うたう

水科若葉

うたう

 地球のサービスが終了してから、十年と少しが経過した。

 その日もいつもと同じように、無意味な起床を果たした私は、軽く肩を回してからベッドを降りた。食事の不要な肉体にも慣れたもので、私は朝食やら着替えやらの雑務も疎かに、パソコンの電源を点灯させ、昨夜書きさした詩を完成させる作業へと取り掛かった。

 二時間ほどで駄文を書き上げ、ふと、窓の外を見る。かつては家賃の安さと引き換えに騒音が鳴り響いていたその場所には、現在はただ静寂だけが虚しく降り積もっていた。

 空っぽの町で、私は詩を綴り続けている。

 それを孤独だと思う感情も、とっくの昔になくなっていた。


 ある秋の午後、唐突に全人類の、或いは全生命体の脳内へ、時間にして一時間程度のアナウンスが放送された。アナウンスは『今後は一切のアップデートが行われなくなります』とか『長らくのご愛顧、誠にありがとうございました』とか、要するに私たちの人生が茶番であった旨を滔々と説明し、最後に二つの選択肢を提示した。

 このまま『ゲーム』を続けるか、終了するか。

 後者を選んだ場合、意識がこの世界から切り離され、次の『ゲーム』が開始するまでの休眠状態となるようだ。前者を選んだ場合であってもその結末は変わらないが、個々人に割り振られたリソースを使い果たすまでは『ゲーム』を続けられる、とのこと。

 思考実験めいた二者択一だけれど、正体不明の存在から処理出来ない情報をとめどなく、強制的に流し込まれ続けた極限下の人々に、冷静に選択を吟味する余裕なんて存在しなかった。大多数は狂気に呑まれたままゲームオーバーを選択し、それ以前に、アナウンス中に発狂の末、自死を選んだ人も一定数居たようだ。

 そのような状況の中で、敢えて『人生』などという茶番を演じ続けること選んだような人間は、よっぽど意思の強い人格の持ち主か、はたまた私のような、パニック下でさえ死を選べなかった小心者かのどちらかだ。意味も無く生き延びてしまった私は、大学生の身分を消失し、以来、かつてから行っていた詩作活動に注力し続けている。

 私たちが生きるこの世界では、文字通り光の速さでアップデートが行われ続けていたようだ。管理が行われなくなった現在では、世界から進行という概念が消失し、万物は不変の存在へ変貌した。動いているものは動き続けて、壊れたものは直らない。肉体も精神も技術すらも、二度と変質することは無い。人類が歳月を掛けて解明したあらゆる物理法則は、その全てが無価値なものとなった。

 尽きぬ紅葉とからっ風。季節とは過ぎ去るからこそ美しいのだと、身をもって思い知らされた。

 生涯上達しないことが決定付けられた詩を綴っては、閲覧者なんて居るはずも無いインターネットに投稿する作業を、リソースの尽きるその瞬間まで繰り返す日々。時々、どうして自分はこんな無意味なことを続けているのだろう、なんて思考が脳裏を掠める。

或いは、私はそれを知るために書き続けているのかもしれない。そう考えながら、私はまた詩を綴った。


窓の外から雑音が聞こえるようになったのは、十一年目の、本来ならば『春』と形容されるべき季節を迎えてからのことだった。

歌声を聞き流して詩を綴りながら、そういえば、と、近所にライブ会場があったことを思い出す。どうやら私と同じように生き残った誰かが、勝手に会場を利用してアイドルでも気取っているようだった。迷惑と言えば迷惑だけれど、それで下がるほどの生活の質も詩のクオリティも持ち合わせてはいなかった私は、騒音という概念の存在に懐かしさを感じながら、いつも通り駄文を書き上げた。

来る日も来る日も、雑音は毎日響き続けた。恐らく女性のものであるその歌声に、いつの間にかすっかり慣れてしまった私は、窓の外からでは会場が見えないことを残念に思った。と言っても、わざわざ野次馬根性を発揮して外出するほどの気力は無いのだけれど。

もしかしたらその人は、本気でアイドル活動を行っているのかもしれない。そう考えると、技術が永遠に上達しなくなったこの世界で活動を続けている、という点で勝手に親近感が沸いてしまう。

