第1話 目覚め

「私、皆瀬春馬くんのことが好き……です」


観覧車の中で少女から告白をされた。


「……それを俺に言ってどうする」

「筒井くんは陽菜のこと好き、なんですよね?」

「なんで知ってる?」


今まで誰にも言ったことはないし、悟られるような言動をした覚えはない。


「私が皆瀬くんを見る時と同じ目をしてるように見えたからです」

「そうか」


俺も以前から鶴見は春馬のことが好きなんだろうなと感じていたので説得力があった。


「陽菜、きっと今、皆瀬くんに告白してる」

「夜景が見える観覧車の中で二人きり。これ以上ないシチュエーションだな」

「驚かないんですか?」

「あみだくじで決めようって那都が言い出した時から何かあるように感じていた」


クジを作った本人が男子が記入した後に女子の名前を記入していた。

折り目をこっそり見ることも出来るし、泰夏もデカい声でそれぞれの記入場所を喋っていた。

つまり意図的にペアをコントロールできる八百長。

ジェットコースターは前座で本命はこの観覧車だったって事だ。


「鶴見は止めようと思えば止めれたんじゃないか?」


ゲーセンで遊んでいる間、コインゲームで遊んでいる時間に計画が練られたと考えられる。

その場に居合わせている鶴見なら計画を止めることも出来たはずだ。


「いえ、あれはなっちゃんが勝手に行ったことでそういう話し合いはなかったです」

「そうなのか?」


俺の当ては外れていた。


「でもあらかじめ計画されてたとしても私には無理です。止められません。皆瀬くんのことは好きだけど、陽菜のことも同じくらい好きなので……邪魔なんて出来ないです」

「俺の予想だとあの二人、付き合い始めると思う」

「そう、ですね。私もそう思います。でも筒井くんもわかってたならなんで止めなかったんですか?」

「邪魔したところで少し先延ばしになるだけだと思ったからな。今日タイミングを逃したところで告白する機会なんて一緒にいれば何度だって訪れる」

「…………」

「…………」

「あの、私達で付き合いませんか?」

「急にどうしたんだ?」


あまりに支離滅裂で意味が分からない。


「失恋した者同士の傷の舐め合いです」

「そういう冗談は好きじゃない」

「冗談なんかじゃないです。今なら本当に付き合ってもいいなって思えたんです」

「別に俺のこと好きでもなんでもないだろ。本気じゃない相手と付き合っても傷が広がるだけだ。自暴自棄としか思えない」

「誰でもいいから言ったわけじゃないです」

「そうは思えない。たまたま今、目の前にいるからだろ?」

「私は筒井君なら良いかなって」

「俺達は受験生だ。これから遊ぶ暇もなくなる。付き合ったところで時間は取れない。そもそも俺は今、誰かと付き合う気はない」

「断るんですね」

「鶴見は十分可愛い、だからもっと自分を大切にしろよ」

「たった今振られたばかりの人にかわいいなんて言われても嬉しくないです」

「別に相手が鶴見だから断っているわけじゃない。たとえ北条に告白されたとしても断る」

「なんでですか?」

「なんでって言われても時間が作れないし、受験が優先だ」

「なんでですか!」

「困ったな……」

「なんで…………」

「…………」

「……ぐすっ」

「泣くなよ」

「だってぇ~」

「……」

「ぐずっぐずっ……ひっく」


目の前で女の子に泣かれたのは初めてだ。

俺に原因がある訳でなくとも傍で泣かれていると非常に居心地が悪い。どうしたものか。


「……仮に恋愛のゴールを結婚とするなら」

「?」

「日本人は結婚するまでに1人辺り平均で5人と付き合うらしい。つまり今付き合ったからと言っても80%の確率で2人は別れるってことだ。別にチャンスが無くなったわけじゃない。特に高校生カップルは別れやすい傾向にあるらしいし」

「どこの統計ですか、それ」


少しだけ笑ってくれた。


「ネットだったか人づてに聞いたんだか忘れた」

「でも二人が別れたりするのも嫌だなぁ。私の好きな二人が喧嘩してお互いに傷ついて悲しむような結果は見たくないです。陽菜にも皆瀬くんにも幸せになってほしい」

「別に別れる原因が不仲になったからだとは限らない。何かが噛み合わなくなった結果、関係が恋人から友人に戻ることだってあるだろう」

「そうでしょうか?」


もし虚勢ではなく本心で恋敵であるはずの北条の幸せまで願っているのなら鶴見はすごく良いやつだ。

しかし良いやつはいつもも損な役割、自ら貧乏くじを引きに行ってしまうせいで自身は中々幸せを手にすることができない。

だからさっきの言葉が本心で言ってるのだと分かったのなら、その時は。


「俺は鶴見を全力で応援してやりたい」

「ふふっ。なんですかそれ」


頭の中で考えていたことが口に出てしまう。


「実際に何かしてやれる訳ではないが、それでも心の中で声援くらいは送ってあげたいなって」

「ふふふっそれ、なんの役にも立ってないですよ」

「そうだな。結局恋愛は自分と相手でどうにかしないといけない問題だからな」

「そうですね」

「だから俺から一つ忠告させてもらう。傷心の時に言い寄ってくる異性は絶対信頼したら駄目だ」

「あれ?もしかして私、今ディスられてます?」

「え?あ……」


突っ込まれ気づいたが、先程の状況は傷心(俺)に言い寄ってくる異性(鶴見)にも当て嵌ってしまう。


「ごめん。そんなつもりはなかった」

「良いですけど」


そう言って鶴見は少し不貞腐れた素振りを見せるも軽く笑っていた。

もうすぐ俺たちを乗せた観覧車は地上に着こうとしている。


「私、笑って二人のこと祝福できるでしょうか?」

「出来なかったら俺が気づかれないようになんとかする」

「優しいですね。ありがとうございます。筒井くんと観覧車、一緒に乗れてよかったです」


瞳にはまだ涙が浮かんでいたものの、悲痛な表情は消えかかっていた。




胸の痛みで目を覚ます。

見覚えがない景色が広がる。目の焦点はまだ定まらず、周りの物が霞んで見えて頭もぼーっとする。ここは何処だ?

