太陽の暗闇 —The Darkness of My Sun—

槇野栞理

第1話「冷たくなった太陽」

 今年は残暑が激しく、10月になったにもかかわらず相も変わらず太陽はさんさんと輝いていた。

 午前の仕事を終えた清野瑠璃は昼食を食べるためにオフィスを出た。瑠璃は今の会社に転職してきたばかりだ。まだ入社してから一週間も経っていない。そんなわけで、オフィス周辺にどのような飲食店があるのか全然把握していなかった。

(今日はどこに行こうかな)

 そんなことを考えながら、瑠璃はとりあえず駅近くの商店街に向かって歩き出した。


          *


 結局、今日の瑠璃の昼食はうどんだった。駅近くの商店街をぷらぷらと歩いていたら、美味しそうなかき揚げが目に入ってきて食欲をそそられたからだ。

(ふー、美味しかった)

 お腹が満たされた瑠璃は少しきつくなったスカートのウエスト部分を手で掴み、少し引っぱってみた。まあ、そんなことをしたところでスーツのスカートが伸びるはずがないのは承知しているのだが。

(さて、今は何時かな?)

 瑠璃はスマホを取り出して、画面の明かりをつけた。時刻は12時半を過ぎたところだった。

(ん? 着信履歴?)

 瑠璃はスマホ画面に『不在着信1件』と表示されていることに気が付いた。すぐに顔認証でスマホのロック解除をし、誰から着信があったのか確認してみた。

「えっ!?」

 瑠璃はうっかり声に出してしまった。意外な人物の名前に驚きが隠せなかったのだ。瑠璃は両目をパチパチさせて瞬きを繰り返したが、やはり画面の名前は変わらなかった。

(ほ、本当に……?)

 我が目を疑うとはこのことだ。

 なぜそんなに瑠璃が動揺しているのか――それはスマホ画面にもう10年以上連絡を取っていない弟の名前が表示されていたからだ。

 瑠璃と弟の瑛斗はお互いに思春期に入った中学生の頃から折り合いが悪かった。というのも両者の性格が真逆なのだ。瑠璃は真面目な優等生で、一方の瑛斗は髪をブリーチして真っ白にしたり、授業をサボったり、未成年なのに煙草を吸ったりする不良少年だった。瑠璃はそんな瑛斗のことを軽蔑していた。

 そんなわけで、同じ屋根の下で暮らしていながらも、二人は全く会話を交わすことがなかった。そんな状態が何年も続いたまま、瑠璃は大学4年生の冬に実家を出た。それ以来、瑛斗とは一度も会っていない。

(瑛斗が私に連絡してくるって……絶対なんかある)

 不穏な予感を感じ取った瑠璃はゴクリと生唾を飲み込んだ。心臓がバクバクと音を立てているのがわかる。

 とりあえず、瑠璃はうどん屋の店内での通話は迷惑だと考えて、食べ終わった食器を返却口に返すことにした。お皿やコップが載ったお盆を持って立ち上がる。

「ごちそうさまでした」

 瑠璃は返却口に食器を置きながら、お店のキッチンに向かってお礼を言った。そして、そのままお店を出た。

「さてと……」

 オフィスのある方向に向かって歩き出しながら、瑠璃はスマホを操作した。瑛斗に折り返しの電話を掛けるためだ。正直、なんだか嫌な予感がするが、一方でこれは絶対に重要な内容だという確信があった。瑠璃は緊張で震える指で発信ボタンを押した。

『プルルル……』

 発信音が鳴り始めた。その音を聞きながら、瑠璃は色々と予想を立ててみた。

(親のどちらかが亡くなったとか? でも、それならお兄ちゃんが連絡してくるよね?)

