赤須 紫陽花

「蚕が、好きなんだぁ。」


 公園の隅っこ。木々や草花が生い茂るような場所で、私より一つ年下のきょう君はアジサイの葉につく虫を眺めていた。その姿は、ひどく傷ついていて、痣だらけで、血を流しており、見るからに弱弱しい格好の少年は、そう言った。

「へぇ、珍しいね。」

 私はきょう君の隣にしゃがみこんだ。

「どんなところが好きなの?」

 私がこう聞くと、彼はぱっと顔を明るくさせ、にこにこ笑いながら私のほうに向いた。

「あのね!まず孵化した時の見た目が真っ黒なんだけど、成長して脱皮を繰り返すごとにシルクみたいに真っ白できれいな格好になるの!そこから一生懸命桑の葉を食べるんだけど、食べてる姿が本当に無邪気で可愛いの!あとね、最終的には蛹化して、繭を作るんだけど、そっから羽化して出てきた姿がさいっこうに可愛くて、モフモフで、ぽっちゃりしてて、ずっと眺めてても飽きないの!」

 彼は鼻息荒く、私のほうへずいずい近づきながら早口で説明した。私は多少困惑しながらも彼の話を聞いた。


「ほかにもいっぱい理由はあるけど、そんな、そんな蚕が、好きなんだぁ。」


「…うん!」

 にこにこ笑う彼の横顔を見るのが、私は好きだ。こっちまで楽しい気分になってくる。きょう君のこの、蚕を語るときの目の中には、一点の曇りもなく、絶望もない。すがすがしいほどきらきらとした目をする。


「でも、あいつらはそんな僕を、のけ者にするんだ…」


 しかし、さっきまでの笑顔が嘘かのように彼は沈んだ顔で言った。

「…あいつらだけじゃない。か、かあさんだって、こんな僕をさけて、怖い目でにらみつけてきて、すぐ男の人とどっか行っちゃう。とうさん、は、僕のことを目にするたび、け、けってくる。あぁああぁ、だれも、僕をり、りかいしてくれない」