身体を起こそうにも力が入らずに起き上がれない。


「失礼しまーす」


誰かが部屋に入って来た。聞き覚えのある声だけど、意識がぼやけて認知できない。


「だれ……?」


声を発すると口元が乾燥して上手く喋れない。


「え……?柊吾くん?目、覚ましたの!?」


この声は……


「ほう、じょう?」

「うん、そうだよ!北条陽菜だよ!おはよう。いつ目を覚ましたの?」

「いま」

「あ、お昼寝してた所を起こしてしちゃったかな?ごめんね」

「ん、ん?」

「え?」


どうも話しが噛み合っていない。俺の反応を見て北条も異変に気づいたようだ。


「もしかして、あの日以来……?」

「あの日ってのはいつのことかわからないが、この場所は初めて目にする」


首を捩り、周辺を見渡して病室だと気づく。


「わ、私、お医者さんを呼んでくる!!」

「まってくれ……何があったのか教えてっつぅ!」


少し大きな声を出すと傷口の辺りから痛みが染み出る。


「わかった。だから落ち着いて!私、ここにいるから。その、ね。あの日っていうのは私たちが遊園地で遊んだ次の日の朝、日付けだと10月17日、柊吾くんは私を庇って速水さんに刺されたの」


北条の説明を聞いて鮮明に思い出す。

そうか俺は……速水に刺されたのか。


「思い出した?」

「お、おぅ……」

「それから2か月半くらい寝たきりで」

「に、2か月半?2か月半も寝たきり!?」


目を覚ましてから一番の衝撃。

動揺してか北条の言葉をオウム返ししてしまう。


「そうだよ。それで」

「今日って何月何日?」


一度話しを遮って今日の日付けを確認する。


「12月26日だよ」


俺の記憶が正しければ刺されたのが10月17日で、今日が12月26日?

北条の言っていることが本当ならマジで2か月以上経っている。いや、北条がこんな嘘つくはずがないというのは分かっている。

え、受験どうしよう。

今までは受験のプレッシャーなんて感じたことのなかったはずが、急に不安と焦りで気分が悪くなってきた。

そもそもこんな状態で受験会場に行けるのか?


「大丈夫?顔色悪くなってるけど、お医者さん呼んできた方が良い?」

「大丈夫。続きを聞かせて欲しい」

「うん。それで最初は集中治療室にいて命の危険もあって面会も禁止でお見舞いに来ても会えなかったの」


2か月以上も眠りっぱなしだったなら命の危機も訪れても不思議じゃない。

自分のことなのに全く信じられない。いや、刺された時は俺も死を覚悟したけれど。


「それで1か月経った頃くらいからは一応お見舞いに来れるようになって最初はみんなで来たんだけど、今は私と御冬が交互にお見舞いに来てる感じかな」

「もしかして毎日?」

「うん。学校が終わった後に、休日は土曜日に私だけ」

「面倒を掛けてすまない。鶴見にも後でお礼を言わないと」

「そんなの全然だよ!私と御冬は柊吾くんに命を助けてもらったんだから」

「俺が勝手にやったことだから気にしなくていい」

「そういう事、さらっと言えちゃうのかっこいいね」

「……春馬とはあれからどうなんだ?」


好きな子に面と向かってかっこいいと言われた照れ隠しで本来ならあまり聞きくない話しに転換する。


「あー。えー。うーん。春馬くんとはあれからすぐに別れたんだ」

「悪い。余計な事を聞いてしまったな」

「ううん全然。柊吾くんは聞く必要がある話しだよ。あの事件は私と春馬くんが付き合い始めたことが原因で起きた事件だったから」

「そうか」


なんとなくだが分かっていた。

あの日の朝、上機嫌だった速水が豹変した行動を思い返すとそれ以外に考えられない。


「私も春馬くんもお互いに思う所があって納得して別れることになったの。実はまだ気まずくてお互いに避けてたりするけど、仲が悪くなったとかじゃないから気にしないでもらいたいな」

「もしかして髪を切ったのも別れたことと関係があるのか?」


北条の髪は腰に届くくらい長かった。それが今は肩にかかるくらいの長さまでにカットされている。


「うん。長いと手入れも大変だったし、いい機会かなって」

「短くなっても似合ってる」

「ありがとう。柊吾くんは前と今どっちの髪型が好き?」

「俺か?」

「うん」


どっちも似合ってていいと思う。

なんて返事を望んでるわけではないのだろう。


「どちらか決めるなら長い髪の方が好きだ」

「へぇ~そうなんだ。だったらまた伸ばそうかな?」

「俺の意見なんて聞いてどうするんだ?参考にならないだろ」

「……柊吾くんの意見が知りたいんだよ」


しっかりと聞こえていたが小さい声で喋ったので聞こえないふりをした。

こういう思わせぶりなことを言うのが異性にモテる要因の1つなんだろうな。


「質問ばかりで悪いけど、速水のその後は?」


一番気になっていたことを聞いてみる。


「速水さんは退学処分になったよ」

「退学、か」


傷害事件を起こした現行犯の生徒を学校側は庇いきれないか。


「柊吾くんが刺された後は学校に警察やメディアが何人も来て数日間学校は休校。速水さんだけじゃなく私と御冬と岡山先生も事件の関係者として警察署で事情聴取を受けてそこでいろいろなことを知ったの」

