天地改竄記(てんちかいざんき) ~現代の企業再生屋が、16世紀の琉球王国をハッキングして最強の貿易国家を作る~
髙良 圭
第1話 プロローグ:ゼロの筆跡
【2025年1月・那覇 三重城発掘現場】
一月の沖縄の風は、本土のそれとは重さが違う。 湿気を孕(はら)んだ生暖かい海風が、発掘現場のブルーシートを激しく叩いていた。
那覇港の入り口に突き出した、珊瑚石灰岩の岬――「三重城(みえぐすく)」。 かつて倭寇(わこう)や異国船を監視し、旅立つ船を見送った拝所(うがんじゅ)でもあるこの要塞も、現代の埋め立て工事によって陸の一部となり、今はコンクリートの護岸とフェンスに囲まれた、殺風景な遺構に過ぎない。 すぐ頭上を、那覇空港を離陸した民間機が、轟音を立てて通過していく。
**高良 玲(たから れい)**は、泥にまみれた軍手で額の汗を拭った。 考古学者としての職務ではない。これは、個人的な執念だった。
「……ここなんだろ、兄さん」
一年前。この場所で、玲の兄――高良憲零(けんれい)は消えた。 「冷血の企業再生屋」とあだ名され、何千人ものクビを切り、最後には心を壊して失踪した兄。警察は台風による転落事故として処理したが、遺体は上がらなかった。 玲だけが、諦めきれずにいた。兄が最期に求めた場所が、この先祖ゆかりの地であることを知っていたからだ。
「先生! ……出ました! 石積みの奥、空洞があります!」
学生の叫び声に、玲は弾かれたように顔を上げた。 重機が石灰岩を持ち上げると、そこには不自然な空間があり、鉛で厳重に目止めされた漆塗りの小箱が鎮座していた。 それは、何かを隠すためというよりは、中の「何か」を永遠に封じ込めるかのような、禍々しい意志を感じさせた。
玲は震える手で、封印を剥がした。 古びた空気が漏れ出す。中から現れたのは、黄金でも宝石でもない。一冊の分厚い「手記」だった。 表紙には、墨というよりは凝固した血のような昏(くら)い色で、四文字が記されている。
『天地改竄(てんちかいざん)』
正史には存在しない書。 玲は、吸い込まれるようにページをめくった。 そこに記されていたのは、およそ450年前、嘉靖(かせい)年間の那覇の惨状と、そこへ現れた一人の「異邦人」についての記録だった。
――嘉靖二十九年。那覇(ナーファ)の泥濘の中で、私は未来から堕ちてきた『泥の王』と出会った。 その男は、名も名乗らず、ただ地面に奇妙な図形を描いてこう言った。 『感情を捨てろ。変数を削ぎ落とし、最適解だけを残せ』と。
ドクン、と玲の心臓が跳ねた。 その言葉。 かつて兄が、深夜のオフィスでウィスキーを煽りながら、自分に言い聞かせるように呟いていた呪文と同じだ。
「……まさか」
他人の空似だ。そう思おうとした。だが、ページを繰る指が止まらない。 流麗な筆文字の余白に、明らかに筆致の違う、乱暴な書き込みがあった。 それは文字ではない。墨で描かれた、**「数字」**だった。
一、二、三……ではない。 この時代には存在しないはずの、算用数字(アラビア数字)。 そして、その数字の横に走り書きされた、ある「記号」を見た瞬間、玲の呼吸が止まった。
『 \emptyset 』
ゼロ。 ただの丸ではない。丸の中に、斜線を引いたゼロ。 数字の「0」とアルファベットの「O」を区別するために、エンジニアや会計士だけが使う、特有の筆記体。 そしてそれは、兄が「無価値」な事業を切り捨てる時に書き殴っていた、死刑宣告のようなクセ字そのものだった。
「……嘘だろ」
