第1話 影の薄い少年

 季節外れの朝霜が降りるほど、冷え込んだこの日の畑には、湿気った空気の中、有機肥料のすえた匂いが立ち込めていた。

 風通しの良い肌寒さ、鳥のさえずり、草木の擦れる音――。辺りを見渡さなくても、今ここには自分の他に、言葉を話す人間が一人も居ないとわかる。


「早く着きすぎたかな……」


 蛍光オレンジのケープを肩にかけ、少年は畑の作物を眺めていた。半月と棚雲の意匠が手の甲に施された、革製の園芸グローブを手にはめて、左肩には授業内容を記録するための、ノートと筆記用具が入ったカバンを掛けていた。


 魔法は才能の一つとして、老若男女がその研鑽を積むこの地、ティダルでは、国の若者の多くが、本人の能力に合った魔法学校に通うことになる。

 その学び舎の最高峰として数えられる、ここアーカス魔法高等学院では、授業の一環として、修羅の実セーデルと呼ばれる、魔力によって育つ木の実を、生徒たちの手で栽培していた。


 そろそろ、ただ立っているのにも疲れた少年は、手頃な石に腰を掛けた。校章の入ったグローブを外し、両手の指先を少し重ねて、くるくると落ち着きなく動かす。

 頭上では、熟して丹色になった修羅の実セーデルが、風が吹く度に枝をしならせ、ゆっくりと揺れていた。


 ――意識して早めに着いたとはいえ、そろそろ一人くらい、クラスメイトの姿が見えてもおかしくない。それでなくとも、誰かの話す声が聞こえてくるだけで、この不安は和らいだはずだ。


  修羅の実セーデルは、晩夏には収穫の時期を迎えるため、予め伝えられている時間割に、違和感を覚えることはなかった。 

 そもそも、直前で授業内容が変更になったとしても、教師から連絡が来れば、大抵の生徒は気がつくものだった。 


 だが、この少年だけは事情が違った。

 チャイムが鳴る二分前になっても、教師はもちろん、生徒が誰一人現れない。ここでようやく、彼の不安は確信に変わる。


 この時間、ここでは授業が行われないのだと。


「まただよ、あ〜……。だからさぁ、本当に……、いい加減誰か、教えてくれてもいいだろ……」

 

 少年はこうした連絡を、忘れられてしまうことがよくあった。教師にもクラスメイトにも、悪意は無い――と信じたい。だが、結果的にこの手の勘違いが改善されることはなく、周囲から見過ごされてきた。この経験に慣れはしても、落胆する自分に慣れることはなかった。


 少年は荷物をまとめ、足早に畑を後にした。陽の光が全て照り返すような、象牙色の校舎の方へ向かう。


 鈍色の屋根の輪郭が、まだはっきりと見える距離で、始業のチャイムは鳴り響いた。反射的に走り出すと、カバンの中身が揺れ、体の重心が傾いた。左脇を庇うように締めたとき、胸の底がまた痛むのを感じた。



  ◇



 この学院の生徒は、食堂で昼食を摂ることが規則で決められている。これについては、栄養状態に偏りが出ないようにするためと、生徒同士の交流を活発にするためだと、入学前説明の際に聞かされる。


 今日の献立は、ミレイア牛の葡萄酒煮、羽兎の卵のオムレツと、果実と野菜のポタージュ、海藻サラダ。主食のパンは、常に焼きたてが補充されていく。


 賑やかな談笑が、食堂内を明るく満たした。上質な脂に火を加えることで、芳しく広がる料理の香りは、育ち盛りの生徒たちの空腹を刺激するには、十分すぎるほどだった。


 午前中、授業内容の変更を知らされていなかった少年も今、食事メニューを一つずつ順番にトレーに載せて、カニのように横移動しながら進んでいた。


 あの後、校舎に戻って事情を確かめると、彼のクラスはすでに音楽の授業中だった。音楽室の扉を開けた時は、皆がちょうど楽器の自主練習をしていて、好奇の目に晒されることなく、なんとかそのまま自然な流れで、授業に参加することが出来たのだった。

 

 授業冒頭にあった、名曲鑑賞のレポートを写させてもらっているうち、食堂の席取り競争に出遅れてしまう。


 今はもう、奇数グループと偶数グループとの境界に生まれた、真ん中の変な席しか空いていないのだ。端っこならまだしも、親しい友人の居ない真ん中の席は、なんとなく座りづらかった。


 とは言っても、トレーの上には既に湯気を立てた昼食が揃ってしまっている。これを持ったまま、他のいい感じの席が空くのを待つわけにもいかなかった。

 