「とんでもなく大事になってるな」

「そりゃそうだよ。全国ニュースやワイドショーでも殺人事件だって取り上げられてたし」


殺人事件って……世間では俺は殺されたことになっているらしい。

正確には殺人未遂。見方によっては傷害罪で済むかもしれないのに。


「北条は速水とは不仲ではなかったよな?」

「うん。速水さんとはたまに話すくらいで特に悪意や敵意を感じた事はなかったよ。春馬くんのこと好きだったから私と付き合ったことにショックを受けて衝動的に事件を起こしたみたい」


春馬は幼馴染なのもあって相当入れ込んでいたと俺の身体に刻まれた傷が物語っている。


「北条は怪我しなかったか?」

「うん。私も御冬も柊吾くんに守ってもらったから大丈夫だったよ。気疲れでちょっと体調崩したりもあったけど、今はもう大丈夫」

「無事ならよかった」


話している限り、精神に大きな後遺症を負った様子も見られない。本当に良かった。


「ねぇ、どうして筒井くんは私達のこと守ってくれたの?ずっと気になってて」

「事件の前日、ジェットコースターに乗っただろ?」

「うん」

「あの時、前から聞こえてきた春馬の言葉が引っかかっていた。隣に座って聞いてた北条も覚えてるんじゃないか?」

「確か、近い内に誰かが死ぬってやつだよね?」

「そう。春馬は未来予知に近い虫の知らせが聞こえることがあるのを前に聞いていた。何言ってんだ思うかもしれないけど、以前にもそういうことがあったから少し警戒していた」

「もしかしてそれで?」

「異変に気付いた時、パニックにならずに済んだ」

「それで柊吾くんが死んじゃったらどうするつもりだったの?」

「本当はもっと上手くやれるはずだったんだけどな」

「馬鹿!本当に心配しちゃんだから。目が覚めて本当によかった」

「俺も刺されて服から滲み出る血を見た時は死んだと思った」

「本当に馬鹿……そろそろお医者さん呼んでくるね。明日は皆でお見舞いに来てもいいかな?」

「しばらくは検査で時間が取れないかもしれない」

「あ、そうだよね」

「落ち着いたらこちらから連絡する」

「わかった。待ってるね」


この後、北条に呼ばれた医者が来て、問診や今後の検査の説明などを受けることになった。

医師からの説明は裁縫用の布切りハサミが俺の内臓に深く刺さって出血によるショックから気を失い病院に運ばれた後にすぐ緊急手術を受けた。手術は成功したものの、途中心肺停止した影響から脳にもダメージが行き、ずっと目は覚まさなかったようだ。

俺の両親は現在、海外転勤で俺以外の家族は皆海外へと引っ越している関係でスマホを海外キャリアに買い替えている。その際に電話番号も既存のものと変わっていたが、俺が連絡先の変更を学校側に伝えていないのもあって未だに連絡が取れていないらしい。