考古学者としての理性が、その可能性を否定する。450年前にスラッシュ・ゼロを使う人間などいない。 だが、弟としての直感が絶叫していた。この冷徹で、傲慢で、そしてどこか悲痛な「ゼロ」を書く人間を、自分は知っていると。
玲の指が、古文書の余白を震えながら滑る。 その「ゼロ」の下には、小さくこう書き添えられていた。
『損益分岐点(ブレークイーブン)到達。これより、黒字化(ターンアラウンド)を開始する』
視界が滲んだ。 確信はない。あるはずがない。 だが、もしも。現代で心を殺して生きていた兄が、時を超えた先で、まだ何かと戦っているのだとしたら。
「……確かめさせてくれ。あんたが誰なのか。そして、この世界をどう書き換えたのか」
波の音が遠のいていく。 現代の那覇の空の下、玲は祈るように次のページをめくる。 物語は、450年前。あの最悪の嵐の夜へと遡る。
第一章:黄金の檻
【嘉靖二十九年・首里城】
百浦添(ももうらそえ)――。 あまねく百の浦々を支配するという名を持つその正殿は、吐き気を催すほど甘ったるい線香の煙に満ちていた。
蔡温(さいおん)――字(あざな)を温(おん)という若き官僚は、御庭(うなー)を見下ろす北殿(ほくでん)の柱の影で、自らの指先が微かに震えているのを自覚していた。
夕日が、朱塗りの柱を鮮血のように染め上げている。 ここ首里(スイ)は、標高百三十メートルの丘の上に築かれた「天空の都」だ。 どこからともなく流れてくる優雅な三線の音色。美しく剪定された蘇鉄(そてつ)の庭。そして、漢詩を詠みながら歩く、色鮮やかな官服を纏った士族たち。 そこには、泥も、汗も、飢えもない。あるのは完成された「美」と、停滞した「時間」だけだ。
だが、今の蔡温には、その百浦添の朱色が、眼下の街で飢えている民から搾り取られた血の色に見えて仕方がなかった。
「蔡よ。もう一度申せ。今年の徴税予測はどうなった」
上座から響く声は、枯れた楽器のように掠(かす)れていた。 声の主は、三司官(さんしかん)の座にある元老・毛大師(もうたいし)。蔡温に算術を教えた師であり、今の王府の実権を握る男だ。
蔡温は、手に持った帳簿を握りしめた。指の先が白くなる。 口を開けば、砂を噛むような味がした。
「……申し上げます。那覇(ナーファ)に入港する進貢船は、ここ三ヶ月、一隻も届いておりません。……倭寇(わこう)です。彼らがケラマの沖合を完全に封鎖し、我らの喉元を絞めております」
蔡温は一息つき、目の前に並ぶ老人たちの顔を一人ずつ見据えた。彼らの顔には、危機感の欠片もない。あるのは、面倒事に対する倦怠だけだ。
「統計上、来月の今頃には、那覇の市場から一粒の米も消えます。備蓄はありません。……このままでは、三万の民が飢えます。直ちに備蓄米の放出と、明への救援要請を……」
「ならぬ」
毛大師が、短く遮った。 彼は手元の扇をパチリと鳴らし、まるで羽虫を払うような手つきをした。
「……三万か。端数だな」
蔡温は、耳を疑った。 端数。民の命を、この男はそう呼んだのか。
「蔡。お前は数字に明るいが、天命というものを知らぬ。倭寇が荒れるのも、また海の理(ことわり)よ。我ら知恵ある者の務めは、その混乱がここ、**御城(ウグシク)**まで及ばぬよう、正しく『間引き』を行うことだ」
老人は、濁った瞳で蔡温を見下ろした。
「死ぬべき者が死に、生きるべき者が生きる。……お前はその死の順番を、正しく帳簿に記せばよいのだ」
蔡温の奥歯が、ギリリと音を立てた。 彼らが守ろうとしているのは、琉球の民ではない。自分たちの特権と、大国への体裁だ。この美しい黄金の檻の中では、命は「数字」ですらなく、ただの「汚れ」として処理される。
