昔話・百尺王の婚礼

辰巳しずく

昔話・百尺王の婚礼

 昔むかし、山のまた山に囲まれた国の奥深く。

 雲よりも高い尾根には夜にしかあらわれない、巨大な岩城がございました。

 岩城は山そのものが形作った天然の城郭で、その黒い岩肌は光を吸い、月の光も星の明かりすらも吸い込んだとか。


 そんな夜の岩城には一匹の化け物が棲んでおりました——その名は“百尺王”。

 

 千の脚は大地を裂き、鉄よりも硬い殻は刃を一切寄せつけず、毒もまじないも喰らう魔の王——大蜈蚣の化け物でございます。


 王が気まぐれに外を歩けば人々は逃げ惑い、家々どころか、村や街が滅ぶばかり。

 勇敢な武士や兵が百尺王を討とうと挑んでも手も足も出せず、残された戦場には何も残りません。


 時には恵みをもたらす龍の鱗すらも強靭な顎で噛み砕き、容易く貪る王に誰もが怯え、恐怖に顔を歪ませます。


 その百尺王のもとへ、ある年、ひとりの姫が嫁ぐことになりました。


 たいそう静かな姫で、雪よりも白い白無垢に身を包み、黒髪を長く垂らして歩く姿は岩城の重苦しい空気が和らぐよう。


 しかしひときわ王を惹きつけたのは姫の瞳でした。

 その瞳には憎しみでもなければ諦観でもない、ましてや恐れもない。ただ透き通った光を宿しておりました。


 あまりにも恐れを抱いていない姫に百尺王は不思議に思い、たずねます。


「そなたは何故、儂のもとへ来たのだ」


 けれど姫は何も答えず、ただ野に咲く花のようにあどけなく微笑むばかり。


 やがて迎えた婚礼の夜。

 祝言の鈴も鳴りやみ、篝火も消え、ざわめきも遠のいた頃、百尺王はもう一度たずねました。


「そなたは何故、儂のもとへ来たのだ——そのように病魔に侵された、いや、宿した身体では命も残り少なかろうに」


 姫は困ったように首をかしげます。


「さすが百尺王、その通りです。私は長い間、病魔を宿し続けてきました——全てはあなた様を滅ぼすためでございます」


 ひとたび血が噴き出せば、その赤は疫病をまき散らす穢れそのもの。

 病人。腐肉。汚物。ありとあらゆる病魔と触れ合い、何度も死にかけながらも身体に馴染ませてきた王殺しの器。

 自身の血肉が禁じられた秘術の果てであるとあっさりと認める姫に王はさらに問いかけました。


「それほどに儂が憎いか」

「いいえ、王よ。私はただ、勝負をしたいのです」


 そこで姫は語ります。

 王によって山が砕かれ、里が潰され、民草が悲鳴を上げられずに死んでいったこと。そして自分の国が滅んだ光景のなかで繰り広げられた王と龍の喰らい合いに——心奪われたこと。


「故郷が滅んだ悲しみと憤りは今も胸に焼きついております。しかし同時に夢見てしまったのです、私もまたあのように戦ってみたいと」

「それが病魔を取り込むことか」

「はい。毒もまじないも効かぬとなれば、病魔はどうかと考えました」

「効かなかったらどうするつもりだ。報われぬ努力など人間は望まないと耳にしたが」

「それでも構いません——私はあなた様のそばで終わることを選び続けてきただけでございます」


 百尺王は静かに笑いました。

 生まれて初めて、自分よりも強いものに出会えた。そう思ったからです。


「儂はそなたを娶れて、よかった」


 そう言って百尺王は姫を抱き寄せると、がぶり。

 その顎で姫の首にかじりつきました。姫は糸が切れるように絶命し、力を失った身体を支える王の体は真っ赤な血で染まりました。


 千の脚や鉄のように硬い殻の隙間に姫の血が染み渡ります。

 姫の骨肉を飲み込んだ口を通して、穢れが王の命を蝕みます。


 静かに、静かに。


 それでも王は喰らうのをやめません。

 むしゃむしゃ。ああ、不味い。なんという不味さだ。

 ばりばり、ぼりぼり。こんな不味い肉は喰ったことがない。

 ずるずる。こり、こりこり。この不味さは生涯、忘れないだろう。


 まったく、なんて花嫁だ。

 岩城に鋭く冷たい風が吹きすさぶなか、満腹になった百尺王はゆっくりと身を横たえました。


 やがてその巨体を満たしていた力は泉が枯れるように失われていき、王の証である千の脚も投げ出され、刃を通さなかった殻は内側からひび割れていきます。


 そして夜明け前、岩城は音を立てて崩れ落ちるのでございました。


 東の空から太陽が昇り、淡い桃と金色に染まった朝焼けの雲が流れる頃、王の根城はすっかり山へと還っていました。


 そこには王も姫もおらず、ただ白い花が一輪、鉄と土が混ざった風に吹かれながら砕けた岩の間から咲いていましたとさ。


 結局、姫が勝ったのか。

 それとも百尺王が勝ったのか。

 あるいは互いに望んだ結末であったのか——それを知る者は誰ひとりおりません。


 しかし人々は今も語ります。

 夜更けにあの山の奥から吹く風に鈴の音が混じっている、と。

 その鈴の音はきっと百尺王の婚礼で響いたとされる祝言の鈴だろう、とも。


 ——おしまい。


(了)

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昔話・百尺王の婚礼 辰巳しずく @kaorun09

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