意識の戻らない間の治療費や入院費は加害者側、つまり速水の両親が全額支払ってくれているとのことだ。

後で両親や学校にも連絡しなきゃいけない。学校は冬休みだから後回しでいいか。




目覚めてから4日後。

部屋の外からノック音が聞こえる。


「どうぞ」

「失礼します」


昨日で早急に必要な検査は一旦終わり、時間に余裕が出来たのでみんなを呼ぶより先に鶴見御冬に連絡して来てもらった。

久ぶりに見る鶴見は髪が伸びて以前に比べてより大人びて見えた。


「来てくれてありがとう。受験勉強で大変な時期に呼び出して悪い。どうしても先に個別でお礼が言いたかった」

「そんな全然、私もお話ししたいことがあったので……体調はどうですか?」

「傷はまだたまに痛むけど、身体は元気だ」

「良かったです」

「北条から何度もお見舞いに来てくれてたって聞いたよ。ありがとう」

「当然です」

「告白した翌日にあった出来事だったしな」

「……笑えない冗談ですね」

「すまない」


冷たい眼差しと声を聞いて即座に謝る。


「あれは、その、一時の気の迷いです。あの時のことは忘れてください」


どうやら鶴見にとっては忘れたい過去らしい。だが……


「それは難しい。なんせ告白されたのは初めてだったからな」

「え、そうなんですか?少し意外です」

「俺は春馬や泰夏と違って口下手だし、不愛想で背が高いのもあって周りからは怖く見えるらしい。そのせいか女子の方から声を掛けられたことはほとんどない」


鶴見が俺に対してずっと敬語なのも距離があるだけでなく、少し委縮してる部分があるんじゃないかと勘繰っている。


「確かに筒井くんはすごく大きいですよね。羨ましいです。口下手なことに関しては私も人の事を言えないです」

「バスケをやってた時はよかったが日常生活では不便なことは多いし成長痛も酷かった」

「知らないところで苦労しているものなんですね」


男の身長は女の胸みたいなものだと思う。周りから見ればデカければいいと羨ましがられているが、本人からしたらデメリットも多い。

日常生活ではサイズが合わなかったり、目立ってしまう。胸の場合も同様に視線を集めたり、肩こりが酷いと聞く。


「俺が眠っている間に何か変化はあったか?春馬と北条が別れたって話しは本人から既に聞いている」

「陽菜話したんですね……陽菜が皆瀬くんと疎遠になってからは私も皆瀬くんや近藤くんと喋る機会がほとんどなくなりました」

「そうなのか。なんとか前みたいに戻れるといいな」

「はい。でも時間が掛りそうです」


二人が別れたとしても拗れることなく、友達関係に戻れると思っていただけに今の状況がピンと来ていない。

鶴見が危惧していたことが現実になってしまった。


「鶴見は速水が今どうなってるか知らないか?」

「いえ、ただ皆瀬くんが速水さんに一度会いに行ったと聞いたので皆瀬くんに聞けば分かるかもしれません」

「分かった。近い内にみんなを呼ぼうと思ってたからその時に聞いてみるよ」

「あの、陽菜の前では速水さんの話しはしないようにお願いします」

「わかった」


俺や鶴見は直接狙われた訳ではないが、北条は違う。

速水の話しを聞いていい気がするはずがない。

……目覚めた時に話題に出してしまったが仕方ない。


「みんな来てくれると思うか?」

「それは大丈夫です。みんなすごく心配しているので」

「鶴見は予定空いてるか?」

「はい。年末年始は塾も休みですし、今年の冬休みは勉強以外に予定を入れていないので大丈夫です」

「それならよかった」


聞きたいことは聞けたし、お礼も言えたので俺の要件は話せた。

鶴見も俺に何か話しがあると言っていたが、まだされていない。


「あの、私も筒井君が目覚めたらどうしても聞きたいことがあって」

「なんだ?」


考えていた所でタイミングよく鶴見から切り出してくれた。


「どうして助けてくれたんですか?」

「そうだな……鶴見が知っての通り、俺は北条に好意を持っていた」

「なるほど。そういうことですか」

「でも最初は身体が動かなかった」

「えっ?どういうことですか?」

「鶴見が真っ先に北条を庇ったのが目に入ってから身体が動いた」

「私?」

「鶴見、観覧車の中で言ってただろ。好きな二人が傷ついたり、悲しむ顔は見たくない。北条には幸せになって欲しいって」

「よく覚えてますね」


俺にとっては数日前の出来事として記憶されている。


「言葉から真実を探る方法はない。人は本音を隠し、建前上はなんとでも言えてしまう。だからこそ本音を知れるタイミングは限られていて、いざって時に行動に現れる」


あの日、鶴見は速水と同じ方向。

マイナスの感情を抱いていたはずなのに速水とは真逆の行動を取った。

北条には言えなかった部分。


「鶴見が北条を庇う姿を見て俺は鶴見を助けたいと本気で思った。だから身体が動いた」

「何ですかそれ、私のこと好き、なんですか?」

「そういうわけではない」


と思う。


「すぐに否定されるとあの日のことを思い出して傷つくんですが」

「すまない」

「謝らないでください。それに今の私は誰とも付き合うつもりはないですから」

「そうなのか?春馬と北条が別れたなら今がチャンスじゃないのか?」

「筒井くん、前に傷心の時の異性の誘いは乗るなって自分で言ってたじゃないですか」

「そういえば言ったな」

「そういえばって……あの言葉、響いたのに」

「なんかすまない」

「もう、そんな調子で大丈夫ですか?共通テストもすぐですよ」

「共通テストか……そういえばずっと勉強できていないな」

「それは本当に大丈夫なんですか?」

「良くはないけど、一応刺される前まではA判定貰ってたからなんとかなるんじゃないかと思ってる」


目覚めた当初は取り乱してしまったが、時間が経つと感情も落ち着いた。


「筒井君って国大志望ですよね?あそこがA判定ならどこの大学でも入れるんじゃないですか?」

「そうだといいな。鶴見はどこの大学を狙ってるんだったけ?」


以前に聞いたような気がするけど、大して興味がなかったので忘れてしまった。


「翠女子大です。エスカレーター進学か最後まで悩んだんですけど、翠女子大に決めました」

「翠女子大って国大と同じで東京だよな。ここからだとかなり遠いけど、行きたい理由とかあるのか?」

「国立で今より上の大学、その中でもバスケが活発なところを選びたかったんです」

「津雲は私立で学費が高いしな」


高校もそうだが大学になると国立と私立で学費に大きく差が出る。

大学の無償化という話しも出ているが、俺たちが現役中に実現することはないだろう。


「一人暮らしは平気なのか?」

「家事は一応できます。というか筒井君も国大受けるなら同じ東京なんですから一人暮らしですよね?」

「俺は今も一人暮らしだし」

「えっ?」

「あれ知らなかったか?両親が4月から仕事で海外に転勤して今は一人なんだ」

