『顔も声も出さない探索配信者が、世界最深ダンジョンの記録を更新し続けている』

初見さん

第1話起動

 配信が開始された瞬間、画面は暗いままだった。

 光源は映っていない。それでも、視聴者はすぐに気づく。音がある。


 ――足音。


 一定の間隔で、乾いた反響が続いている。硬い床を踏み、壁にぶつかり、戻って消える。視点は低く、揺れはほとんどない。固定カメラではないが、無駄な動きもない。装着型。そう判断できるだけの情報が、最初の数秒に揃っていた。


 コメント欄が先に動き出す。


「始まった?」

「画面、真っ暗なんだけど」

「声はなし?」


 返答はない。

 音だけが、奥へ進んでいく。


 やがて、画面の端に淡い光が差し込んだ。通路の輪郭が浮かび上がる。石造りだが、装飾は削り取られ、角は丸い。古い構造だ。崩落の跡はない。長い時間をかけて、“通れる状態”だけが維持されてきた場所だと分かる。


 ダンジョンだった。


 探索者の姿は、最後まで映らない。

 階段を降りる際、ほんの一瞬だけ手が画面に入った。手袋越しでも分かる指の長さ。余計な力の入らない、癖のない動き。慎重というより、慣れている。迷いがない。


 それだけだった。


 【地下五層】


 無機質な文字が画面中央に表示される。

 この階層は、通常なら三人以上の編成が推奨されている。


 だが、画面に映っているのは一人分の視点だけだ。


「ソロ?」

「この深度で?」


 足音が止まる。

 数秒の沈黙。次の瞬間、通路の奥で何かが崩れ落ちる音がした。重いものが床を擦り、短く何かが弾ける。だが映像は揺れない。戦闘らしい動作も、武器も、敵も映らない。


 数十秒後、音が途絶えた。


 床に影が落ちている。

 形は歪で、輪郭が欠けている。何が起きたのかは分からない。ただ、そこに“何かがあった痕跡”だけが残されていた。


「今の何?」

「敵、いたよな?」

「喋らないの、逆に怖い」


 探索者は進む。

 立ち止まらない。周囲を見回すこともない。確認という工程そのものが、最初から存在しないかのようだった。


 【地下六層】


 コメントの流れが、わずかに遅れる。


「……あれ?」

「六層って、ソロだと――」


 その直後、表示の端に別の情報が重なった。本来、公開設定ではない項目。


 【探索者ランク:S+】

 【到達階層:非公開】


 一秒にも満たない。

 すぐに消える。


 探索者は、何の反応も示さなかった。

 歩調も、呼吸も、変わらない。


「今、見えた?」

「S+って……」

「表示ミスだよな?」


 足音が再開される。

 深度が進むにつれ、壁の質感が変わる。石でも金属でもない。光を吸い、反射を拒むような表面。触れれば何か分かるはずだが、探索者は一切触れない。


 カメラが一瞬、下を向く。

 再び手が映った。今度は赤い汚れが付着している。だが、どこにも傷は見えない。


 【地下七層】


 既知の踏破記録は、ここで途切れている。


 映像が乱れた。

 数秒。音声が消え、コメント欄の更新も止まる。


 復帰した画面に映っていたのは、静まり返った空間だった。

 破壊の跡も、戦闘の残骸もない。ただ、先ほどまで“存在していたはずのもの”が、完全に消えている。


 配信は続いている。

 探索者は、さらに奥へ進む。


 この時点で、まだ誰も確信していなかった。

 この無言の配信者が、世界で数人しか存在しない最上位の一人だということを。


 外に出ても、誰もこの人物に気づかない。

 それが、この世界の最上位だった。

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