「ここ、空いてる?」


 話題が切れた頃合を見計らい、片方のグループの一人に、思い切って声をかけてみた。短く揃えられた茶髪に、耳の上あたりから数本、剃りこみカットを入れた男子生徒は、一瞬驚いたように頭を引いて、声の主の顔を見た。頭からつま先までを値踏みするように一瞥し、顔見知りが声をかけてきたわけじゃないとわかったところで、ぎこちない笑顔で答える。


「……あ、この席? 構わないよ。どうぞ」

 

 思っていたよりは感じのいい返事をもらえたことで、熱々の料理たちと共に行き場を失いかけていた少年は安堵した。そのまま席に着き、料理に手をつけていく。


 しかし、せっかく同席になったのだから、このテーブルの人間とは、何か話した方が良いだろうか。飲み物取ってくるの忘れたんだけど、君が飲んでるその炭酸飲料は美味しそうだ、どこから取ってきたんだ? とか。君達のクラス、担任の先生は誰? とか。少なくとも、この剃りこみの男子生徒とは、会話ができたわけだから――。

 朝、自分だけが授業内容の変更を知らず、校庭端の畑から一人走って音楽室に行ったこと、これを話してみるのはどうだろう。「時間割を教えて欲しい、自分はフレン先生のクラスの生徒です」と言った時の、生活指導の戸惑った顔の真似したり。愚痴にならない程度に、面白おかしいトーンで……、いや、これは初対面でするような話じゃないか。


 そうして逡巡しているうちに、料理の味がぼやけてわからなくなってしまった。


「それじゃ、俺、先に行っとくから」


 トレーの上の食器を手際よく整頓し、真向かいに座っていた黒目がちな男子生徒が、椅子から静かに立ち上がる。先生から頼まれた課題が多くて、正直困っていると話しているのが聞こえていたから、そのために早く食事を切り上げたのかもしれない。それとも、いつも周りより早く食事を終えて、自分の時間が欲しいタイプなのか。直接話した訳じゃないからこそ、色んな可能性が頭を過ぎる。


(気まずくさせただろうか……)


 料理の味の感想が浮かばないほど、自分の中で会話のきっかけを探したけれど、その実、一言も発しなかったことを、内省せずには居られなかった。サラダの器を空にし、オムレツを平らげ、メインの肉料理を半分ほど食べ進めるまでの間、どちらのグループの人間でもない彼は、無言で逡巡していたのだから、周囲は気まずい気持ちになったのではと、推し量るのも無理はない。

 

 両隣の人間と視線を合わせて、会話のきっかけを得ることは難しい。真向かいの席が空いたことで、いよいよ、この場の輪に参加する目処が立たなくなった。

 

 少年には、親しい友人と呼べる者が居なかった。会話をしようにも、このようになかなか自分から踏み出せず、自然とその場の会話の頭数から外れてしまいがちだった。そのせいで嫌われることも無かったが、当然、好かれることもなかった。

 

 よって、誰とも話さず一人で食事をすること、それ自体は彼にとっては、何の変哲もない日常の流れだった。

 ただ、それでもと、考えないわけではない。


 味の感想のひとつでも言い合えたら、今日の食事だって、美味しく食べられたかもしれない。相手が授業の変更を知っていたら――、勘違いしたまま、待ちぼうけになるということはなかったかもしれない。もし、行き違いでそうなったとしても、この失敗談を笑って聞いてくれたかもしれない。


 あるいは、勘違いして畑から走って校舎を目指したのは、一人ではなかったかもしれない。


 もし、朝畑に向かう自分を、見ている人間が居てくれたならーー。


「良かった〜! 食堂の時間、間に合って!」


 耳に届いた明るい声で考えが止まり、顔をあげた。目の前の空いた席に向かって、小走りで近づいてきた人影が、昼休みの半分が終わっているのに、まだ手のつけてない昼食を運んでいる。声の主は大仰に息を切らせながら席に座ると、周囲の人間はその様子に親しみやすさを感じて、自然と笑みがこぼれる。


「もうあたし、お腹ぺこぺこでさ〜。あ! 待って、飲み物取ってくるの忘れた」


 取り留めなく続く彼の脳内反省会は、快活な少女の声にかき消され、即時解散となった。




※※※※

 読んでいただき、ありがとうございます。

 芦屋光凪(あしや こな)と申します。

 この度、初めて小説を書いてみました。何卒よろしくお願い致します!

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忘失のアルゴ 芦屋光凪 @melow44

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