夢中
秋都 鮭丸
第1話
せっかくの観覧車だというのに、辺りは霧で満ちていた。
「なんにも見えないねぇ」
君の言葉に、私は気を落とす。今日の計画は、白紙に戻した方がいいだろうか。
そんな逡巡を知ってか知らずか、君は怪しく笑って言う。
「でも逆に、神秘的かも。世界に二人だけみたい」
私の心臓が跳ねる。
確かに、私達は今、互いしか見えていない。狭い観覧車の中で、対面に座り、窓は霧。君の瞳は爛々と輝き、私の鼓動は早鐘を打つ。衣擦れの音にすら、気を遣うほどに近く、身を乗り出して手を伸ばさなければ、届かないほどに遠い。
当初の計画はこうだ。観覧車から夜景を眺め、なんだかいい雰囲気になり、頂上の付近で交際を申し込む。君が頷きさえすれば、後は多くを語るまい。観覧車から降りる二人が、恋人同士となるだけだ。
そして今、霧で夜景こそ見えないが、「観覧車でいい雰囲気になる」は達成しているのではないか? 後は私が、一押しするだけなのではないか? 計画の頂点が、今まさに迫っているのではないか?
音にならない声が、喉から漏れる。沈黙が空間を埋める。破られるのを待つように、期待の眼差しが微笑する。
されど心は言葉にならず、吐いた息すら空をかく。まるで頭の中にまで、霧が入ってきたように、白く、白く染まってしまう。
じりりりりりん。
がちゃん。
観覧車の扉が開く。霧の向こうに立つのは、この遊園地のスタッフだ。
「ほら、行こう?」
そんなまさか。もう終わってしまったというのか。私が、それだけの時間、ただただ黙りこくっていただけというのか。
先に降りた君が、霧の向こうに消えていく。
あぁ、待って。待ってくれ。
せめてもう一周、もう一周だけさせてくれないか。
私は、霧の先に手を伸ばす。視界、足元、頭の中、全てが白く包まれる。
もう一周。もう一周——
せっかくの観覧車だというのに、辺りは霧で満ちていた。
「なんにも見えないねぇ」
君の言葉を、私は聞いたことがある気がした。なぜだろう、この景色を、前にも見たことがある気がする。
そんな逡巡を知ってか知らずか、君は怪しく笑って言う。
「でも逆に、神秘的かも。世界に二人だけみたい」
私の心臓が跳ねる。
確かに、私達は今、互いしか見えていない。狭い観覧車の中で、対面に座り、窓は霧。君の瞳は爛々と輝き、私の鼓動は早鐘を打つ。衣擦れの音にすら、気を遣うほどに近く、身を乗り出して手を伸ばさなければ、届かないほどに遠い。
霧で夜景こそ見えないが、観覧車の中で二人きり。いい雰囲気になっている気がする。後は私が、一押しするだけなのではないか? そうだ、そういえばそんな計画だったはずだ。観覧車の中で、君に交際を申し込む。今がその時ではないか。
音にならない声が、喉から漏れる。沈黙が空間を埋める。破られるのを待つように、期待の眼差しが微笑する。
上手い言葉が出てこない。何から話せばいいのだろうか。頭の中まで霧がかかり、思考がうまく回らない。
そんな私を見かねてか、君は頬杖をついたまま、唇だけを動かして言う。
「私は、待っているからね」
じりりりりりん。
がちゃん。
観覧車の扉が開く。霧の向こうに立つのは、この遊園地のスタッフだ。
そんなまさか。もう終わってしまったというのか。君が痺れを切らすほど、私はただ、何も言えずに黙りこくっていたというのか。
先に降りた君が、霧の向こうに消えていく。
あぁ、待って。待ってくれ。
もう一周させてくれ。次は絶対、うまくやるから。
私は、霧の先に手を伸ばす。視界、足元、頭の中、全てが白く包まれる。
もう一周。もう一周——
せっかくの観覧車だというのに、辺りは霧で満ちていた。
