食の覇王と白い手の娘

カクナ ノゾム

第一幕 荒野の厨師

 これは、何処かで見たような、そうでないような物語。


◇ 


 華大陸の中央、黄土が舞う乾いた街道。

 一人の旅人が歩いていた。


 街道は街と街をつなぐ血管のようなもの。

 道を進むと、大きな街がある。


 その街外れに、一軒の楼閣が佇んでいた。

 『白仙楼ハクセンロウ


 かつては朱色に輝いていたであろう太い柱は塗装が剥げ落ち、龍を彫った豪奢な看板も、今は風雨に晒されて文字が読み取れないほどに黒ずんでいる。

 かつての栄華は見る影もなく、ただうら寂しい廃墟の気配だけが漂っていた。


「……この店か」


 その店の前に、一人の旅人――いや青年が立った。

 墨のような黒髪を荒々しく逆立て、右頬に大きな傷跡がある。

 着古した藍色の道着は旅の砂埃にまみれ、その背中には、自身の身長ほどもある棺桶のような布包みを背負っている。


 青年の名はラオ。

 彼はある目的のため、大陸中を放ろうしている旅人だ。

 彼は廃墟のような店を見上げ、意味ありげに目を細めると、重い足取りで暖簾をくぐった。


「い、いらっしゃいませ!」


 店内に響いたのは、慌ただしい少女の声だった。

 広い店内には客はおらず、がらんとしている。

 声の主は、厨房とホールを行き来している小柄な少女、メイリン。

 栗色の髪を二つのお団子に結い上げているが、後れ毛が乱れ、疲労の色が濃い。

 身につけている白い割烹着は、彼女の華奢な体には大きすぎて、まるで大人の服を無理やり着せられた子供のようだ。

 彼女は給仕をしながら、一人で鍋の番もしているらしい。


「あ、あの、お一人様ですか?」


「ああ。……随分と静かな店だな」


「う……」


 メイリンが痛いところを突かれたように顔を曇らせる。

 その時だ。


 ガシャァァン!

 店の奥で、陶器が壁に叩きつけられて砕け散った。


「なんだこりゃあ! こんな薄味のスープが飲めるかよぉッ!」


 陣取っていたのは、蛮刀を腰に提げた三人の男たち。

 地元のならず者集団『黒牙党こくがとう』だ。

 メイリンはラオへの案内もそこそこに、慌てて男たちの元へ駆け寄る。


「も、申し訳ありません! すぐに作り直しますから!」


「うるせえ! 先代のババアが死んでから、この店の味は地に落ちたんだよ! 慰謝料代わりに、この店の権利書を置いてとっとと失せろ!」


「そ、そんな……ここは母さんが残してくれた大切な……」


「俺たち黒牙党に逆らおうってのかよ、この小娘が!!」


「おうおう、黒牙党は、あの味魔皇とも関係があんだぜっ! 逆らったらどうなるかわかってんだろうな!?」


 男がメイリンの胸ぐらを掴み上げる。


「ひっ!」


 彼女が抵抗しようと伸ばしたその手を見て、ラオの眉がピクリと動いた。


 その手は、十代の少女のものとは思えないほど無残だった。

 指先はあかぎれで割れ、火傷の跡が無数に重なり、包帯が痛々しく巻かれている。

 不器用な努力と、過酷な労働の証だ。


「……騒々しいな」


 ラオは男たちの卓に近づくと、まだ無事だった丼を勝手に取り上げた。


「あぁ? 誰だテメェは!」


「通りすがりの客だ……が、味魔皇とは、聞き捨てならない名前を聞くもんだな」


 ラオは琥珀色のスープを一口すすり、静かに目を閉じた。

 喉を通る感覚、鼻に抜ける香り。

 そして、カタン、と椀を置く。


「……確かに、足りていないな」


「あ!? だろ!? 兄ちゃんもそう思うだろ!」


「ああ。技術は正確だが、魂が乗っていない。教科書通りの『ただ美味いだけ』のスープだ。……だが」


 ラオの瞳が、ギラリと殺気を帯びて男たちを射抜く。


「貴様らが難癖をつけて店を壊すほどの不味さでもない。作り手への敬意を欠いた舌など、豚にでも食わせておけ」


「……あぁん? 死にてえのか、ガキがぁ!」


 男たちが激昂し、一斉に蛮刀を抜き放つ。

 三方向からの斬撃。逃げ場はない。

 メイリンが悲鳴を上げ、目を覆ったその刹那。


「――『崩掌ほうしょう』」


 ドォォォォォンッ!!