「初耳です。でもそれなら問題なさそうですね」

「ごみ捨てと洗濯さえ出来れば後は金が解決してくれる」

「お料理はしないんですね」

「スーパーに行けば総菜があるからな」

「でも栄養偏っちゃいませんか?」

「俺は好き嫌いがないからある程度バランスは考えて買ってるつもりだ」

「良いですね。羨ましいです」

「鶴見は偏食なのか?」

「いえ、偏食というほどではないですが、人並みには苦手な食べ物はあります」

「何が嫌いなんだ?」

「内臓系が苦手です」

「癖があるからなぁ。鶴見は大学に入ってからもバスケは続けるんだな」

「特別上手なわけではないですが、続けたいと思ってます」

「続ける理由に上手い下手は関係ない。好きか嫌いかじゃないか?」

「そうですね。そうかもしれません。あ、じゃあ筒井君がバスケ辞めたのは嫌いになったからですか?」

「別に嫌いになったわけではない。ただ怪我した時に気持ちが切れて本気になれなくなったからかな」

「熱が冷めたってことですか?」

「本気でやってるやつがすぐ近くにいたから余計に中途半端な気持ちで続けるのも悪いと思ってな」


本当の理由は少し違うけれど、わざわざ鶴見に伝える必要はないと判断した。


「筒井くんは身長が高いだけじゃなく、とても上手だったので勿体ないってずっと思ってました」

「気持ちの問題だから俺からしたら上手い下手は重要じゃない」


俺が部活を辞めると言った時にも顧問や春馬に引き留められ、同じようなやり取りを何度もしたことを覚えている。


「ごめんなさい」


部活をやっていた時の記憶はあまり良いものではないので少し冷たい言い方をしてしまったせいか謝られてしまう。


「そろそろ帰ります。お身体お大事に」

「ああ、今日はありがとう。また近い内」

「はい。また」


最後は少し気まずい空気になってしまった。

鶴見が帰った後、6人のグループチャットを開くとやり取りの更新が一切なく、チャット履歴は俺が刺される前日の夜で止まっていた。

俺が書き込むとすぐに既読が1つ付く。

携帯を閉じようとしたらすぐに携帯が震えたので再度画面を覗くと全員の既読が付いており、次々と返信が届く。

目覚めた後は個別に連絡は届いていたが、立て込んでいたので返信していなかった。結局鶴見にだけ昨日返信して今日までを過ごしていた。

一応元気であることを告げるといつ見舞いに行くかの話しになり、すぐに顔が見たい、会いたいとの反応ばかりで嬉しい。

何度かチャットのやり取りした後、みんな明日は大晦日なのに都合が良いということで来てくれることになった。

普段なら予定が決まった後も他愛もない話しが続いているのに日時が決定した後は全員の会話がピタリと止まった。

ぼーっと携帯を見ていたら新たに一通の連絡が届く。

差出人は先程までグループ内でもやり取りをしていた内の一人、春馬からだった。

『明日みんなが帰った後で二人で少し話しをしたい』というシンプルな文。

『分かった。俺も聞きたいことがある』と返信した。




翌日の15時。


「失礼します」「お邪魔します」「こんにちは」「元気してるー?」「柊吾!!大丈夫か?」


5人が様々な挨拶でお見舞いに来てくれた。


「泰夏ここ病院だから!あんまり大きい声ださないでよね」


いつものように那都が泰夏に注意する。どうやらこの二人は前と変わらないままのようで少しホッとする。


「大晦日なのに来てくれてありがとう。泰夏は那都の言う通り、少し声のボリュームを絞ってくれると助かる。身体は平気だ。退院までは少し時間掛かるらしいけど」


みんなの挨拶に順番に答えていく。


「おう、悪りぃ……」

「身体のことは陽菜から聞いたでしょ大丈夫だって言ってたじゃん」

「でもよぉーやっぱ実際に会って自分の目で確かめないとわかんねぇだろ。ほら見てみろよこんなに痩せちまって」


泰夏と那都のやり取りは相変わらずだ。この様子なら暗い雰囲気にはならないかもしれない。


「20キロ減った」

「「「「20!?」」」」

「今はまだ流動食だ」

「あっ、じゃあコレ食べられないでしょうか?どうしよう」


お見舞い用に買ってきてくれたフルーツを指す。


「もう少し時間はかかるかもしれないが、固形物が解禁されたらフルーツから食べ始めることになると思うから有難くいただく」

「それならよかったです」

「そういえばよぉ、柊吾は受験の方は大丈夫なのか?」

「勉強できてないがなんとかなるはずだ」

「それやべぇだろ。ほんとに大丈夫かよ……」

「私、今日は過去問を持ってきたからこの中から出題しよっか?」

「流石陽菜ちゃん用意がいいね!」

「ほら、私は何回もお見舞いに来てたからその時に勉強道具がないこと知ってたから」

「正直助かる。ありがとう」

「うんうん全然。お見舞いの品が問題集ってのもどうなのかって思ったんだけど、喜んでもらえるなら持ってきて良かったよ」

「それじゃあ誰から問題出す?」

「じゃあ私からでいい?」

「那都からか。お手柔らかに頼む」

「柊吾相手に勉強で手加減は要らないでしょ。じゃーこの問題でどう?」


問題集からお題を出してもらい、答えを4つの選択肢から選んで回答する流れに。


「C」

「即答!?」

「合ってるね」

「陽菜も分かるの!?」

「うん。このくらいの問題なら私でも答え見なくても大丈夫」


私でもと言っているが、北条は元々学年上位10%に入るくらい成績優秀者だ。


「陽菜ちゃんやるなぁ~。次は俺が問題出すな!このページのこの問題はどうだ?」

「A」

「うわまた即答かよ」

「正解です」

「次は御冬!?って御冬は毎日受験勉強してるから分かってもおかしくないよね」

「なっちゃん……これ中学1年生で習うような問題だよ?」

「えっ……?アー、ホントダー。た、泰夏は分からなかったよね?!」

「んん?適当に選んだけど、確かにこれくらいなら俺でも解けるな」

「泰夏ァ?!」


まるで裏切り者のように言うが、この問題の答えが分からないのは危機感を持った方がいい。


「茉莉?受験はなくても少しくらいは勉強しよっか?私見るよ?」

「ひ、陽菜、笑顔が怖いよぉ~」

「なっちゃん、私が中学生の頃使ってた問題集いる?」

「御冬まで私に勉強しろって!?ちょっと春馬助けてよ~」

「え?あ、うん。茉莉頑張れ!」


こういう時は自分からフォローに回る春馬が今日はずっと上の空。

北条がいるから折り合いが悪いのかと思っていたが違うように見える。

というか中学生の問題集に誰も突っ込まないんだな。


「次は私でいいかな?」

「ああ」


次は北条が問題を出してくれるらしい。まだ出題していない春馬、北条、鶴見の3人は勉強ができるので先程の2人のように適当な問題が出てくることは考えずらい。


「この問題はどうかな?」

「……」

「おい、考えてるぞ」

「今回は即答じゃないのね」


少し黙っててもらいたい。この問題は……C?いやAか?