(……これが、私の目指した政治か)
蔡温は、深々と頭を下げた。敬意ではない。殺意を隠すためだ。
「……失礼いたします」
蔡温は回想を蹴るようにして退席した。 背後の障子が閉まると同時に、広場――**御庭(うなー)**の静寂が彼を包み込んだ。
広大な御庭には、赤と白の磚(せん・タイル)が幾何学的に敷き詰められている。 それは、官僚たちが身分順に整列するための「目印」だ。この城では、歩く場所、立つ位置、頭を下げる角度に至るまで、すべてが厳格な「型」に嵌められている。 一歩でも線を踏み越えれば無礼となる、息の詰まるような美しさ。
蔡温は、顔を上げた。 正面に鎮座するのは、琉球の心臓――**百浦添御殿(正殿)**である。 夕日を浴びて燃え立つような漆塗りの壁。正面の唐破風(からはふ)の下では、二対の龍柱が、石造りの冷たい瞳で蔡温を見下ろしている。その龍の爪は、天の珠を掴んでいるが、足元の民の飢えを救うことはない。
「……美しいな」
蔡温は、吐き捨てるように呟いた。 あまりにも美しく、そしてあまりにも、人間がいない。
ふと、風向きが変わった。 南側の城壁の向こう、鬱蒼とした森が広がる一角から、低く、地を這うような祈りの声が流れてきた。
京の内(きょうのうち)。 百浦添が「政治」という名のオモテの心臓ならば、あそこは「神」が住まうウラの心臓だ。 聞得大君(きこえおおきみ)をはじめとする神女たちが、国家の安寧を祈り、神と交信する聖域。そこには、石畳の秩序も、華やかな朱色もない。あるのは、太古から続く原生林の闇と、畏れだけだ。
(表では政治が民を数字で切り捨て、裏では神女が虚空に祈る……)
蔡温は、森の闇を睨み据えた。 政治も、宗教も、この城にあるすべてが「民の腹」を満たしていない。 御城(ウグシク)全体が、現実から遊離した、巨大な虚構の装置と化している。
蔡温は御庭を横切り、**奉神門(ほうしんもん)**をくぐった。 そこから続くのは、緩やかな下り坂だ。 途中、瑞泉門の脇にある湧き水「龍樋(りゅうひ)」の前で、数人の若い貴族が詩を詠んでいた。
「……ああ、今日の水はことさらに甘い」 「明の冊封使殿も、この水を絶賛されたとか」
彼らは、蔡温とすれ違っても気づきもしない。 彼らの世界は、この城壁の内側だけで完結している。壁一枚隔てた外で、水すら飲めずに泥水を啜る民がいることなど、想像もしないのだろう。
(……ここは、死者の都だ)
蔡温は確信した。 生きているのは形式と伝統だけ。中にいる人間は、思考を停止した美しい人形に過ぎない。 このままここにいれば、自分もいずれ、あの龍柱のように冷たい石になってしまう。
**守礼門(しゅれいもん)**が見えてきた。 『守礼之邦(しゅれいのくに)』と掲げられた扁額。 礼を守る国。だが、誰に対する礼だ? 明か? 薩摩か? それとも、過去の亡霊たちにか?
蔡温は、門をくぐる際、一度だけ振り返った。 夕闇に沈みゆく百浦添の朱色が、どす黒い血の色に変色していくように見えた。
「……さらばだ」
彼は、守礼門を背にした。 ここから先は、舗装された石畳も途切れ、急な坂道となる。 その先にあるのは、礼節も形式もない、泥と欲望の街――那覇。
蔡温は、絹の官服の裾をまくり上げた。 美しい檻を出て、彼は初めて「生きた空気」を肺いっぱいに吸い込んだ。
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