 きょう君の目には、涙が浮かんだ。

「あぁ、僕は、蚕が、昆虫が、好きな、だけ、なんだけどなぁ…」

 泣きながらも、「あはあは」と、乾いた笑いを彼はする。

私は、そんな彼を見て、ずさっと立ち上がり、きょう君の肩をつかんで顔を私に向かせた。

「安心して!そんな悪い人たち、きょう君をいじめる人たちなんて、私が全部追い払ったげる!きょう君に、怖い思いさせる奴なんて、私が全部、たおしたげる!」

 面と向かって、お互いの顔の距離が数ミリになるほど近くで、私は、きょう君に宣言した。

「本当に?」

 私は大きく息を吸った。

「本当だよ!私はきょう君を決して見捨てない!裏切らない!きらいにならない!ずっと、ずっと一緒だから!」

「…うん!約束だよ、お姉ちゃん!」

 私は、彼の手を繋いで、走り出した。


***

 私たちは高校生になって、きょう君は、私と違う高校だけど。

 きょう君は、あの頃よりだいぶ背も大きくなって、ガタイも良くなって、違った風貌を醸し出してた。そのおかげか、彼がいじめられることは無くなった。

 あの頃、彼に守ってあげると言った日が懐かしい。


「あぁ…」


 でもごめんねきょう君。


「ッチ、もうこいつのびちまった。」

「えぇ〜タクく〜ん。あたしつまんなぁい。」

「まあまあミカちゃん、こいつなんて、いじめようとすればいつでもやれるんだから。金も巻き上げたことだし。遊び行こうよぉ」

「そぉ〜ねぇ、じゃあ今日のところはこれでいいわ。じゃあねー陰キャちゃん。」


 今の私の姿見たら、幻滅しちゃうかなぁ。


 校舎裏で、地面に背中をつけて、霞む目で空を眺めた。

口の中は、鉄の味がして。顔と、お腹がヒリヒリして。たらっと鼻から血が垂れる。

 目から流れる涙は、私の目の下の隈を撫でて落ちていく。この隈醜いから、涙と滲んで、流れ落ちてくんないかなぁ。

 浅い呼吸で、そんな考えが浮かぶ。


 困ったなぁ、私が守ってあげるはずだったんだけどなぁ。


 ぐっと踏ん張って起き上がる。いたたた、あーまだお腹痛い。

 カバンを探す。高校指定のカバン。確か絡まれた時そこら辺に投げ捨てられて…


「あ」


 あったけど。

中身の教科書とか、ノートとかびりびりだし、中身びっちょびちょだし…

「…」


 私はカバンを逆さにして中身をその場にぶちまけた。

べちょっと、濡れた紙の塊が出てきた。

 私は空のカバンを持って、その場を離れた。


 家に帰る途中、制服の袖で鼻血を拭いた。するとべどぉっとした血が、大量に袖に付いた。はは。これいつか失血死すんじゃないかなぁ。私。


「…お姉ちゃん?」


 後ろ。知ってるけど、知らない声。自身がなくて、いつも怯えてるような声色。でも、昔に比べて、野太くて、ガサガサしてる声。


 ゆっくり振り向く、体がおっきくて、おっきくて。

目を合わせた瞬間、咄嗟に制服の袖を隠した。


「きょう君…」


 背、高いなぁ。昔はこんなにちっちゃかったのに。


「ひ、久しぶりだねぇ。ここしばらく全然会わなかったから…」

「何かあったの?」


 彼は、私の両腕をつかんで間髪入れずに聞いた。


「…何にも、ないよぉ。もう、どうしたの?」


 きょう君にあんな姿見せたくない。


「あ、そういえばきょう君学校には慣れた?部活とかきょう君のガタイだと柔道部とか似合いそうだけど。ああ、あと最近数学Aの先生がさぁ…」

「ちゃんと言って。」


 …どこでそんな顔覚えたの?

え、あ、あれ?きょう君だよね?あの柔らかい笑顔の、あぁあれぇえ?なんっなんで?は?え?なんでぇ?


なんでそんなこわいかおするの?


 腕が、ぎりぎり言っている。きょう君の、私をつかむ力が強くなってる。


「ねえ。本当に何にもないの?僕に嘘なんてついてないよね?」

「も、もちろんだよ…」

「本当に?」

「…だから…」

「本当に?」


 顔が近い。目が、きょう君のなんの光もない目がよく見える。私を問いただす声は、非情に満ちていた。


「…ほんとに、何にもないから…」


 痛い、掴まれてる腕が痛い。


「ねえほんとなの?」


 もう、やめてよ。怖いよきょう君。


「ほんとのこと言って。」


「ほんとだってば!」


 私がそう言うと、私をつかんでいた力が、すっと緩まる。

その間に、私はきょう君の手から脱出した。


「…ほんとに、大丈夫だから。」

「…」


 彼は何も言わずに、私のほうを見続ける。あの非情な目で。


「…じゃあね、きょう君。」


 ぐわりと交錯する頭を抱えて、私はきょう君に背を向けて道をまっすぐ進んでいった。


「なんで…なんで…」


 さっきからずっと頭がぐわんぐわんしてる。いたい。頭がいたい。それと同じぐらい、おなかも、鼻も、腕もいたい。


「なんでわたし、こんな…」


 きょう君を守ってあげるって、約束したのに。なんで?



 しばらく歩いて、歩いて。ふと、周りを見渡してみると、空はすっかりオレンジ色に染まって、見慣れない風景が広がっていた。


「…公園?」


 私のすぐ横には、小さな公園があった。

ブランコと、公衆トイレしかないような、さびれた公園。

公演では、高校生ほどの集団が、屯っていた。


「うちの高校…」


 制服から見ておそらくうちの高校の生徒だろう。

五人ほどの集団で、そこには、タクとミカの姿があった。


「っ…」


 すぐさま背を向けて立ち去ろうとした。今日はもう何かされるのはごめんだ。

もう、みじめになりたくない。


 きょう君の、ヒーローのままでいたいから!


