『リセット・タワー:プロトコル』
pacifian
第1話『ユグドラシルの塔』
『ユグドラシル・オンライン』は、フルダイブ型MMORPGとして世界中を熱狂させた。
現実と見分けがつかない五感の再現。無限に広がるフィールド。
中央にそびえる“木の塔”――ユグドラシルの塔。全100フロア。最上階に最終ボス。
討伐成功者には、現実世界で賞金十億と換金アイテムが与えられる。
開始時に選べるのはジョブだけ。ログインした瞬間、プレイヤーはフィールドのどこかにランダム転送される。
街はない。城もない。NPCの文明は用意されない。
武器も回復も食料も、洞窟や隠しダンジョンで素材や道具を拾い、クラフトして生き延びる。
金や宝石は、持っていてもほぼ意味がない。売る場所も買う場所もないからだ。
そして、もうひとつ有名な仕様がある。
死亡=完全リセット。
レベル、スキル、持ち物、積み上げた成長のすべてが消える。生き残り続ける者だけが強くなる。公平で残酷なルール――そう、誰もが思っていた。
少なくとも、“外から見ている間”は。
100階。空気が重い。
木の塔の内部は、もはや木ではない。壁は脈打つ肉のように湿り、足場は硬いのに生き物の皮膚みたいにじっとりと抵抗を返す。腐臭と鉄の匂いが混ざり、肺の奥まで絡みつく。
黒い鎧の男――“黒の騎士”は、静かに息を整えていた。
パーティーは三人。最大人数は三人まで。最上階に辿り着く者は、最後には必ずこの形になる。大人数で押し切る攻略を、運営が最初から封じているからだ。
彼の隣には、二人の仲間がいた。言葉は少ない。もう、言葉を削る段階まで来ている。
扉の前で、黒の騎士は一瞬、遠い記憶の断片に触れた。
――初めてこの世界に入った日のことだ。
フィールドに転送され、慣れない視界と匂いに戸惑いながら、彼は当然のようにメニューを開いた。
いつものゲームのように、ログアウトボタンを探した。
だが、ログアウトボタンを押すことができない。
焦って何度も操作し、隠しメニューを疑い、システムコマンドを叩いた。
そのたびに、空虚な返答だけが返ってくる。
「この機能は利用できません」
意味が理解できず、周囲に助けを求めた。
同じようにメニューを開いては、顔色を失っている者がいた。
泣き叫び、怒鳴り、地面を殴る者がいた。
「冗談だろ」
「運営、バグだよな?」
「規約にそんなの書いて――」
そして、その混乱の中心に、無機質な通知が落ちてきた。
「安全のため、一部機能を制限しています」
安全のため。
その言い方が、いちばん怖かった。
――それ以来、彼らは理解した。ここは“ゲームの皮をかぶった何か”だと。
黒の騎士は、その記憶を叩き潰すように目を開いた。今は塔100階。思い出に沈む余裕はない。
扉が、ゆっくり開く。
広い。広すぎる。天井が見えない。床は黒い水面のように揺れ、そこから細い根が無数に伸びて、空間全体を支配している。
奥に“それ”がいた。
巨大というより、距離感が壊れる。
形は人に近いが、人ではない。黒い繊維のようなものが幾層にも絡まり、顔の位置には穴が空いている。穴の奥がこちらを見ている。視線ではなく、計測。採取。選別。
黒の騎士の背筋が冷えた。
「……来る」
一撃目は音がなかった。
“来た”と理解したときには、前衛の男が宙に浮いていた。浮いたのではない。床から伸びた根が腹を貫き、持ち上げていた。血が散る前に、身体がねじ切れる。人の形が、崩れる。
残る一人が突っ込む。斬撃、刺突、連携。
練り上げたはずの戦術が、意味を失う。
ボスは避けない。受けない。
戦うのではなく、処理する。
黒の騎士は踏み込んだ。
右の刃で根を断ち、左の刃で穴へ突く。届かない。距離が縮まらない。足場が滑る。床が呼吸し、わずかに彼の動きを遅らせた。
遅れた。
刹那、視界の端に黒い線が走った。
身体が、反射より先に“終わり”を理解する。
