蜜柑

赤須 紫陽花

蜜柑

 いや、まあ。死んでほしいとまでは思ってなかったんですよ。

ただ単純に、カァっときちゃって。それで「僕の目の前に現れるな!」みたいなこと、言っちゃったんですね。

 多分、その時は、彼女も、僕も、お互いに心に余裕がなかったというか。

それとも、僕が一方的に悪いって、こともありえますが。どうなんでしょう?

今の僕には分からないし、彼女に聞いてみることもできないと思います。


 なにせ、もう彼女は、いないから。


 まったく、びっくりですよ。いや、でも…あ〜まあ、でもあれは、誰でもびっくりすると思いますけどね。

 だって、人間の頭が、跡形もなく、潰れてるんですもん。

それで正気でいられる人がいたら、そりゃぁもう、大した人間ですよ。あ〜、別の言い方で言えばその人、人間じゃないかも。真のサイコパスってところですかねぇ。


 あぁ、そうでした。重要なことを忘れてました。


僕と彼女は、付き合ってたんですよ。


 びっくりですよね!こんな変な僕と付き合いたいと言う人間がいるとは…

まあ、彼女が幼馴染だということも、一つの要因であると思いますが。ずうっと変なやつといると目が慣れるってもんです。


 いやはやそれにしても、最初から最後の方まで、本当に彼女は僕を驚かせる。

あんな風に死なれたら、僕が悪いかもって、思っちゃうじゃぁ無いですか。

 ぼかぁ無駄な罪悪感や、悲しみに浸るのは好きじゃないんですよ。

 それを知ってるはずなのに!彼女ったら!なんてことでしょう。ご丁寧に僕の眼の前で死んでくれましたよ!

 いやぁ、全く!嫌味なもんだ!いくらあの時僕に嫌気が差したからって、僕の眼の前で天に召されることも無かろうに!

彼女は、僕があの日の夜から約一週間、どれだけ泣いて、叫んだがご存知ないっ!


 まあ、あの日もね。いつも通り、いつも通りですよ?

一緒に学校に行って、そのまま放課後に遊びに行っただけなんですよ。

 ほんとほんと、いつもど〜り。本当にいつもどおり。そんな些細な日常にすら、悪魔の手が舞い込んで来るもんなんですね。


 今考えると、あんなところで喧嘩なんてしなければ良かったんですよ。本当に彼女は莫迦です。(ところで、今、あなたは「一緒に喧嘩している時点で、お前も同類じゃね?」とか思いましたね。そのような方は勝手にそう言っておいてください。事実、言い返せねえから‼)


 でも、まあ多分。ここからですね。いや、ここからが、僕らの過ちだったんだ。

僕も、彼女も悪い。いや、客観的に見れば僕が悪いんでしょう。


 だって、彼女の気持ちを、理解して、最後まで咀嚼してあげれば、こんな事にはならなかった。


 …ああ、思い出したくないなぁ。でも、そんな記憶ほど、今でも、鮮明なんだから、本っ当に嫌になるんだよなぁ。ため息付くたび、脳が痺れる。この感覚分かります?

 ああ、そういえばあの時は、雨があがったばっかりだっけ。





 日下がりの放課後、あたりは赤と、おれんじを混ぜたかのような、濃淡のある色が、この場所を支配する。


 彼女は、蜜柑の香りがします。


 帰り道。先程まで楽しそうに笑っていた素振りを全て捨てて、彼女は立ち止まって、こっちを眺めました。


「君、私のこと好きじゃ無いでしょ。」


 彼女は言った。雨上がりの、まだ湿った濃淡のはっきりとした空気の中で、それを裂く雷鳴のように。ぴちりと、唇が裂けるかのような、嫌にじわりとした痛みが蘇りました。


「・・・どういうコト?」


 間を開けて、笑う。傍から見てりゃぁ、この上なくヘタクソで、無機質で、醜い笑顔だったと思うんですよ。

 僕、動揺した時、うまく笑えないんで。

ははっ。ほら、見てみれば分かりますよね?