「あっれぇ~、陰キャちゃんじゃぁ~ん。どしたのぉ~?」


 私を見つけたミカが話しかけてくる。

でもそんなこと構わず歩く。


「おい。なにむししてんだよ。」


 後ろから、肩をつかまれて強く引っ張られた。

それでも進もうとした。


「ッチ、なに無視してんだぁ⁉あ゙ぁ?てめえ如きがだれにはむかってんだぁ⁉」

「ほんっと、まじで無視されんのがいっちばんはらたつんだよねアタシ。」

「おい、なんか言えよ!」


 …私は振り向いて口を開いた。


「…もう…ないから…」

「あ゙ぁ?あんだぁ?」

「もう、あなたたちの言いなりになんて、ならないから!」


 ばこッと。鈍い音が頭に響く。

それと同時に地面に倒れこんだ。


「あ゙っ、かッはぁあ…」


 右頬がじりっと痛んで、口の中には、また鉄の味がした。

目の前にいる二人を、じっと睨む。


「…あ~、ほんっとうっざいわぁこのアマぁ。」

「もういいよタク君。こんなやつもう捨てちゃおうよ。」

「…それもそうだな。もうこいつつまんねえし。おいおめえら。」


 タクは公園にいた残りの三人を呼んだ。


「おめえら前々からこいつヤリてえっつってたよな?もういいよ、こいつ犯しちまえ。」

「え⁉マジすかセンパイ!」

「おぉ、すきにせい。いこう、ミカちゃん。」

「は~い。んじゃ、二度と顔合わせないでね。メス豚ちゃん。せいぜいたのしんでー。

まってよぉタクく~ん。」


 ミカたちが背を向けると、後ろから男たちが迫ってきた。

私は地面を這いずりながらも、離れようとする。でも、怖くて腰が抜けてうまく進めない。


「おめえはこっちだよ!なににげようとしてんだぁ?」

「はぁ~。前々からこの体犯してえって思ってたんだよな~」

「さっさとヤっちまおうぜ。」


 三人の男に体つかまれ、公園の公衆トイレに連れ込まれそうになった。

私は足と手をバタバタさせて、抵抗する。


「あ、ぁああぁ、た、ッ助ぇ…あ゙あ゙あ゙あ゙!」

「うるせえ!黙れ、近所にばれんだろぉ。」


 そういって男私の口をぐっと押えた。息がうまくできなくて苦しくなる。


「んー!ん゛ー!」



「…あんな奴、どこがいいんだか。」

「ねぇ~もういいからはやくいこータク君!」



 公衆トイレに連れ込まれて、手首を掴みあげられる。男たちの息遣いは荒かった。


「じゃあ、ごかいちょ~」


 びりびりッと乱暴に制服を破られる。スカートもずいッと降ろされた。


「あ~やっぱいい体してんなぁ。」

「胸案外でけえなぁこいつ。」


 彼らは、すうっと、私の肌をなぞる。


「ひっ…」


下着姿になって、触れられると、今になって一気に恐怖が押し寄せる。


犯される。


「ひあ゙ぁぁあ!や゙めで!い゙やぁ!」

「ッチ!てめえ暴れんじゃねえ!いいところなんだよ!」

「あぁ、おちおち犯してもいらんねえよ。」


 やだ。怖い。なんでこんな、めにあっちゃうんだろう。あぁ、なんでだろうなぁ。こわい。怖い。帰らせて。もうみんな!私にかまわないでよ!


{ほんとのこと言って。}


「…やぁ、いやだ…こわい。つらい…わだじっ!づらい゙っ!