「……A」

「正解。流石柊吾君だね」

「次は私が問題出してもいいですか?」

「おう、御冬ちゃんやったれやったれ!」

「筒井に一泡吹かしてやらないとね」


いつの間にか俺VS出題者+泰夏、那都といった1対3の構図が出来上がっていた。

那都は自分で勝手に泡吹いたのに逆恨みするのは止めていただきたい。


「この問題解けますか?」

「…………」

「さっきより悩んでるな」

「陽菜と御冬は答え分かるの?」

「すぐには難しかなー。でも時間をかければ解けると思う」

「御冬は?」

「私は解ける」

「すげぇー。俺全然わかんねぇや」

「私も」

「静かにしてもらえるか?」

「お、おぅ。そんな怒んなよ」

「ごめん」


参ったな。答えどころか過程である問題の解き方が分からない。

まるで知らない国の言語を初めて聞いた時のように問題を理解できていない。この問題が難しいのか、それとも簡単なのかのすら分からない。


「A……」

「答えはDです」

「うおおおお勝ったーー」

「流石御冬」

「あの、もう1問、私が出題してもいいですか?」

「え、ん?ああ」

「もう1本取ったれ」

「いっけーー」


仇を取ったように外野が盛り上がっててうるさい。


「ではこの問題でお願いします」

「C」

「おい、今度は即答だぞ」

「なんでそんなにすぐ答えが出るの?」

「正解です」

「くそーーーって悔しがっちゃ駄目か」

「確かに。私も筒井の事倒すぞって熱くなっちゃったけど、受験のこと考えたら正解した方がいいに決まってるもんね」

「これ、さっきの問題よりも難しいのに」

「……」

「御冬?考えこんでどうしたの?」

「え?あ、なんでもない」

「問題はもういいか?全問正解という訳ではないがある程度できることは証明できたはずだ」

「そうだね。柊吾くんはいつ頃退院出来そうなの?」

「まだ決まってない。新学期までに間に合えばいいと思ってるけど、どうなるか」

「3学期始まったらすぐに共通テストだよね。2月から自由登校になっちゃうし、学校で会えるのもあと僅かになってしまうね」

「そうか。自由登校になると学校に行かなくていいのか」

「私は塾が中心になると思いますが、たまに登校しようと思ってます」

「え、そうなの?」

「うん。家で一人だと集中できないし、ずっと塾に居るのも滅入ちゃいそうだからね。それに分かんない問題があったらすぐ先生に聞けるから」

「あー。なら私は行かない方がよさそうだね」

「茉莉はうるさいからな」

「あんたにだけは言われたくない」

「間違いない」

「あはは」「ふふふ」

「柊吾くんは登校するの?」

「俺か?そうだな……その時の気分にもよると思うけど、基本的には自宅に籠って勉強するつもりでいる」

「陽菜は?」

「私?私もみんなの邪魔したら悪いから家でゆっくりしようと思ってるよ」

「北条なら邪魔にならないだろ。むしろ教えてもらえると助かる奴もいるんじゃないか?」

「うーん。教師でもない私が勉強を教えるのもね。人生にも関わる大事な時期だから責任は持てないかな」

「そうか」


俺の知っている北条は自分が力になれることなら進んで引き受け、責任を持って役割を全うすることに喜びを感じるような子だと思っていたからこの答えに少し違和感を感じてしまう。

俺の中で作り上げた勝手な北条陽菜のイメージだが、北条を知っている人からすれば的外れとは言われないはず。事件を通じて考え方が変わってしまったのかもしれない。


「それじゃ私たちはそろそろ帰るね」「またな柊吾」「次は学校で会おうねー」「お邪魔しました」

「今日は来てくれてありがとう」

「あれ、春馬は帰んねーの?」

「俺は少し柊吾と話したいことがあるから悪いけど、みんなは先に帰っててほしい」

「うん、わかった。皆瀬くんもまたね」「ばいばーい」「じゃーな」「新学期にまた」


皆瀬くんか……

4人と別れた後、春馬と病室で2人きりになる。


事前にグループの関係があまり良くないと聞いていたけど、泰夏と那都を中心に喋ってくれていたおかげでいつものような雰囲気で会話が止まることはなかった。二人に感謝したい。

それでもあの空気感の中でさえ、春馬が会話に加わることはほとんど無く、ずっと会話を聞き流しているように見えた。


「それで話したいことって?」


春馬が話し始めやすいように俺からパスを出す。


「少し言い難い話しなんだけど」

「遠慮しなくていい」

「クレアのことだ」


春馬からの話しはてっきり北条とのことだと勝手に思い込んでいただけに驚いた。まさか春馬も速水の話しをするために時間を作ってほしいと言い出すとは思わなかった。


「あれは……俺のせいで起こった事件なんだ。だから俺の顔を立てて被害者の柊吾には減刑を申し立てて欲しい。俺に出来ることならなんだってする!だから頼む!クレアを救ってほしい」