 大砲を撃ったような重低音が轟いた。

 ラオが軽く掌を振るっただけで、大柄な男たちが紙切れのように店外へと弾き飛ばされ、街道の岩に激突して白目を剥いた。

 圧倒的な武の理。

 メイリンは腰を抜かし、パクパクと口を開閉させている。


「……おい、起きろ。お前ら、腹が減ってるからイラつくんだ」


 ラオは気絶していた男たちをズルズルと引きずり戻し、椅子に座らせると、勝手に厨房へと足を踏み入れた。

 驚くメイリンを尻目に、カマドの火を一気に強める。


「ぼやっとしてるな、デカいエプロンの嬢ちゃん! 麺はあるか!」


「は、はいっ!」


「なら見ておけ。足りない『魂』ってやつを注入してやる!」


 ラオが背中の布包みを解く。

 現れたのは、分厚い鋼鉄の塊――それは包丁というにはあまりに大きすぎ、大さっぱすぎた。それはまさに鉄塊。


 その名も伝説の中華包丁『龍牙りゅうが

 その重量感のある刃が、その刃に刻まれている紋章がカマドの炎を映して赤く輝く。


「その包丁に刻まれている紋章……大陸に数十人しかないいといれわている……特級厨師の紋章っ!!」


 包丁に刻まれている紋章をみたメイリンが息を呑んで呟いた。


「特級奥義、見せてやる!」


 龍牙一閃。

 空中に放り投げられた麺の塊が、銀色の閃光と共に数千の糸へと姿を変える。

 燃え盛る炎。舞い踊る香辛料。

 それは調理というより、荒々しい演舞だった。

 ラオの腕の筋肉が躍動し、中華鍋が悲鳴を上げるほどの熱量で振られる。


「食らえ! 特級奥義『爆炎・麻婆龍麺マーボー・ドラゴンめん』ッ!」


 ドン、ドン!

 目を覚ましたばかりの男たちの前に、燃えるような赤色の丼が突き出された。

 暴力的なまでの香辛料の香りが、脳髄を直撃する。

 男たちは抗えず、夢中で麺をすすった。


「ぐ、ぐおおおおおッ!?」


 一口食べた瞬間、男たちの目から滝のような涙が噴き出した。

 辛い。だが、その奥にある爆発的な旨味と熱量が、彼らの荒んだ心を芯から温めていく。


「か、身体が……熱い! なんだこれ、力が湧いてくるのに、心が穏やかになっていくぅ……!」


「うめえ……うめえよぉ……!」


 男たちはその場にひれ伏し、号泣しながら麺を貪り食った。

 完食後、彼らは憑き物が落ちたような顔で、ラオとメイリンに向かって深々と頭を下げた。


「すんませんでしたァッ! 心を入れ替えて、真面目に働きますッ!」


 男たちが去った後、静寂が戻った店内。

 メイリンは、信じられないものを見る目でラオを見つめていた。

 圧倒的な武力。そして、人の心を変えるほどの料理。

 彼女は、自分のボロボロの手を強く握りしめ、ラオの前に進み出た。

 その大きな瞳に、強い光が宿る。


「……お願いします!」


 メイリンは深々と頭を下げた。


「私を弟子にしてください! 母さんの店を守るために……あなたのその力が欲しいんです!」


 ラオはあきれたように肩をすくめ、中華鍋を置いた。


「おいおい。俺は一匹狼だ。弟子なんて面倒なもんは取らない主義でな」


「お願いします! このままじゃ、店が奪われちゃうんです……!」


「あぁ? 奪われる?」


 メイリンは顔を上げ、唇を噛み締めながら訴えた。


「この土地の地主、チン老人が通告してきたんです。『三日後の正午までに、先代と同じスープを出せなければ店を取り潰す』って……」


「ほう、借金のカタにか」


「いいえ、味です! チン老人は有名な美食家で、母さんのスープの虜でした。でも、母さんが死んでから、私が作るものを一口飲んでは『泥水だ』って吐き捨てるんです!」


「泥水、ねえ」


「悔しい……! レシピ通りに作ってるはずなのに、どうしても母さんの味が再現できない。かつて大陸一と謳われ、王侯貴族さえもお忍びで通ったという『伝説の味』が……」


 その言葉を聞いた瞬間、ラオの目の色が変わった。


「……やはり、ここがそうか」


「えっ?」


「俺がただの気まぐれで、こんな寂れた暖簾をくぐったと思うか? ……俺は探して来たんだよ」


 ラオは鋭い視線で、厨房の煤けた柱や、使い込まれた調理器具を見回した。


「『白仙楼の聖女』。飲めば死人すら蘇り、老人は若返るという『幻の薬膳』の噂……。俺はその味を確かめるために、わざわざ国境を越えてここまで来たんだ」


 メイリンは息を呑んだ。目の前の男が、母の名を知っていたことに驚いたのだ。

 ラオはメイリンに向き直ると、ニヤリと笑った。


「だが、出てきたのは魂の抜け殻のようなスープだった。……ガッカリさせやがって」


「うっ……す、すみません」


「謝るな。無いなら、蘇らせればいい」


 ラオはメイリンの目の前に立ち、その荒れた手を無造作に掴み上げた。


「期限は三日、か。……相手にとって不足はない。幻の味、俺がこの舌で解明してやる」


「ラオさん……!」


「俺の修行は死ぬほど辛いぞ。……だが、そのあかぎれだらけの手、嫌いじゃない」


 ラオは空になった中華鍋を置くと、ニヤリと不敵に笑った。


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