ほんとはつらいよ!きょうぐん!あ、や゙ぁああぁあ!あぁああぁ!」


「何言ってんだこいつ?」

「あ゙ー。もうめんどくせえから、早速挿れちまおうぜ。」

「そっそうだなぁ…」

「うわっ。お前もうギンギンじゃん。」


「やだ!ごわい゙っ!だずけて!きょうくん!あ゙ぁあぁあああぁ!」


「うるせえ!」

「あ゙ッ!!」


 あ゙っ、な゙に゛ごれ…っ…ぐ、グル゛じい…

  あだま…ぱちぱち…あ゙ぁあ…じ、じぬ…あだま…まっしろ、まっぐろに…


「うーわ、あいつ首絞めてるよ。」

「あれ、あいつってそんなハードプレイ好きだっけ?」

「…さあ?どうだったかな?」


 な゙んに゛も、わがんな…


「うふぅーしぃー、あ゙ぁあ、おかすぞ、犯してやるっ!」

「あーハイハイ、ちんこそいつに押し付けてる暇あったらさっさと挿れろ。後ろ二人詰まってんだ。はよせい。」


 あ゙ぁあ…


「あ゙…ああぁあ…」

「うひ~もうすぐ入るぜ~」


「…たすけて、きょうくん」




「おい――」

「あ゙ぁ?なんだてめえ!今いいとこなんだ…よ――――」


「あ゙っ!いっでぇええええええええええ!!!」

「なにすんだてめえ!」

「くそ!大男やろうめ!」

「ぐおふぉ!あ゙ぁぁぁぁ!」

「だ、だめだもう!に、にげるぞ!」

「も゛!もうやめてくれぇ!」

「あ゙ーーー!」





















「―――ああ、やっぱりだめだよ。君には僕がいないと。僕も君がいないとダメなんだ。あぁあだめだだめだ。

 ずっと、僕がそばにいて、育ててあげるから―――」


***

 あ。あれ、どうなったんだろ。確かトイレに連れ込まれて、それで…首、絞められて、犯されそうに…

 ここどこ?なんかふかふかしてるとこに寝っ転がってるけど。ベッドかな。

ちょっと薄暗い。あとなんか嗅いだことあるような匂いが。



「…いっ…」


 手と足、痛い。あとなんか、動かない?

私は恐る恐る首を持ち上げて、自分の体を眺めた。


「…え…」


 私がめ寝ているベットは血まみれで、私の身体中の腱が、切断されていた。


「いだっ!」


 いたいいたいいたいいたい!

私がこう悶えてる間にも、傷口から血がどくどく流れる。


「気付いたんだ。」


 誰かが私に声をかけた。男の声だ。それも…

聞いたことのある、自身がなくて、いつも怯えてるような声色。でも、昔に比べて、野太くて、ガサガサしてる声。


「…きょう君?」

「そうだよ。さっきぶりだね。お姉ちゃん。」


 きょうくんが、たすけてくれ、た?

えでも、なん、で?


「きょうくんが、助けてくれたんだ、よね?」

「うん」

「私をここに運んだ?」

「うん」

「なんで、わたし、こん、こんなになって…」

「お姉ちゃんさ、僕に嘘ついたでしょ。」

「え…」


 きょうくんが、またこわくなる。


「それ、僕許せなくてさぁ、イライラしてイライラして」


きょうくんはここまで、半笑いで話す。


「で、結局僕を拒絶して、自らあんな目に遭ってさ。」

「裏切らないって、言ってたのに。」

「ッ…それはち、ちが…」

 きょうくんは、私の隣に座り込んで、懐かしむように、偲ぶように言った。

「蚕って野生回帰能力が完全に無くなった生物なんだ。」

 痛い、足が痛い、手が痛い。

「成虫になってからも長生きはできない。1人で餌もたべられない。そして、蛾なのに飛べもしない。」

 きょうくんは、私の青紫になっている右頬を撫であげた。

彼の手は、私の血で真っ赤だった。

「1人じゃ、何もできないんだ。だから誰かが、育ててあげなきゃいけないんだ。」

きょうくんは、ゆっくりと私に添えた手を離した。

  私の青紫色の頬が、赤色で上書きされていった。

 べとりとした血の感覚が、残る。

「僕は、蚕が、好きなんだぁ。」

 その声は、きらきらしていた。

「だってこんなに美しいんだもん。」

 

 彼は私の方を向いて、蕩けるような笑顔でそう言った。

そうして、起き上がれない私とおでこを合わせる。

「お姉ちゃん。」

「これからは、僕が守るよ。」

 彼のその声は、昔のように楽しそうで、柔らかくて、

酷く優しかった。

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赤須 紫陽花 @akasuazisai

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