 実は瑠璃には弟だけではなく、兄がいる。弟とは昔から不仲な瑠璃だが、兄とは以前は普通に交流があった。〝以前は〟と表現したのは、実は兄とは2年前に派手な喧嘩してしまって、そのまま仲直りできないでいるからだ。でも、喧嘩はしたけど、中学時代からろくに口も利いてこなかった瑛斗より、2年前の喧嘩までは普通に交流していた兄の方が瑠璃への連絡のハードルは低いだろうと思ったのだ。

『もしもし?』

 瑠璃が考え事をしているうちに、通話が繋がって電話口の向こうから声がした。おそらく弟の瑛斗の声だと思うが、なんせもう10年以上交流していないので、ちょっと自信が持てない。

『もしもし? こちらは清野瑠璃ですが……?』

 瑠璃は恐る恐るそう言った。

『あ、姉ちゃん? 本物?』

 〝姉ちゃん〟という言葉を聞いて、瑠璃は相手が弟の瑛斗であるとようやく確信が持てた。思わず「ふぅ~」と息を吐きだした。

『瑛斗?』

『そう、オレ。久しぶり』

『あー、うん。久しぶりだね』

 そんな風に返事をしながら、瑠璃は心の中で何か変なの、と思っていた。学生時代の瑠璃と瑛斗はもっと険悪で、こんな風に当たり前の平穏な会話を交わすことはなかった。

『今、何してんの?』

 瑛斗がそう言った。

『今、仕事のお昼休み。ごはん食べ終わってオフィスに帰るところ』

『へー、何の仕事してんの?』

『ITエンジニアだよ』

『へー』

『そっちは美容師になったんだよね? 今日は仕事?』

 瑛斗は高校生の頃から髪をいじるのが大好きだったし、高校卒業後は美容師になるために専門学校へ進学していた。瑠璃と瑛斗は2歳差で、瑠璃が実家を出た大学4年生の冬時点で弟は専門学校の2年生だった。瑠璃が実家を出た後、瑛斗が無事に専門学校を卒業して美容師になったという話は兄の拓斗から聞かされていた。

『今日は休み』

 瑛斗はそう言いながら、「ふぅ~」と息を吐き出した。瑛斗のことだから、おそらく煙草を吸っているのだろう。

『おお、そっか。……そんで、どうしたの? いきなり電話なんて』

 お互いに近況報告を終えたところで、瑠璃はついに核心に切り込んだ。

『あー、あのさ、落ち着いて聞いてほしいんだけど』

 瑛斗の声のトーンが若干下がったのを瑠璃は感じた。

『……わかった。何があったの?』

 瑠璃はゴクリと生唾を飲み込んだ。

『あのさ――』

 その言葉の後に続く瑛斗の説明を耳にした瑠璃は頭が真っ白になった。何も言葉が出ない。視界が霞んでいく。周囲の音が遠くなる。指先が冷えていく。

『姉ちゃん? 大丈夫?』

 瑛斗の声掛けで、瑠璃は我に返った。

『あ、うん。大丈夫……ではないけど、状況はわかった。すぐにオフィスに戻って、上司に状況報告して早退させてもらうわ』

 そう言うと瑠璃はオフィスに向かって走り出した。

『早退させてもらえそう?』

『いや、させてくれないわけないでしょ。身内に不幸があったんだから』

 そう、瑛斗が電話を掛けてきた理由は身内の不幸を知らせるためだった。ただし、その〝身内〟は瑠璃の予想していた人物ではなかった。

――あのさ、お兄ちゃんが自殺した

 瑛斗はそう言ったのだ。

(自殺? いつも明るくて、友達に囲まれていた、あのお兄ちゃんが?)

 太陽のように明るい兄の笑顔を頭の中で思い描きながら、瑠璃はオフィスを目指して全力疾走した。

 いつもの瑠璃なら、10月にもなってまだ下がらない気温に心の中で文句を言うところだが、今は街を照らす太陽の強い光も熱も全く気にならなかった。


<To be continued...>

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太陽の暗闇 —The Darkness of My Sun— 槇野栞理 @mcnshiori_sirius

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