ホワイトベリルの宝石
白井琴理(しらい ことり)
第1話
初めて会った瞬間、雫は心を奪われた。
「大丈夫ですか?」
声のする方を振り返ると、
目の前に立っていたのは、
サラサラの黒髪をした中性的な顔立ちの美男子だった。
原付バイクが故障し、
どうしていいか分からず、立ち尽くしていたところを
彼は通り掛かったのだ。
彼は何も言わず、雫の代わりにバイクを押し、
一緒にバイクショップまで付き合ってくれた。
まるで夢を見ているみたいだった。
この時間を壊したくないと思った。
「あの……今度、お礼をしたいので、
連絡先、教えてもらえませんか?」
雫は、いつになく積極的になっていた。
雫には、拓也という彼氏がいた。
付き合って、三年になる。
雫のわがままを何でも聞いてくれる、優しい人。
でも、いつからか、何かが足りないと感じるようになっていた。
付き合った当時は、雫の想いの方が強かった。
けれど今は、本当に好きなのかどうかも、分からない。
日曜日、
雫は、念入りに化粧をしていた。
家の前に車が停まり、スマホが震える。
「着いたよ」
ハルトからのメッセージだった。
胸が弾けそうになり、雫は満面の笑顔で駆け寄った。
ハルトは、優しく微笑んでいた。
すっと通った鼻筋。綺麗な二重。
賢いのに、決して威張らない。
難しい話も、面白おかしく説明してくれる。
勉強の苦手な雫は、ハルトの前では、
ただ安心して、笑っていられた。
ハルトは、
まるで宝石のような人だった。
そこにいるだけで価値がある。
雫には、眩しすぎるほど、煌めいて見えた。
「……こんな人の側にいられるなんて」
それだけで、幸せだった。
でも同時に、ハルトが遠く感じられ、不安にもなった。
ハルトから告白された時、
雫は、拓也の存在を打ち明けることができなかった。
ハルトへの想いは、いつの間にか、拓也を完全に上書きしていた。
拓也が、雫の肩を抱き寄せ、キスを迫ってくる。
「今は、そんな気分じゃない」
雫は、拓也の手を払った。
「えっ?だって最近、全然してないじゃん」
拓也が食い下がる。
許しを乞う子犬のような目。
雫は根負けし、拓也に身を任せた。
ハルト、ごめんなさい。
胸が、ぎゅっと締め付けられた。
ドライブの帰り道。
雫は、ハルトの横顔を見つめながら、
二人の未来を思い描いていた。
ふと、ハルトが、学生時代の話を始めた。
バンドを組んでいたこと。
当時、好きだった人の話。
胸の奥で、嫉妬心が渦を巻いた。
けれど、張り合うことはできなかった。
拓也のことだけじゃない、
雫自身が、ハルトの彼女として相応しいのか
自信がなかった。
拓也は、いつも雫に合わせてくれた。
どんな無理も聞いてくれた。
ハルトにも、同じくらい愛してほしかった。
ある日、雫は拓也に呼び出された。
しばらく、会っていなかった。
「大事な話がある」
真剣な表情で、拓也が言う。
雫は、嫌な予感を抱きながら、ため息をついた。
「俺と結婚してほしい」
雫がずっと避けてきた言葉だった。
「ごめん……拓也。私、結婚できない」
拓也は、雫と会えない間、
二人で暮らすマンションの頭金を貯めていたと言った。
ハルトのことは、言えなかった。
「私のことは、忘れて。ほんとにごめん」
拓也は、結婚を承諾してもらえると信じていた。
状況を理解できず、泣き出す拓也。
ひたすら謝り、別れを告げる雫。
「悪いところがあったら、直すから。
だから、別れるなんて言わないで」
雫は、その想いが、痛かった。
だからこそ、流されてはいけないと思った。
「本当に、ごめん」
雫は、静かに去った。
ハルトにもう秘密はない。
それなのに、心から幸せだとは思えなかった。
いつか、綺麗な女性が現れて、
ハルトを奪っていく気がしてならない。
雫は、毎日、不安なままだった。
相変わらず、ハルトは優しい。
側にいられることが、雫の幸せだった。
だけど、ハルトは拓也のような愛し方はしない。
会いたい時に、いつでも会いに来てくれた拓也。
それに比べて、
ハルトと会えない時間が、あまりにも長く感じられた。
いつの間にか、
雫は、週末までのカウントダウンをするようになっていた。
「ハルトは、私のこと好きじゃないの?」
「……私は、ハルトとずっと一緒にいたいのに」
ハルトは、すぐには答えなかった。
「好きだよ。雫との時間は大事に思ってる」
「でも、仕事も仲間も、自分の生活も、俺には同じくらい大事なんだ」
「全部を、雫のためだけに使うことはできない」
ハルトは、自分を変えてくれなかった。
会いたい、会いたい、会いたい
こんなに苦しいのに、
どうして分かってくれないの?
「ハルト、別れよう」
ハルトは、一瞬、言葉を失った。
「……えっ?」
聞き返す声は低く、
すぐには、状況を飲み込めていないようだった。
「私は、ハルトといるのが辛い。
だから、もう別れて欲しい」
「……本気で言ってる?」
「本気だよ。
これ以上、苦しいのは嫌なの」
ハルトは、すぐには返事をしなかった。
少しだけ視線を逸らし、
何かを考えるように、黙り込む。
「……俺なりに、雫のことは大切に想ってた」
「好きだったよ。それは、本当だよ」
少し間があった。
「……雫が寂しがってるの、分かってたんだけど」
ハルトは視線を落とす。
「でも……それでも、俺は自分のペースを崩せなかった」
小さく息を吐いて、
「……もう、別れよう」
ハルトは寂しく頷いた。
もう、苦しまなくていい。
雫は、どこかホッとした。
翌日、
「私、彼氏と別れちゃいました〜」
と明るく振る舞う雫がいた。
これでいい。
これでもう、苦しまなくて済む。
何度も、自分に言い聞かせた。
シャワーを浴びながら、
無意識に数えていた。
「週末まで、あと……」
そこで、ふと気づく。
週末が来ても、
もう、ハルトには会えない。
……。
突然、涙が溢れ出した。
喉の奥が詰まり、息がうまく吸えなかった。
体が震え、
雫はその場にしゃがみ込んだ。
ハルトに会いたい。
今になって、分かることがある。
拓也のような愛し方ではなかったけれど、
ハルトは、雫を大切にしてくれていた。
一時間かけて、雫の家まで会いに来てくれたこと。
忙しい中でも、時間を作ってくれたこと。
思い出すたび、胸が、チクっと痛む。
作者ノート
好きなのに、苦しい。
大切に思いすぎて、
相手のそばで、自分を見失ってしまうことがあります。
「好きだったから別れた」
そういう選択もあると思います。
ホワイトベリルの宝石 白井琴理(しらい ことり) @shiraikotori
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