「なんにも見えないねぇ」
君の言葉を、私は知っていた。私は、この状況を知っている。何度も見て、何度も願った。何も言えずに一周が終わり、もう一周、と願い続けた。
何度この場面に至っても、私の霧のかかかった頭はまだ、君への言葉を見つけられずにいる。
そんな逡巡を知ってか知らずか、君は怪しく笑って言う。
「でも逆に、神秘的かも。世界に二人だけみたい」
私の心臓が跳ねる。
私達は今、互いしか見えていない。狭い観覧車の中で、対面に座り、窓は霧。君の瞳は爛々と輝き、私の鼓動は早鐘を打つ。衣擦れの音にすら、気を遣うほどに近く、身を乗り出して手を伸ばさなければ、届かないほどに遠い。
そうだ。身を乗り出して、手を伸ばさなければ、君には届かない。
音にならない声が、喉から漏れる。沈黙が空間を埋める。破られるのを待つように、期待の眼差しが微笑する。
相変わらず、霧のかかる頭。
言葉はきっと、いくら探しても見つからない。
それは、多分、頭の中にはないから。
「好きです」
私の言葉が、沈黙を破る。
今までの硬直が嘘のように、私の身体に血が巡る。
頭の霧が晴れていく。
心が次の言葉を続ける。
「付き合ってください」
そう言って、私は君を見た。
君は少し、目を丸くする。
そして大きく息を吸う。
吸った息を少し吐き、わずかに口角が上がる。
それから——
じりりりりりん。
がちゃん。
観覧車の扉が開く。霧の向こうに立つのは、この遊園地のスタッフだ。
そんな。今、こんなタイミングじゃなくたっていいじゃないか。
あと少し。ほんの数秒、待ってくれるだけでよかったのに。
余韻も残さず、君は霧の向こうへと降りていく。私に振り向き、半分霧のかかった姿のまま、笑って言った。
「ちょっと、夢見すぎなんじゃない?」
そのまま、霧の向こうへと消えていく君。
え、
それは、つまり、私は、今のは、えっと、振られ、いや、そんな、
頭の中が、視界が、そしてそう、夢見た未来が、霧に白くぼかされる。
あぁ、待って。待ってくれ。
もう一周。もう一周——
じりりりりりん。
じりりりりりん。
じりりりりりん。
がちゃん。
眩しい。カーテンの隙間から差し込むのは、これは朝日か。
身体にかかった毛布を払い、私は目をこする。ぼやけた目で見る視界には、今ではすっかり年代物の目覚まし時計。無意識の内に止めたそれは、スヌーズ機能へのカウントダウンを始めていた。
あぁ、そうか。夢か。
先ほど見た、霧に消える君の背中は、夢だったのか。
そうだそうだ、良かった良かった。私はまだ、君に振られていなかった。
観覧車の計画は、今日行く遊園地での話で——
——今日行く遊園地?
目覚まし時計を掴む。それが示す時刻は、私の想定より、はるかに進んでいた。
「嘘だろ! まずいっ」
私は掴んだそれを放り投げ、そのままベッドを飛び出した。
急げ、急げ、ただ急げ。急げばギリギリ間に合うかも。
スヌーズ機能で何度も鳴っていた目覚まし時計を、どうやら私は無意識の内に止めていたらしい。人の無意識は恐ろしいものだ。それもこれも、昨日の夜、迫る緊張で目が冴えて、なかなか寝付けなかったせいだ。あぁ、なんと愚かだろうか。よりにもよって今日なんて。これではさっきのあの夢が、正夢になってしまうじゃないか。
超特急の支度の中、夢の中の、君のセリフを反芻する。
「ほら、行こう?」
「私は、待っているからね」
「ちょっと、夢見すぎなんじゃない?」
夢中 秋都 鮭丸 @sakemaru
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