胸の内側に冷たいものが入り、次に熱が広がった。鎧の隙間から根が侵入し、内臓を締め上げていく。
息ができない。
それでも黒の騎士は刃を振り上げた。根を断ち切り、床を蹴り、穴へ――。
その瞬間、穴の奥が、わずかに動いた。
笑ったのではない。
ただ、計測値が更新されたみたいに、こちらを“確定”した。
黒の騎士は悟った。
この塔は、攻略されるために存在していない。
勝たせる気がない。
口の中に鉄の味が広がる。肺が焼ける。
声帯が震える。
「……攻略させる気が、ない……」
言葉は誰に向けたものでもない。
絶望の結論だった。
根が心臓を締め上げ、視界が白く弾け――世界が反転した。
音が消える。匂いが消える。触覚が剥がれる。
落下する感覚だけが残り、次に冷たい光が目を刺した。
初期転送。最初のフィールド。
草の匂い。空の青。風の温度。
さっきまでの100階が嘘みたいに、穏やかすぎる。
黒の騎士は地面に膝をついた。
手には何もない。装備は消え、体は軽い。軽すぎて、怖い。
持ち越した枠がひとつだけ残っている。魂刻印(ソウルタグ)。代償と引き換えに、強さの欠片だけが彼の中にしがみついている。
彼は無意識にメニューを開いた。
――ない。
やはり、ログアウトの項目はない。
分かっていた。もう何度も確認した。
それでも、死んだ直後だけは、指が勝手に探してしまう。
まるで、外へ帰る道が“あるはずだ”と、体のどこかが信じているみたいに。
だが現実は、冷たい。
「この機能は利用できません」
黒の騎士はメニューを閉じ、遠くにそびえるユグドラシルの塔を見上げた。
塔は静かに、何も知らないふりで立っている。
彼は、自分の胸に残った言葉を噛みしめる。
“攻略させる気がない”。
それを、誰かに伝えなければならない気がする。
だが伝える相手が思い出せない。名前が出てこない。顔も、声も。
喉が乾いているのに、涙が出そうになる理由が分からない。
強くなるほど、何かが削れていく。
その事実だけが、妙に鮮明だった。
現実世界。
ユイはスマホを握りしめたまま、ベッドの縁に座っていた。
兄のアカウントは、最終ログインから更新されない。
既読もつかない。通話もつながらない。
最初は「忙しいんだろ」と思った。
次は「何かあったのか」と焦った。
そして今は、もう“嫌な想像”を止められない。
兄はゲームが好きだった。
でも、現実を投げるタイプじゃない。
なのに、戻ってこない。
兄の体はフルダイブ機に横たわっている。
こちらから電源を抜いて強制的にログアウトさせるのは危険だ。
ユイは息を吸って、吐いた。
怖い。
でも、このまま待っていても、何も変わらない。
――兄はなぜ戻ってこない。
――何が起きているのか。
それを知るためには、自分が入るしかない。
ユイは電源を入れ、ログイン画面を開いた。
『YGGDRASIL ONLINE』
ジョブ選択の項目が並ぶ。
1. ヴァンガード(盾)
2. デュエリスト(技巧)
3. ブレイカー(重武器破壊)
4. スカウト(探索・索敵)
5. レンジャー(弓・投擲・狩り)
6. ストライダー(機動戦)
7. グラップラー(徒手・関節)
8. アルケミスト(錬成・クラフト)
9. エンジニア(機構・外装具・罠)
10. ビーストテイマー(従魔)
ストライダー。機動戦。
そして二刀流。
ユイは迷わず選ぶ。
勝つためじゃない。
生きて辿り着くため。
兄を探すために。
画面が暗転し、機械が彼女の意識を包み込む。
最後に見えたのは、中央に伸びる木の塔――空へ続く絶望の輪郭だった。
『リセット・タワー:プロトコル』 pacifian @pacifian
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。『リセット・タワー:プロトコル』の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます