第五章 王女の来訪

セラフィーナ王女の申し出を受けてから、蓮の生活は急激に動き始めた。


まず、出発の準備だ。


蓮は、これまで作り溜めた菓子のレシピを全て紙に書き出した。シュークリーム、プリン、マドレーヌ、バターの作り方、砂糖の精製法——。もしものことがあっても、この知識が失われないように。


「レン、本当に行くの?」


ミラが、泣きそうな顔で尋ねた。


蓮は、ミラの頭を撫でながら答えた。


「うん。でも、きっと戻ってくるから。それまで、レシピを見ながら練習しておいて。俺がいなくても、お菓子が作れるようになっておいて」


「……うん。約束だよ」


ミラは涙を堪えながら頷いた。


「母親」と「父親」も、複雑な表情だった。


「レン、気をつけるんだぞ。王都は、この村とは違う。危険なこともある」


「父親」が、珍しく心配そうな顔で言った。


「分かってるよ、父さん。でも、俺、やりたいことがあるんだ。自分の力がどこまで通用するか、試してみたいんだ」


蓮は、真剣な表情で答えた。


「父親」は、しばらく蓮を見つめていた。そして、大きな手で蓮の肩を叩いた。


「……行ってこい。お前なら、やれる」


その言葉が、蓮の胸に深く響いた。


前世では、誰もそんなことを言ってくれなかった。「才能がない」「役立たず」——そんな言葉ばかりだった。


しかし、この世界の「父親」は、蓮を信じてくれている。


蓮は、涙を堪えながら頷いた。


「行ってきます」


出発の朝、村の入り口には大勢の人が集まっていた。


シュークリームを買いに来た人々、マドレーヌを楽しみにしていた人々、蓮の菓子で笑顔になった人々。彼らが、蓮を見送りに来てくれたのだ。


「レン、元気でな!」


「王都でも頑張れよ!」


「また美味いもん作ってくれ!」


村人たちの声援が、蓮の背中を押した。


蓮は、深く頭を下げた。


「皆さん、ありがとうございました。俺、王都で成功して、きっと戻ってきます」


馬車に乗り込む直前、蓮はもう一度、村を振り返った。


素朴な家々。畑。森。そして、手を振る人々。


これが、蓮の「故郷」だ。転生して最初に目覚めた場所。ミラと出会い、「母親」と「父親」に育てられ、菓子を作り始めた場所。


ここで過ごした時間は、短かったが、蓮にとってかけがえのないものだった。


「レン、準備はいい?」


セラフィーナが、馬車の中から声をかけた。


「はい。行きましょう」


蓮は馬車に乗り込み、扉を閉めた。


馬車が動き出す。村が、少しずつ遠ざかっていく。


蓮は、窓から外を眺めながら、静かに決意を新たにした。


王都で、もっと多くの人に菓子を届ける。


この世界に、「甘味」の喜びを広める。


それが、レン・カルディアの使命だ。


王都への道中、蓮はセラフィーナから様々なことを教えてもらった。


エルシード王国の政治、貴族制度、魔法の体系、そして——「食文化」について。


「この世界では、『甘味』は貴族の特権なの」


セラフィーナは、少し悲しそうな表情で言った。


「砂糖を精製できるのは、王都の錬金術師だけ。だから、庶民は甘いものをほとんど口にできない。私が王宮で育ったから分かるの。貴族と平民の間には、食の面でも大きな格差がある」


蓮は、黙ってその話を聞いた。


「でも、あなたは違う。魔法を使わずに、砂糖を精製できる。バターを作れる。あのシュークリームを作れる。あなたの技術があれば、庶民にも甘味を届けられるかもしれない」


セラフィーナの目が、熱く輝いた。


「私、ずっと思ってたの。なんで、美味しいものは貴族だけのものなんだろうって。なんで、庶民は粗末な食事で我慢しなきゃいけないんだろうって。それを変えたかった。でも、方法が分からなかった」


彼女は、蓮の手を握った。


「あなたに会えて、本当に良かった。一緒に、この世界を変えましょう」


蓮は、セラフィーナの真剣な眼差しを受け止めた。


王女という立場にありながら、庶民のことを考えている。この人は、本物だ。


「分かりました。俺にできることなら、何でもします」


蓮は、しっかりと頷いた。


王都が見えてきたのは、出発から五日目のことだった。


「あれが、王都エルシードよ」


セラフィーナが、窓の外を指さした。


蓮は、窓から身を乗り出して、その光景を見つめた。


巨大な城壁に囲まれた都市。その中央には、白亜の王宮がそびえ立っている。周囲には無数の建物が密集し、人々が行き交っている。


規模が違う。村とは、文字通り次元が違う。


蓮は、圧倒されながらも、胸の奥に熱いものが込み上げてくるのを感じた。


ここが、自分の新しい戦場だ。


「レン、緊張してる?」


セラフィーナが、微笑みながら尋ねた。


「……少しだけ」


「大丈夫よ。私がついてるから」


セラフィーナは、蓮の手を握った。


馬車は、王都の門をくぐった。


蓮の新しい人生が、今、始まろうとしていた。

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