 ヘタクソですよねぇ、今の僕の笑顔。一種の才能だと思うんですよ。


「いや、ただ単純に、そう思っただけ。」


 彼女は、そうサラッと言いました。さらさら、さらさら、砂の様に冷たくて、腕に纏わりつく言葉。ゾクゾクしちゃいます。


「・・・そんなこと、無いよ。」


 笑ったまま否定する。顔はさらに強張る。体から、緊張が抜けない。こんな経験は初めてだけど、親に殴られてる時と同じ感覚。


 あ〜、キモチワルイ。

ぴちち。唇にできる裂け目は、更に増えていく。痛い。口の中に、鉄の味がする。そしてこれは、久しぶりな感覚。


「嫌いでしょ。」

「・・・そんなわけ、無い。」

「嫌いだよ。」

「違うって…」

「嫌いだ。」

「…違う…」

「嫌い。」

「は、はは、そんなわけ…」


「嫌いだよッ‼」


「…ッ!」


 びっくりしました。彼女が、こんなに声を荒げて、なにかを言うことなんて無いんですもん。普段は、大人しくて、教室の角で本を読んでいるタイプなんですがね。


「・・・」

「嫌いだ。君は、私のことが嫌いなんだよ…」

「・・・なん、なんでそう思った、の?」


 はは。僕はまた、不器用に、醜い笑顔を造る。


「それだよ。」

「・・・へ?」


 醜悪な笑顔を残したまま、僕は、間抜けな声を出す。


「その、笑顔。」


 まっすぐと、彼女は僕の顔を、指差しました。背の小さい彼女は、腕を目一杯あげていました。


「君は、何か嫌なことがあったら、その笑顔を造るんだ。」


 僕は、より一層、顔のシワを深めた。


「あ、またその笑顔。図星かな。」


 彼女は、無機質な、無感情な顔で言った。


「・・・ああ、あは、っははあは、へああは…」


 おかしい、いつものように笑顔が造れない、維持できない。ごろごろ崩れる。


「・・・ほんと、醜いね。」

「・・・は、」


 ぴちびちッ。唇がいよいよ、左右真っ向に裂けた。僕の…俺の、抑えてた、この胸の中にどろどろ、ぐるぐる、どっぷりと、溜まっているものが、出てきたかのような感覚が、あった。


「みに、くい…?」

「・・・」


 彼女は、一歩後退りした。

あぁ、どうせ。俺の顔だ。今が、この人生でより一層醜悪な顔をしている。


「あの、きみでさえ、これ、これを、みにくいっていうの?」

「・・・そう。」


 彼女は、俺に負けじと強く睨む。


「ぼくを、うけいれてくれたと、おもっていたのに?」

「・・・」


 眼の前が濁る。それでも、彼女が、まっすぐ見つめている姿がわかった。

あ、あああ、あああ、あああ、ああ、ああ、あ

、ああ、ああ、…


「だって、君は、私を受け入れてくれないから。」


 そう言って、彼女は俺の右手を掴んで、自分の顔に押し付けた。

眼の前はまだ濁っていて、よくわからなかったけど、手のひらには、生暖かい感触と、冷たさが残った。


「君は、私のことをどう思っているの?」

「・・・」

「ねえ…?」

「あっちいって。」

「え…」

「良いから!どっかいけ!俺の眼の前に、現れるな‼」


「・・・それが、君の、答えなんだね。」


 この混沌とした空間から、一つの匂いが消えた。柑橘系の匂いだ。その匂いは、いつまでも俺の脳みそを揺らした。


 その、直後だった。


ドガンッ。


 なにか、大きな音が、あたりに響く。それを、俺は、しっかり凝視していた。

奥にはトラック、電柱に当たり、炎を出して、燃えていた。


 日下がりの放課後、あたりは赤と、おれんじを混ぜたかのような、濃淡のある色が、この場所を支配する。

 途端、俺の鼻に、ツンとした匂いが入り込む。そのにおいを嗅ぐたび、俺の脳みそは揺れた。


 蜜柑。


この、殺伐とした空間の中で、唯一はっきりと、存在を残す、ツンとしていて、甘ったるい匂い。今日まで知っていて、隣に居た匂い。


 その、匂いの主は、眼の前で、俺の眼の前で、頭をなくして、倒れていた。


 呆れるほど、鮮明な赤。俺にはそれが、強く主張する、蜜柑色に見えた。


 頭の中の、内容物は、その蜜柑とぐっちょりと混ざり、他ならぬ印象を与えた。


 そして、今はもう無い、頭より下の体。彼女の美しい、雪のように白かった四肢、胴は、鮮明な蜜柑色に徐々に染まっていった。


 そして、俺は、顔の力が抜けた。


ふと、さっき彼女が押し付けていた、俺の右手を見てみる。ゴツゴツとした右手には、二滴の液体が残っている。

 俺は、ゆっくりとそれを近づけ、ぺろりとなめた。


 この上なく、しょっぱかった。


そして俺はあるき出す。

あの、蜜の滴る方向へ。

他の人間たちが、虫のように蜜にたかる中、そいつ等を叩き落として、真っ直ぐ進む。


 蜜柑を、眼の前にする。虫の群れは、何故か群がらない。俺は、蜜が貯まる地面に足付け、体に触れた。


 冷たかった。


・・・なんだよ。言葉以外が冷たくなって、どうすんだ。


 俺は、彼女の胴を持ち上げて、ぐるりと腕をまわして、蜜に向かって、背中からだいぶした。地面に貯まる蜜は、まだ、生暖かく、甘ったるい匂いが漂っていた。

 じわりと、制服が蜜を吸い上げた。そして、僕の上には、頭のない蜜柑が乗っかっている。


「あははっ」


 ・・・僕は、初めてここで、まともに笑えた。



 日常的に、朝は来る。おれんじが払拭された朝が来る。

 鼻の奥には、まだツンとした、甘ったるい匂いが残っていて、そのせいか、あの日以外はうまく笑えない。


 しかし、彼女は僕に、最後に、笑顔を教えてくれた。


 それを忘れないために、僕は毎朝。



 あの時から、変わらない。

     蜜柑まみれの、彼女の制服を、愛でます。

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蜜柑 赤須 紫陽花 @akasuazisai

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