第十一章「帝国の影」

駐屯地は、森の中に築かれた砦だった。


木と土で作られた防壁に囲まれ、内部には兵舎や物資の倉庫が並んでいる。数百人規模の兵士が駐留しているようだった。


「ここで待て」


三人は、砦の一角にある詰め所に押し込められた。窓のない狭い部屋で、出入り口には見張りが立っている。


「すまない」


ガルドが低い声で言った。


「俺が油断していた。斥候を見逃してしまった」


「仕方ない。相手の方が、数が多かった」


蓮は壁にもたれかかった。


「それより、黒沢のことだ。俺の名前を出したから、反応があるはずだ」


「黒沢という男——蓮さんの故郷で、何があったんですか?」


エリシアが尋ねた。蓮は少し迷ったが、隠しても仕方がないと判断した。


「俺の上司だった。いや、正確には上司というより……俺を追い詰めた男だ」


「追い詰めた?」


「パワハラ——まあ、権力を使ったいじめのようなものだ。俺の仕事を否定し、人格を侮辱し、精神的に追い込んだ。そして、会社が倒産したとき——」


蓮は目を閉じた。


「俺は、その男への怒りと、自分の無力さへの失望で、頭がいっぱいだった。それが、事故に繋がったのかもしれない」


「事故……」


「トラックに轢かれたんだ。それで、この世界に来た」


エリシアは息を呑んだ。


「では、黒沢という男も——」


「同じように、この世界に転生した。どういう経緯かは知らない。だが、あの男が帝国の参謀になっているということは、俺と同じように『力』を与えられたはずだ」


「彼のスキルは、何でしょうか」


「分からない。だが、良いものではないだろう。あの男が力を持ったら、碌なことには使わない」


沈黙が流れた。


やがて、詰め所の扉が開いた。


「水谷蓮だな」


入ってきたのは、帝国軍の将校だった。厳めしい顔つきの中年の男で、階級章から判断すると中隊長クラスだろう。


「ああ」


「黒沢参謀が、お前に会いたいと言っている。ついて来い」


蓮は立ち上がった。


「二人は?」


「ここで待機だ。お前一人で来い」


ガルドが立ち上がろうとしたが、蓮は手で制した。


「大丈夫だ。俺一人で行く」


「だが——」


「心配するな。黒沢は、俺を殺しはしない。少なくとも、今はまだ」


蓮は将校に従い、詰め所を出た。


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案内されたのは、砦の中央にある指揮所だった。


部屋の中には、一人の男が立っていた。


黒沢だった。


転生前と変わらない、いや、どこか変わった印象を受けた。がっしりとした体格、常に不機嫌そうな顔。だが、その目には、以前にはなかった冷たい光が宿っている。


「久しぶりだな、水谷」


黒沢が口を開いた。


「まさか、お前もこっちの世界に来ていたとはな。驚いたよ」


「……お互い様だ」


蓮は黒沢をまっすぐに見つめた。


「なぜ、帝国の参謀になっている」


「簡単な話だ。この世界に来たとき、俺は帝国領で目覚めた。そして、この世界の連中がいかに無能かを知った。だから、俺の知識と力を使って、のし上がった。それだけだ」


「のし上がって、何をする気だ」


「この世界を支配する」


黒沢は、あっさりと言った。


「向こうの世界では、俺は中間管理職止まりだった。どれだけ頑張っても、上には行けなかった。だが、こっちの世界は違う。俺の知識は、ここでは圧倒的なアドバンテージだ。軍事戦略、組織運営、心理操作——すべてが、この世界の連中より優れている」


「だから、帝国を使って大陸を支配しようとしている」


「ああ。世界樹を手に入れれば、魔力を独占できる。そうなれば、誰も俺に逆らえない」


蓮は拳を握りしめた。


「世界樹を搾取すれば、大地は完全に枯れる。それでもいいのか」


「構わない。俺が支配する地域だけ、魔力を供給すればいい。他の地域が枯れようが、俺には関係ない」


「そんな——」


「お前は相変わらずだな、水谷」


黒沢は嘲笑した。


「いつも、他人のことばかり心配している。だから、出世できなかったんだ。この世界でも、同じことを繰り返すつもりか?」


「俺は、世界を救うために来たんだ」


「救う? くだらない。この世界の連中が、何をしてくれた? 何もしてないだろ。なぜ、そんな連中のために命を懸ける必要がある」


「理由なんかいらない」


蓮は言い返した。


「目の前で困っている人がいる。助けられる力がある。なら、助ける。それだけだ」


黒沢は、しばらく蓮を見つめていた。


「……相変わらず、甘い男だな」


黒沢は一歩、蓮に近づいた。


「お前に、俺のスキルを見せてやろう」


黒沢の目が、赤く光った。


蓮の身体が、突然動かなくなった。手足が言うことを聞かない。まるで、糸で操られる人形のように、身体が自分のものではなくなった感覚。


「これが、俺のスキル——【支配】だ」


黒沢の声が、頭の中に響いた。


「人の心を操り、意のままに動かす力。この力があれば、どんな軍隊も俺の手足になる。どんな国も、俺に逆らえない」


蓮は必死に抵抗したが、身体はまったく動かない。


「安心しろ。お前は殺さない。まだ、利用価値があるからな」


黒沢は蓮の顎を掴み、顔を上げさせた。


「お前の『水揚げ』の力——世界樹を操作するのに使えるかもしれない。大人しく俺に協力すれば、命は助けてやる」


「……断る」


蓮は、かろうじて声を絞り出した。


「お前の手先になるくらいなら、死んだ方がましだ」


「強がるな。今のお前は、俺の言いなりだ」


「そうかもしれない。でも——」


蓮は、黒沢の目をまっすぐに見つめた。


「俺の心は、お前のものにはならない」


黒沢の表情が、一瞬歪んだ。


「……生意気な口を叩くな」


黒沢は蓮を突き放した。蓮は床に倒れ込んだが、身体の自由は戻ってきた。【支配】が解除されたようだ。


「今日のところは、帰してやる。仲間と一緒にな」


「なぜだ」


「言っただろう。まだ、利用価値があるからだ。お前が世界樹にたどり着けば、俺にとっても好都合だ。お前の力を使って、世界樹を完全に支配下に置く。そのときまで、せいぜい頑張れ」


黒沢は背を向けた。


「次に会うときは、お前は俺の道具になっている。それを忘れるな」


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蓮は、仲間のもとに戻された。


「蓮さん! 大丈夫ですか!」


エリシアが駆け寄ってきた。


「ああ……何とか」


「黒沢という男と、何を話したんだ」


ガルドが尋ねた。


「あいつの目的が分かった」


蓮は、黒沢との会話を二人に伝えた。


「世界樹を支配して、大陸を手に入れる……。なんてやつだ」


ガルドが拳を握りしめた。


「彼のスキルは【支配】——人の心を操る力。厄介ですね」


エリシアが顔を曇らせた。


「ああ。だが、今は考えている暇がない。あいつは、俺たちを解放すると言った。聖地に向かう途中で、また邪魔をしてくるだろうが……」


「それでも、行くしかない」


ガルドが言った。


「世界樹を救えるのは、お前だけだ。黒沢という男より先に、世界樹にたどり着く。それが、今できる最善の策だ」


蓮は頷いた。


「ああ。急ごう」


三人は、帝国軍の駐屯地を後にした。


聖地は、まだ遠い。だが、立ち止まっている暇はない。


黒沢との決着は、いずれつける。今は、世界樹を救うことに集中しなければ。


蓮は、前を向いて歩き出した。


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