第6話



神谷くんの2年目の甲子園が終わって数週間。世間では神谷くんフィーバーが止まらない。わが家ももちろん例外ではなく、父と弟は神谷くんの好プレー集なんかを見ながら熱く語り合っていた。



そういう私は一度も神谷くんに連絡できていなかった。私なんかが連絡してもきっと迷惑だろうから。それでもたまに、神谷くんから連絡が来てないかな、とスマホを触る癖は治らなかった。



自室に籠ってテスト勉強をしていると、不意にスマホが震える。また友達かな、あそこがわからないって聞いてきたのかも……と軽い気持ちでスマホをひっくり返すと、そこに浮かんだ文字に私がひっくり返った。



動揺する指をなんとか動かし、画面をスライドさせる。「も、もしもし」と自分の口から発せられた声はすごく震えていて不格好だった。



「出た!」



………何が?



え、何、誰?スマホを落としそうになる。画面に映っている文字は確かに「神谷くん」なのに、聞こえてきた声は神谷くんではなかった。本物の神谷くんの声なんてもう半年聞いてないけれど、この声が彼じゃないというのはさすがにわかる。




え、何、スマホ乗っ取り?



物騒なことを考えていると、「テメエふざけんな!」と本物の神谷くんらしき声が聞こえてきた。




「あっもしもーし、ナカハラさん?」


「え……はい……」


「俺はー、神谷クンのチームメイトのー西野でーす!」


「……えっ、ショートの西野……?」




思わずつぶやいてしまった。神谷くんのチームメイトの西野といえば俊足ショートだ。盗塁率No.1の。神谷くんの高校の試合は、録画してもう何度も何度も見ているので名前と顔が一致する。




「え!?俺のこと知ってる!?」


「えっ、はい……」


「えーありがとう!神谷ー!オマエの好きな子俺のこと知ってるってー!!」


「テメエ西野!!」


「ナカハラさんあのさー神谷が連絡くれなくてさみしいって!去年はすぐLINEくれたのにって」


「西野!!」




ゴンと大きな音がした。何、何だ……?なにが起こってる?頭に浮かぶのは?ばかりだ。




数秒後ドタドタといろんな音がしたかと思うと、やがてしんと静まりかえった。そこで「中原?」と低い声が響いて、誰が見ているわけでもないのに私の背筋はピンと伸びる。




「か、神谷くん?」


「うん。悪い、さっきの俺のチームメイト」


「ショートの西野……くんだよね」


「……なんで西野ってだけでわかんの」


「え、だって神谷くんの高校の選手はたぶんみんなわかるよ、私。テレビでやってるやつは全部見てるし……」




言ってから私気持ち悪すぎると思って冷や汗をかく。ただの元クラスメイトの女子に全試合監視されるとか普通に怖い。焦るとなんでも喋ってしまう私の口を縫い付けたい。



だけど神谷くんは「ははっ」と電話越しでもわかるくらい笑顔になった。




「相変わらずの野球オタク?」


「お、オタクって……いや、そうなのかなあ……そうかも。今もお父さんと弟が神谷くんの好プレー集見てるよ、自作のやつ」


「まじかよ恥ずいわ」


「大活躍だったね、甲子園」




何気なくそう言うと神谷くんが一瞬静かになる。「神谷くん?」と遠慮しながら呼ぶと、神谷くんは小さな声で言った。




「お前さ、今年も見に来た?」




行ったよ、と即答できなかったのは、さっきの西野くんの言葉が蘇ったから。「神谷が連絡くれなくてさみしいって!去年はすぐLINEくれたのにって」



……さみしがってた?神谷くんが?私から連絡がなくて?




私の記憶の中の神谷くんはいつも堂々としている。自信満々に立っている。そんな神谷くんがこんな不安そうな声を出すだなんて信じられなかった。




「来てねえの?」


「いっ、行ったよ!全部!お父さんと弟と……!」




焦ってそう返すと、神谷くんが息を吐いたのがわかった。「そっか」と安堵するようなその温度に、私の胸はぎゅっと締め付けられる。




待っててくれたんだ。私なんかの連絡を。






「見てたよ、ちゃんと」





もう一度、丁寧にそう言う。

神谷くんが小さく笑う。





「ならいいけどさ」


「……ごめんね」


「謝ることないだろ」




ごめんね。心の中でもう一度謝る。連絡一つでこんなに安心してくれるなら、もっと早く、何かひと言でも送っておけばよかった。




「あのさ」 


「うん、何?」


「……来年も来てほしい」





神谷くんの声は小さく震えている。私が神谷くんと話すときいつも小さくなっちゃうみたいに、神谷くんももしかしたら、ほんの少し緊張しているのかもしれない。そう気づいたとき、ずっとずっと遠くにいるはずの神谷くんが、元は私と同じ教室にいたということが、夢でもなんでもない事実だとわかる。





「うん。行く。約束」


 

そう言い切る。すると電話の向こうから「神谷ー!」と神谷くんを呼ぶ男の子たちの声がした。野球部員だろうか。そうか、寮生活だもんな。朝も夜も一緒なんだ。




「じゃあな」


「うん、またね」




通話を切る。トーク画面の一番下には神谷くんとの通話履歴が確かに残っていた。




もしかしたら、私が思っているよりもずっと近くに神谷くんはいるのかもしれない。甲子園常連校のエースピッチャーである前に、彼は私と同級生の男の子なんだ。

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