tについて

北出たき

第1話

 3階の教室から校庭まで運んできた椅子をクラスごとに並べて座った。6時間目の青空教室が始まってから何分経ったのか話半分に学年主任の話を聞いていたため分からない。英語の教師であるにもかかわらず日焼けした顔をし、常にジャージを着ている学年主任は錆びた薄緑色の台の上で、手を後ろに組み仁王立ちの姿勢で160人もいる、いつもの集会より座高の高くなった私たちに向かって、時折首をゆっくりとめぐらせながら話した。

 私はどこの端の列からも遠い真ん中に座っていて、大量の学生の中に紛れ込んでいた。白い校庭の砂と視界一杯に重なり合う黒い頭、私たちの座る椅子の使い込まれた背もたれの乾いた木質。遠くに見える先生とヒソヒソ話に花を咲かす周りの同級生の横顔。私は学年主任を遠く眺めやりながら周りの同級生を見るともなくみたり、地面に目を落としながら運動靴のつま先で砂をいじりったりした。

 マイクを通した男の声が優等生のようにまっすぐ、しかし柔らかく太さを持って耳に届く。その絶え間からは踏みしめられた砂のじゃりじゃりと鳴る音もかすかに私の耳に流れこんだ。

 私の目線は足元にくぎ付けになりぴくりとも動かない。項垂れるようにして見開いた目が、そうしようという意思はあまりないのに硬直していた。しようと思えばできないこともないが、瞬きも今は面倒だった。

 不意に髪が後ろに引かれた。加減するような躊躇いがちの感触が私の髪を通して頭皮に伝わった。掴んだ手を離したのかすぐにその感触は消えた。

 振り向くと、同じ班のtが普段とは打って変わって白痴者のように私の髪を見詰めていた。結んだ口の端にはかすかな笑みの色が見え、鼻の穴もまたかすかに膨らんでいる。tはtを見つめる私の視線には目もくれない。

 後ろを振り返ったままの私の髪をtはまた引張っる。痒いところに手が届いたような痛気持ちよい感触がtが掴んだだけの髪の本数分、その根元の毛穴のまわりに広がる。しかし時が経つにつれて、いつ終わるのか分からない痛みに若干の恐怖を私は覚え始めた。意図せず顔に不安が積もるのが自分でも分かった。それでもtが引張る方に合わせてゆっくりと頭を傾けるといくらかましになった。

 tはその後も二度私の髪の束を引張ったが、ゆっくりと放した手で今度は私の髪を一本だけつまんだ。依然と後ろに顔を向けたままの私は数席離れたところに座るs本が私の姿を見ているのに気付いた。彼は口をへの字に曲げて奇妙なものでもみるような顔を私に向けていた。

 野球部の主将であるtが白痴者にでもなったように私の髪から目を離さず、私の髪を引き続けるのはなぜか私にはわからない。給食の時間わたしの箸の使い方がきれいだとtは言った。3年になってから席替えの度に同じ班になったtとの関わりといえばそれくらいのものだった。

 根元から数センチの髪にかすかな痛みが絶え間なく続いていた。髪の毛には神経が通っていないというが、それでも根元から数センチの位置まで、まさに髪の毛と同じ細さを持った痛みが、鋭く気分が悪くなるほど通った。そして髪の毛を引張ることで与えられる痛みのその頂点を迎えようとする直前、毛穴の奥がかゆくなったかと思うと、ぬめりだすようにしてぷっつりと髪が抜けたのが分かった。

 わたしがこの人にされるがままになっていたのは、彼が私に少なくとも嫌悪感を持っていないことを知っているからだ。

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