第四章「水揚げの奇跡」

その夜、蓮は村長の家の一室を借りて休んだ。


藁を敷いた簡素な寝床だったが、疲労が限界に達していた蓮には十分だった。異世界への転生、枯れた大地、そしてスキルの発動。一日で経験したことが多すぎて、頭の整理が追いつかない。


しかし、目を閉じても眠りはなかなか訪れなかった。


脳裏に浮かぶのは、あの花の姿だった。枯れかけていた植物が、自分の手で生き返った。その感覚が、まだ指先に残っている。


元の世界では、水揚げはあくまで「切り花の延命処理」だった。どれほど丁寧に処理しても、花はいずれ枯れる。根から切り離された以上、それは避けられない運命だ。


だが、この世界では違った。


水揚げによって、植物が「生き返った」。単なる延命ではなく、蘇生に近い効果があった。それは、元の世界の水揚げとは根本的に異なる現象だ。


なぜそんなことが可能なのか。


蓮は考え続けた。


イリスは、この世界には「魔力」が存在すると言っていた。世界樹から大地へ、そしてすべての生命へと循環するエネルギー。植物の内部に、その魔力の流れが見えた——いや、「感じられた」と言うべきか。


仮説が一つ、頭に浮かんだ。


この世界の植物は、水だけでなく「魔力」も導管を通じて循環させている。そして、世界樹の衰退により魔力の供給が滞った結果、導管内の魔力の流れが詰まり、植物が枯れている。


もしそうだとすれば——


スキル【水揚げ】は、魔力の流れを正常化する効果を持っているのではないか。元の世界で水の導管を開通させるように、この世界では魔力の導管を開通させている。


まだ推測の域を出ないが、一つの手がかりにはなりそうだった。


やがて、疲労が思考を上回り、蓮は眠りに落ちた。


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翌朝、蓮は鶏の鳴き声で目を覚ました。


身体を起こすと、全身に心地よい倦怠感があった。久しぶりに深く眠れた気がする。窓から差し込む光は、昨日と同じ曇り空だったが、どこか空気が澄んでいるように感じられた。


部屋を出ると、台所からいい匂いが漂ってきた。リーネが朝食の準備をしているらしい。


「おはようございます、蓮さん」


「おはよう。……蓮さん、か」


「あ、すみません。呼び方、変でしたか?」


「いや、いいよ。好きに呼んでくれ」


蓮は席に着き、リーネが用意してくれた朝食を受け取った。硬いパンと、薄いスープ。質素だが、空腹には十分だった。


「村長は?」


「もう起きて、畑の様子を見に行きました。毎朝の日課なんです」


「畑? 昨日見た限り、作物は育っていないようだったけど」


「はい……。でも、おじいちゃんは諦めていないんです。毎日水をやって、土を耕して。『いつか必ず、この土地に緑が戻る』って」


リーネの声には、悲しみと、それでも希望を失わない強さが混じっていた。


「蓮さんは、本当に異界から来たんですか?」


「……ああ。信じられないかもしれないけど」


「いえ、信じます。だって、昨日の——あの花を見ましたから」


リーネは目を輝かせた。


「あんなの、見たことないです。枯れかけた花が、一瞬で元気になるなんて。魔法使いでも、あんなことはできません」


「魔法使い?」


「はい。この世界には、魔法を使える人がいます。でも、植物を操る魔法は、とても難しいんだそうです。ましてや、枯れたものを蘇らせるなんて……」


蓮は黙って聞いていた。


自分のスキルが、この世界では稀有なものらしい。それは、イリスが言っていた「特別な適性」というものなのだろうか。


朝食を終え、蓮は村長の畑へ向かった。


村の外れにある畑は、やはり荒れ果てていた。土は乾ききり、ひび割れ、種を蒔いてもまともに発芽しないだろうことは一目瞭然だった。それでも村長は、鋤を手に黙々と土を耕していた。


「おはようございます」


「おお、ミズタニ殿。よく眠れたかね」


「はい。おかげさまで」


「それは良かった。……して、何かね?」


蓮は畑を見渡し、一つの決断を下した。


「この畑を、少し見させてもらえますか」


「見る? 見ての通り、何もないぞ」


「それでも」


村長は不思議そうな顔をしながらも、蓮を畑に招き入れた。


蓮は畑の土を手に取り、観察した。乾いた土は、指の間からさらさらとこぼれ落ちる。有機物もほとんど含まれておらず、生命の気配がない。


だが——


昨日と同じように、意識を集中させると、かすかに「見えた」。土の中を流れる、極めて細い魔力の流れ。それは枯れた川のようにほとんど干上がっており、わずかに残った水分が細々と流れているような状態だった。


「やはり……」


「何か分かったのか」


「この土は、死んでいるわけではありません。ただ、『流れ』が止まっているだけです」


「流れ?」


「私の故郷では、植物は水を吸い上げて生きています。その水の通り道が詰まると、植物は枯れる。この世界では、水だけでなく『魔力』も同じように流れているのではないでしょうか」


村長は目を見開いた。


「魔力の……流れ」


「はい。世界樹から供給される魔力が、土を通じて植物に届く。しかし、その流れが滞っているから、植物が育たない。……たぶん、ですが」


「お前さん、学者か何かなのか?」


「いえ、ただの花屋です」


蓮は苦笑した。


「でも、花屋は毎日、植物と向き合っています。植物がどうすれば元気になるか、どうすれば長持ちするか。そればかり考えてきました。その経験が、少しだけ役に立っているのかもしれません」


村長は、しばらく蓮を見つめていた。


「……ミズタニ殿。もし良ければ、この畑を——いや、この村を、助けてはもらえまいか」


「助ける?」


「昨日、お前さんは枯れかけた花を生き返らせた。あれと同じことが、この畑にもできるのではないか?」


蓮は畑を見渡した。


広さは、ざっと見て数百平方メートルはある。昨日蘇らせたのは、たった一輪の花だ。この規模の土地全体を、同じように処理できるだろうか。


「正直、分かりません」


蓮は正直に答えた。


「昨日のあれは、偶然うまくいっただけかもしれない。この畑全体となると、規模が違いすぎます」


「やはり、無理か……」


「でも」


蓮は続けた。


「試してみる価値はあると思います。うまくいくかは分からない。でも、何もしないよりはましでしょう」


村長の顔に、かすかな光が戻った。


「……頼む。この村には、もう希望がない。お前さんが、最後の希望なのかもしれん」


重い言葉だった。


蓮は深呼吸をし、畑の中央に立った。


どこから手をつければいいのか。考えを巡らせる。


昨日は、一輪の花の茎を水切りした。茎の切り口から、魔力の流れを促した。それと同じことを、畑全体に対して行えばいいのか。


だが、畑には茎がない。土そのものに対して、どのようにアプローチすればいいのか。


蓮は土に手を触れた。


乾いた土の感触。その奥に、かすかな魔力の気配。細く、弱く、今にも消えそうな流れ。


それを、強くイメージした。


水揚げの技法を、応用する。


切り花の場合、茎の切り口を水中で切ることで、導管を開通させる。空気を追い出し、水が通る道を確保する。


土の場合は——土の中の「詰まり」を取り除き、魔力が流れる道を確保すればいい。


蓮は両手を土に押し当て、スキル【水揚げ】を発動した。


手のひらから、淡い光が広がった。それは土の中に染み込み、ゆっくりと広がっていく。


感覚が拡張された。土の中の魔力の流れが、手に取るように分かる。詰まっている箇所、流れが滞っている箇所。それを一つ一つ、ほぐしていく。


時間の感覚がなくなった。


どれほどそうしていたか分からない。気がつくと、蓮は畑の中央で膝をついていた。全身から汗が噴き出し、息が上がっている。


「……ミズタニ殿!」


村長の声が、遠くから聞こえた。


顔を上げる。


畑の土が、変わっていた。


灰色だった土が、わずかに茶色みを帯びている。そして——その一角から、小さな緑の芽が、顔を出していた。


「芽が……芽が出ておる!」


村長が駆け寄り、その芽に触れた。震える手で、確かめるように。


「本当に……本当に、芽が……」


涙が、老人の頬を伝った。


蓮は息を整えながら、その光景を見つめていた。


一つの小さな芽。それは、この枯れた大地に咲いた、最初の希望だった。


________________________________________


その日のうちに、噂は村中に広がった。


「異界から来た男が、枯れた畑を蘇らせた」


村人たちが、次々と村長の畑に集まってきた。最初は半信半疑だった彼らも、実際に芽吹いた苗を見て、言葉を失った。


「……これは、夢か」


「いや、現実だ。この目で見ている」


「十年ぶりだ。この畑から芽が出たのは」


人々の目に、涙が浮かんでいた。


蓮は、その反応に戸惑いを覚えた。自分がしたことは、水揚げの応用に過ぎない。大したことではない——少なくとも、そう思っていた。


だが、この村の人々にとっては違った。


十年以上、作物が育たなかった。どれだけ種を蒔いても、水をやっても、何も芽吹かなかった。その絶望が、今、覆されようとしている。


「蓮さん!」


リーネが駆け寄ってきた。その目にも、涙が光っている。


「すごいです! 本当に、すごいです!」


「いや、まだ芽が出ただけで——」


「それでも、すごいんです! この村で、何かが育つなんて、何年ぶりか分からないんですよ!」


リーネは蓮の手を握り、何度も振った。


その夜、村では即席の宴が開かれた。


貧しい村には、ご馳走と呼べるものはほとんどない。それでも、人々は備蓄していた干し肉や古いワインを持ち寄り、久しぶりの祝いの席を設けた。


「乾杯! 異界から来た救い主、ミズタニ殿に!」


村長の音頭で、杯が掲げられた。


「いえ、救い主なんて……」


蓮は恐縮しながら、差し出された杯を受け取った。この世界のワインは、元の世界のものとは少し違う風味があった。やや酸味が強く、渋みがある。だが、悪くはない。


宴の席で、蓮は村人たちから様々な話を聞いた。


枯死地帯の広がり、食料不足、若者の流出。そして、遠い聖地にあるという世界樹の話。


「ユグドラシアは、この世界の中心にあるそうじゃ」


村の長老の一人が語った。


「昔は、世界樹の加護で大地は豊かじゃった。どこに種を蒔いても、作物は育った。水は清く、森には獣が溢れておった」


「それが、いつ頃から変わったんですか」


「わしの祖父の代からと聞いておる。最初は、一部の土地だけが枯れ始めた。それが、徐々に広がっていった。今では、大陸の三分の一以上が枯死地帯だという話じゃ」


三分の一以上。


その規模は、蓮の想像を超えていた。一つの畑を蘇らせるのに、あれほどの体力を使った。大陸全土となると、一体どれほどの労力が必要になるのか。


「世界樹を、治す方法はないんですか」


「分からん。世界樹のある聖地には、我々のような平民は近づけん。神官や学者たちが何とかしようとしているらしいが……結果は出ておらんようじゃ」


蓮は黙って聞いていた。


イリスは、自分にこの世界を救ってほしいと言った。だが、一つの畑を蘇らせるのが精一杯の自分に、世界を救えるのだろうか。


その疑問は、まだ答えを見つけられないままだった。


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