「待て待て、どういうことだ?ちゃんと説明してくれ」


俺のせいとは?確かに速水が春馬への好意が暴走して引き起った事件だと言えるけど、春馬に責任がある訳ではない。抱え込みすぎだ。


「ごめん、そうだよな。既に分かっていると思うけど、クレアは俺の事が好きで今回の事件を引き起こした」

「ああ」

「それで少し前から速水の刑事裁判が始まっている」


警察の世話になっているとは聞いていたが、刑事告訴されたのか。


「刑事告訴された以上無罪を勝ち取るのはほとんど無理だ」


数十年経って冤罪だと発覚することもあるらしいが今回は現行犯だし、言い逃れようがない。


「だから少しでもクレアの罪が軽くなるように被害者の柊吾に減刑を申し出て欲しい」


それで速水を救ってくれということか。しかし……


「春馬はそれで良いのか?」

「どういうことだ?」

「結果的に大怪我したのは俺だけど、速水は元々俺じゃなくて北条を狙っていた。お前は自分の彼女が狙われたのに対して何も思わないのか?」


本来の被害者は北条だった。

元とは言え、付き合っている彼女より加害者の幼馴染を優先する理由が俺には理解できない。


「……そんなの分かってる。だから陽菜とは別れた」


答えになっていない。だったらなんで北条と付き合い始めたのか分からない。

このままでは真意が分からないので少し質問を変える。


「なんで春馬はそこまで速水を庇うんだ?」

「クレアは隣に住んでて……小さい頃からずっと遊んできた。もう一人の家族みたいなものだから」

「幼馴染なのは分かっている。でも俺には北条より速水を優先する理由が分からない」


よく一緒にグループを組んで恋人関係になったほど距離が近い女の子と教室ではあまり喋ることもなかったギャルの幼馴染。

俺の目から見れば比べるまでもないと思うのだが、春馬からすると違うみたいだ。


「そうだよな……ただの幼馴染ってだけじゃ納得してもらえないか」

「まだ話してくれていない事があるんだよな?」


春馬は黙って頷いて3年前に起こった出来事を話し始める。




中学3年の夏休みが始まると俺はクレアの両親に頼まれてクレアと一緒に勉強するようになった。

クレアは自頭が悪かったわけじゃないのにずっと真面目に勉強してなかったせいか、すぐに集中力が切れて勉強にならなかった。

一緒に勉強会という形で同じ部屋で勉強するだけのはずが30分勉強しただけで音を上げていたので、普段の授業中はどうやって過ごしてるのか聞くと別のことを考えて授業は聞いてるふりをしているだけと言っていた。

まともに自習が出来ないクレアを見兼ねた俺は気が付けば、家庭教師のように勉強を教える側に回っていた。

勉強を続けていく内に集中の持続力もついていくと思っていたが、そこは変わらないままだった。

そんな状態でも勉強の成果は出て、夏休みが終わってすぐに行われた学力テストでクレアの成績は大きく向上した。

結果が自信に繋がったのかクレアは俺と同じ高校に入りたいと言い出した。津雲付属学園は進学校だし当時のクレアの学力ではかなり厳しかったけど、伸びしろを見れば不可能じゃないと感じ、目標を持って取り組んだ方が良いと思って俺も賛成した。

例え受験に失敗しても勉強が全て無駄になる訳ではない。それに合格出来たならクレアと一緒の高校で楽しい高校生活が送れると思った。

しかし勉強会は続けていたのにも関わらず、成績が大きく伸びたのは最初だけで10月の中間試験、12月の期末試験では微増に留まった。

冬休みになると俺から進学先を変えた方がいいと伝えると嫌だと駄々を捏られ結局説得出来なかった。

クレアは俺と同じ高校ならどこでもいいのかな?と勝手に思い込んでいて、それなら俺も進学先を変えると言ったら物凄く怒られた。

進学先を変えないなら別の方法、何か良い勉強方法、良い参考書がないか探していた時に催眠術の本が目に留まった。

催眠術なんて馬鹿だと思うかもしれない。それでも俺自身がオカルトのような現象を何度も体験してきたからこそ、縋る想いで催眠術書を手に取り、駄目元で買ってみることにした。

催眠で集中力を持続させられれば勉強効率が上がって成績も伸びると思った。

結果は大成功。

俺に催眠術の才能があったのかクレアが凄く催眠にかかりやすい体質なのかわからないが、勉強前に暗示をかけると集中力が向上し、成績も一気に伸ばすことに成功した。


ここまでは良かった。


年が明けてからもほぼ毎日二人での勉強会は続いていた。

これまでと少し変化したことと言えば、クレアが休憩中のおやつとしてチョコレートをよく持ち込むようになったこと。チョコは俺も好きだったし、勧められるがままに毎回一緒に食べていた。

いつものように休憩中にクレアから貰ったチョコを食べるといつもと違って急に顔が熱くなってきた。

この日のチョコには大量のウイスキーが含まれていた。

食べてからすぐ気づいたものの吐き出すわけにも行かず、アルコール耐性が全くなかった俺は意識が混濁し、意識を失った。

目が覚めた時、俺はクレアと唇を重ねていた。

最初は意味が分からず、クレアを引き剝がしてどういうつもりなのか問い質そうとするとクレアの様子もおかしかった。

目がうっとりと蕩けていたので最初は俺と同じようにアルコールでそうなっているのかと思ったが、酔っぱらった様子とは違った。

回らない頭をフル回転させて導き出たのは"俺がクレアに催眠をかけてキスをした"という答えだった。

自分でも信じられない。クレアに対して好意があったのは認める。でも何故そんな蛮行に及んだのか、酔っぱらっていたからでは済まない。

俺は性犯罪を犯してしまった。

よくない考えだけが頭を過り、怖くなった俺はその日の記憶を消す催眠をクレアに施してから適当な理由をつけてすぐ勉強会は解散した。

俺は事実を隠蔽までして本当に最低だ。

それから1週間学校を休んだ。最初は本当に熱が出て動ける状態じゃなったのだけど、2日間程はクレアと顔を合わせるのが怖くて、今後はどう向き合えばいいのか分からずに悩んで休んだ。

俺が休んでいる間もクレアからたくさん連絡が来た。そっけないも感じにはなってしまったけど、なんとか返信すると新しい情報が知れた。

あの日食べたチョコはアルコール度数の強いウイスキーが大量に入ったクレアの手作りチョコだったらしい。

今思えば何故そんなものを勉強している時に食べようと思ったのか不思議だけど、クレアのことだからきっと美味しくなると思ったから入れたで片付けられてしまう。

結局俺が悩みながら出した対策は以下3つ。

1今後アルコールが入っている可能性がある物は一切食べないこと。

2クレアだけじゃなく女性に対して邪な考えは浮かべないこと。

3勉強会は引き続き責任放棄せずにやり遂げること。

復帰した際に学校でクレアと久しぶりに顔を合わせた時、俺はぎこちなさを隠しきれてなかったが、クレアは今までと変わらずに接してくれたのであの日のことは覚えていないものだと確信して少しだけ安心した。

