孤独を千年歩いた妖と、〈おもしろきこともなき世〉を駆け抜けた男

鷹司刀璃

第1夜 暖冬

雪。   



こんこん、という擬音語はだれが付けたのだろうか。   


こんこんとふる。   


こんこんと。   


こんこんと。   


 寒い中じっと体を丸めてその白い冷たい綿の中にうずもれて過したあの冬は、今は過去。   




暖冬   




「寒いだろが。閉めろ」   


 いつもの調子で奴が俺に命じる。俺は少しためらったが、命令どおりに障子を閉めた。   


「それともなんだ、犬は雪が好きだというが、てめェもそうなんかぇ?」   


 火鉢を前に炭をつつきながら、半纏を着て、燗酒をちびちび飲む目の前の男が、からかうように俺を見る。   

 人間の姿をしている時に犬とか言うなと思う。   

 誰か知らない奴が来たらどうするうつもりだ。   

 そう思いつつも、俺は違うことを口に出す。   


「そんなものは飼われている犬だけだ。俺は雪は嫌いだ」   

「今はてめェも飼い犬だろーがよ。・・・その割には熱心に見てたじゃねェか」   

「初めてだったからな」   

「あぁ?雪がか?」   


 みかんに手を伸ばし、剥きながら奴は問う。   


「バカを言うな。何万回と雪など見ている・・・」   

「じゃぁ何がだえ?」   

「・・・別に」   

「言え」   

「いやだ」   

「分からず屋」   

「傲慢」   

「気まぐれ」   

「我侭」   

「バカ犬」   

「アホ主人」   


 この野郎、とぽかりと頭をはたかれた。   


「痛いな」   

「痛くねェだろ、痛くしてねェんだからよ」   


 けらけらと笑いながら、奴は剥きおえたみかんを俺に投げた。   


「あと、意外に、マメ」   

「あぁ?」   


 受け取ったみかんからは綺麗にしぶが取られていて、俺はちょっと笑った。   


「なんだよ?」   

「別に」   

「ったく・・・」   


 まぁ、いい、座れ。   

 いつもの調子で自分の隣を示す。   

 いつものことだ、と俺は奴の隣に座る。   

 奴は二つ目のみかんに手をのばし、剥き始める。   


「・・・・・・」   


 俺は手にしたみかんをじっと見つめた。   


「何してんだよ、食え」   

「うん」   


 再び障子に目をやり、たった一枚の紙切れでもって遮断された庭を見る。   


「?」   


 いつもと違う、というような感じで、奴は俺を見る。   


「どーした?橘」   

「・・・・・暖かいところから見る雪は・・・美しいものだな・・・」   


 俺の言葉に、晋作はバカが、と小さくつぶやき、俺の頭をごりごり撫でた。   


「・・・指、色が移ってる」   

「気にすんな」   

「しぶもついてる」   

「気にすんな」   

「・・・あったかい・・・」   

「そりゃそうだろ」   


 撫で続けながら、晋作は俺に問う。   


「昔も見たんじゃねェのか?」   

「昔?」   

「お前が、人間だった頃だ」   


 あぁ、と俺は少しばかり遠くを見る目をした。   


「・・・・・・・・・・・・・・・忘れた」   

「・・・・そーか・・・」   


 奴は俺の頭を、抑えたまま、強引に自分の膝の上に乗せた。   


「痛い」   

「あーそーかい」   

「何だよ」   

「別になんでもねェよ」   


 さっきとは立場が逆だなとつらつら思いながら、俺は奴の膝の上に寝転んで奴が二つ目み

かん剥きを再開するのをぼんやりと眺めていた。   


「口、開けな」   

「・・・・・」   


 黙って小さく口を開ければ、一房しぶのないみかんが突っ込まれる。   


「・・・・・」   

「甘いだろ」   

「・・・・生暖かい」   

「・・・・一ぺんぶん殴るぞ、このクソ猫」   

「もう殴ってる」   


 口と同時に、というよりも手の方が口よりも早いこの男は、いつも殴ってから殴るぞと言う。   

 だが俺にはもう一つ気がかりがあった。   


「なぁ、晋作」   

「なんだよ」   


「犬型に戻っていいか?」


「なんでだ?」


「……この体勢…なんか、幼子みたいじゃないか」


「はぁ?お前、単なるガキみてェなもんだろうがよ」


はぁ?はこっちのセリフだ。俺の正体が羽犬であり、その中身が千年前のものだと知っているくせに。とはいえ、そんなことを言ってもやつには通じない。

それどころか、猫、猫とことあるごとに呼んでくる。


「いや……とにかく犬型に……」


「ダメだ」


「……」


また始まった。


「何でだよ」   

「忘れちまいな」   

「は?」   


 不意に落とされた言葉に、俺は一瞬はわけがわからずに間抜けな声を出してしまった。   


「昔のことなんて、忘れちまいな。てめェは今俺んとこにいんだ。それだけだ」   


 それだけ。   

 そう、それだけだ。   

 ずっと握っていたままの、一つ目のみかんを見つめた。   


「だから、遊びたきゃ雪ン中で跳ね回ってきな。お前は俺の犬なんだからよ」   


 しぶのないみかん。   

 俺はまたちょっと笑った。   


「・・・・不器用だな、お前」   

「殴るぞ」   


 そしてまた殴ってから言うんだ、この男は。   

 でも。   


「晋作」   

「あぁ?」   

「俺・・・今なら、雪、好きだ」   

「・・・そーかよ」   


 この一瞬を、俺は絶対に忘れない。   


 そうしたら、この先に見える一人きりの寒い冬も、この雪を嫌わずにいられるだろうから。   





fin... 

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