず押し込まれた瞬間、虚飾貪婪ノ鬼は鬼神の右腕を掴むと鬼神が怒声を上げる。掴まれた右腕がひしゃげたのだ。


 鬼神が無我夢中で蹴り上げると、外骨格がよろめいた。その隙に右腕を引き抜き、後ろへ距離を取る。だらりと下がる右腕は複雑骨折し、骨が飛び出ていた。


 明らかに劣勢。「ここでやらないとまた誰かが死ぬかもしれない」と糸井は思った。そして両手を組み、印を結んだ。人差し指の腹と腹を合わせ、親指をくみ、その他の指は互いに挟み合うように組んだ不動根本印(ふどうこんぽんいん)を結び、不動明王に力を借りる。


「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン」


 不動根本印の真言を唱えると印に光が揺らぎ、気を溜め、糸井は重たく口を動かした。


「この胸の はやる鼓動を 糧として 朱(あけ)に染まれよ 夜の現(うつつ)を」


 五七五七七という定型に縛られた言霊は、呪力(マントラ)となって糸井の命を削り取る。彼女の胸に灯った炎のような赤い光は、心臓の鼓動を熱に変え、火花となって鬼神へと流れ込んだ。


 鬼神が口を開くと、その光が口の中に現れ、その牙で猛然と嚙み潰す。口から血が滴り、舌なめずりをする。


 鬼神の心臓の鼓動が強くなる。全身を強張らせると姿が変わりはじめ、筋肉という筋肉が脈動し、体が一回りほども巨躯と化した。右腕は元に戻り、全身はまるで炎を思わせる出で立ちだ。そして、ニヤリと笑う。


「さあて、本番だ」


 糸井が心臓を押さえて倒れこんだ。鬼神に力を与える代償に、心臓を握りつぶされたような痛みが糸井を襲い、視界がぼやけ呼吸もおぼつかない圧迫感を受けた。心配そうに男が近寄るが、それを糸井が片手で制すと、唇から鮮血が垂れた。


 鬼神がそれを傍目で見、舌打ちをする。男は逃げたくなったが、ここで逃げたら一生後悔する気がした。男はその直感を信じて勇気をふり絞り、意識が朦朧としている糸井を抱きかかえその場を離れようとしたが、鬼が制した。


「そのままそこにいてくれ! 離れられると困る。ありがとな」


 異形が飛び掛かり、鬼神に馬乗りになる。上から浴びせかけるように殴打を繰り返し、その度に鬼神の頭蓋に鈍い音が響く。


 とどめと言わんばかりに異形が拳を振り上げ、叩きつける。鈍い音は響かない。拳は鬼神に噛み砕かれていた。


 異形が悲鳴を上げてのけぞった。それを蹴り上げて弾き、鬼神がゆらりと立ち上がる。口に挟まった異形の拳を勢いよく吐き捨て、地面に打ち付けた。血と唾液が飛び散って泥にまみれる。


「まずい骨せんべいだな。ゲロ吐きそうだ」


 言い捨てるや否や炎のような鬼神は異形の腹を目掛けて殴りつける、異形はすんでのところで身をかわし、距離を取った。


「逃げてんじゃねえよ。まずかろうが料理してやんよ」


 鬼神はそう言うと右手の甲を異形に見せ、指でひょいひょいと手招いた。それに呼応するように異形が奇声を上げて、かじられた方の腕を前に構える。


 むき出しになった骨、折れて先の尖った骨が見え、蠢いた。その骨の根元の肉が風船のように膨らみ、先のとがった骨を発射した。狙いの先は糸井だった。


「クソッ」


 鬼神は庇おうとするも遠く、間に合わないと感じた、しかし糸井を抱えた男が傍らのバッグを持ち、構えて横に振るった。


 男が振りぬいたバッグには深々と異形の骨が刺さっている。骨が刺さった瞬間にバッグの中にあった予備校の教科書が千切れ周囲を舞った。


「テキスト、弁償してくれ!」


 この男は誰にともなく叫んだ。千切れたテキストには油性のマジックで「針生」と書かれている。この男の名前である。


「いいな! 気に入った」


 炎の鬼神は異形を組み伏せ、妙な真似ができないよう押さえこんだ。異形は力み、全身の筋肉を強張らせ震わせたが、振り払うことができない。


「知らねえのか? 五行の金は火(か)に弱いんだよ」


 鬼神から激しい炎が上がり異形に燃え移った。炎から出る気流が糸井と針生の髪を揺らす。音を立てて燃えはじめた異形が苦悶の叫びを上げ、体をなおも揺さぶる。もうどうすることもできないようだ。


 さらに鬼神は異形を締め付ける。外骨格が割れる音がして、なおも炎は燃え焦がす。火の粉が揺れ、ついに異形の首が折れて落ちた。


「すごい」


 針生は目前の光景に圧倒されながらも、糸井を抱きかかえ燃える様を見続けていた。そのとき、地面に落ちた異形の眼が開いた。鬼神は燃えカスと果てた異形の体を打ち捨て、眼を開いた頭を踏み潰しにかかる。


 踏みつけた足元から砂煙が舞い、その衝撃が公園に響く。空振りだ。異形は首だけになりながらも避けたのだ。よく見ると首から昆虫のような脚が無数に生え、わしゃわしゃと這いずり回っていた。


「虫野郎が!」


 鬼神は首に飛び掛かろうとしたが、這いずる昆虫と化した異形は素早く、公園を抜けて夜の総武線の線路に消えていく。その手前を成田エクスプレスが颯爽と走り抜けた。


「チッ」

「逃げたのか?」


 舌打ちする鬼神に、針生が聞いた。もう安全なのか確かめたかった。


「ゴキブリホイホイでも持ってくるんだったよ」


 そう皮肉る鬼神は炎のような姿から、元の出で立ちに戻っていた。そうして公園を片付け出した。異形の出てきた穴を雑に埋めはじめ、針生もそれに倣うように素手で土を押し固めた。元通りというわけではないので、気づく人なら気づいてしまうだろう。しかし、まさか鬼が血肉を爆ぜて戦った跡だとは知る由もない。


 鬼神は最後に結界に使っていた釘をすべて引き抜き、針生に渡した。


「これはオレにとって扱うのが難しい。あずかっててくれ。あと、その子を家まで運んでくれないか? オレが担いでもいいんだが、お前以外の人間からすると宙に浮いてるように見えちまう」

「わかった」


 針生は釘と護符をバッグのまだ破れていない内側のポケットにしまい込み、糸井を背負った。


「今まで何度か変な生き物を見たことはある。けどこんなのは初めてだ」

「すまないな、家まで案内する。それと、いくつか教えて欲しいことがある。あとで聞かせてくれ」


 糸井を背負い、それを下から支える鬼神が「その角を右」など言いながら案内をした。ムクドリのさえずりがうるさく聞こえ、帰路に就く人々の喧騒の中に消えていった。

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2026年1月18日 18:00
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津田沼陰陽記 川崎イヌジロー @inujirow

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