次の勉強会には強い意志を持って臨んだにもかかわらず、クレアの部屋で二人きりになってしまうとどうしても前とクレアを見る目が変わって意識してしまい、近い距離で話しているだけでドキドキしてしまうようになってしまった。

例え俺が集中できていなくてもクレアは黙々と勉強していたのもあって二人とも津雲高校に合格できた。

合格発表の帰り道、道中でクレアから付き合って欲しいと告白された。

けど、俺はその告白を断った。

この告白はクレア本心ではなく、俺が施した催眠の影響でクレアの感情を変えてしまったような気がして受け入れることが出来なかった。

高校に入ってからはバスケに熱中することで頭の中からクレアの事を遠ざけられていた。

3年になるまでは違うクラスだったこともあって、廊下ですれ違ったり、近所で偶然会うくらいしか接点がなくなっていた。

一緒のクラスになっても2年間離れていたせいか、お互いのコミュニティーが違うのもあって、いい距離を保てていると思っていた。

しかしそう思っていたのは俺だけだった。

事情が大きく変わったのは事件の前日、ゲーセンでクレアに会ってからに狂い始めた。まさかクレアからまた勉強を教えてとお願いされるなんて……

正気でいられないくらいに動揺していた。どうにかして勉強会を無くすことが出来ないかだけを考えていた。

観覧車で陽菜と一緒になった時、クレアを避ける為に俺から陽菜に告白しようかと考えた。

俺に彼女ができればクレアが配慮して勉強会がなくなるんじゃないかって期待した。

自惚れていると思われるかもしれないが、陽菜に告白したら断られない自信があった。

でも、そんな理由で告白するのは失礼だと思い留まっていると彼女の方から告白された。

利用することには変わりがないのに自分から告白するのと相手からされるとでは違って、告白を受け入れるのに不思議と抵抗がなかった。

抵抗が無かったのは陽菜だからこそ受け入れられたのかもしれないと俺の感情の変化に少し喜んだ。



「そして翌日、俺と陽菜が付き合い始めたことを知ったクレアが事件を起こってしまった」

「経緯は分かった」

「それじゃあ!」

「だからと言って俺が速水を庇う理由にはならない」

「柊吾ぉ~~」


これまで春馬から聞いた中で最も情けない声で懇願するように俺の名前を呼ぶ。


「速水が今どんな気持ちでいるのか知らない。後悔しているのか、反省しているのか、それとも殺人計画が失敗に終わり逆上してるのか。春馬は面会に行ったんだよな?どんな様子だったかを教えて欲しい」

「面会は拒絶されて会えていない」

「えっ」


意外な回答が返ってきた。てっきり速水は春馬が来たなら喜んで対応するのかと思った。

俺が速水と同じ立場だったら絶対に会いたくないなので拒絶する事がおかしいとは思わないけれど。


「事件がニュースになると町内でも騒ぎがあってクレアの家族はそのまま引っ越してしまったから今は本当にどうしてるかわからない」


春馬ですら何もわからないのに俺から速水にコンタクトする方法なんてないだろう。

減刑を申し出て欲しいと言われても、向こうからの接触は今の所ない。いや、事件の被害者としての立場を利用すれば本来は知れない情報も開示してもらえる気がする。


「わかった。俺の方でも少し動いてみる」

「柊吾ぉおお!ありがとう!!」

「あまり期待はしないで欲しい」


受験も迫ってきている。最優先は試験勉強だ。


「俺が出来ないことをやってくれるんだからそれだけで充分だよ」

「先に言っておくが速水が救えない人間だった場合、俺は容赦しない」

「クレアなら絶対に大丈夫だ」


大丈夫じゃなかったから事件が起こったことを春馬は理解していないのか?


「俺からも一つ頼みたいことがある」

「何でも言ってくれ」

「俺が知ってる皆瀬春馬に戻ってくれ」


今日の春馬は結局、北条とは一度も目を合わせることはなかった。

こんなのは俺の知っている皆瀬春馬ではない。泰夏や茉莉が居てくれて本当に良かった。


「頑張ってみる」

「頑張らなくてもお前なら出来る」

「それは買い被りすぎかな」


人間関係は自分一人だけの問題ではないが、皆瀬春馬ならどんな相手であろうと打ち解ける力を持っている。


「柊吾からの話しは陽菜と仲直りしてってことであってる?」

「いや俺も速水のことを聞きたかったから大丈夫だ」

「何か聞きたいことがあれば俺が知ってる範囲で話すよ」

「今日は大丈夫だ。聞きたいことができたら連絡する」

「それなら今日は帰るよ。柊吾ありがとう。クレアのことよろしくお願いします」

「ああ、またな」


春馬は帰り際に頭を深く下げてから病室を出て行く。

春馬は北条ではなく速水を取った。速水が春馬に拘っているように春馬もまた速水に拘っている。お互いは向かい合っているのに同じ方向には進まなかった末路がこうなってしまうなんて……

俺は春馬を見送ると事件について調べる。

携帯を手に取り『津雲学園 刺傷事件』で検索。

『9月20日午前9時頃〇〇県津雲付属学園にて女子生徒が男子生徒を所持しているハサミで刺傷。ハサミは男子生徒の胸部に深く突き刺さり、刺された男子生徒は意識不明の重体のまま病院に搬送された』

未成年事件だということもあってかネットニュースでは現時点で俺が知っている範囲のことしか書いてなかったので役に立たなかった。

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彼女と同棲するまでの話し-The story until live in with her- クランボラム豊田 @akasakaajii

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