そうして愛着を感じ始めた影響だろうか。いつしか、頭の中でも雑音が聞こえるようになった。外と内、二つの雑音は重なって、不器用な、けれど心地良い調和を届けてくれる。ライブ中にのみ現れるその雑音に、心なしか普段より調子が良くなった気がして詩を綴ってみると、やっぱり変わらず駄文が出来上がり、私は一人苦笑する。

私は確かに、その雑音に助けられていた。だからこそ、歌声が一年程度で響き止んでしまったとき、私はひどく寂しさを覚えた。静かな昼を迎えたその日は、やけに無音が騒がしかった。


 詩作活動を始めたのは、『私にはそれしかない』という思いからだった。

 勉強も運動も、人付き合いだって嫌いでは無かったけれど、私が一つをこなす度に、周囲はその何倍も先へ進んでしまうから、私の手には何も残らず、ただ劣等感だけが募っていった。自分が何者にも成れない未来に怯え、私はその恐怖から逃げ出すために、自分が唯一、心の底から好きだと言えた詩の世界に引きこもった。だから多分、その瞬間から私にとって詩は趣味から、ただの言い訳に成り下がったのだと思う。

 そうして、私はアカウントを作成し、インターネットへ詩を投稿するようになった。もしかしたらここでは認めてもらえるかもしれない、なんて幻想はすぐ打ち破られ、やがて、何を綴りたいかでは無く、どうすれば受けがいいかを考えるようになった。

 作者にとっては唯一無二でも、世間からすれば有象無象。書店へ行けば一定の質が保証された作品がごろごろと転がっている中で、傲慢にも無名の作品を投稿し、読んで貰おうとするのならば、圧倒的な才能か世間への媚売りのどちらかが必要だった。私は段々と、愛だの恋だのといったキャッチーな題材ばかりを扱うようになり、ほんの少しずつではあるけれど、ファンと呼べる人々を獲得していった。

 ある日、伸び悩んだ私は思い切って普段とは異なる、自分の全てをぶつけた詩を投稿した。けれど、返って来た感想は『もっとあなたらしい詩を投稿して欲しい』という冷たい一言だった。翌日から元通り租製乱造の詩を投稿すると、ファンは喜んでくれた。

 きっと、それで良いのだと思った。

 このまま何も成せずに溺れ死ぬよりは、娯楽として消費された方がずっと良い、と。

 脳内にアナウンスが流れたのは、適当な大学へ進学し、案の定人生に窮していたときのことだった。アカウントはどれだけ続けようと仕事に出来るほどには伸びそうも無く、故に、目前に吊り下げられた人生終了ボタンは私にとって、渡りに船のはずだった。

 どうして私は、詩を綴り続けているのだろう。

改めて、そう疑問に思う。無価値になる恐怖に震える理由も、少数ながらも詩を読んでくれていた読者も消え去った世界で、何故。

 かつて同じように思い悩み、自己尊厳を対価に棄て去ったはずのごちゃごちゃした感情が、今日は不思議と脳から離れてくれない。下らない思考を吹き飛ばしてくれるような雑音を、私は恋しく思った。


 雑音が消え去ってから二ヶ月ほどが過ぎ去ったその日、いつもと同じように『人間らしさ』を感じるためだけの睡眠を終え、パソコンを立ち上げた私は、投稿サイトの通知欄が点灯していることに気付いた。少なくとも十年振りの事態に、私は少し混乱しながら、その通知を表示させる。

『毎日楽しく拝読しています。突然なのですが、この場で情報交換をさせて頂くことは可能でしょうか?』

 昨夜投稿した詩のコメント欄に記載されたその文章へ、戸惑いながらも了承の意を返信する。後になって、コメント欄でこのような会話を行うことは他者の迷惑になるかもしれないと考えたが、迷惑を被るような人間は既に存在しないことを思い出した。恐らく、相手も自らの行為を咎める存在が居ないことを理解した上で送信して来たのだと思う。それにしたって、肝の据わった行為だとは思うけれど。

 それから私たちは、老いることの無い身体や物理法則を無視した不思議な現象など、知識の擦り合わせを主とした情報交換を行っていった。画面越しとはいえ、私にとっては随分と久しい他者との会話だった。

 幾つか、新しい情報も得られた。どうやら、割り振られたリソースには個人差があり、早い人は一年ほどで亡くなってしまうようだ。また、死には兆候があり、全身の鈍痛と意識が薄れていくような感覚を覚えたら危険信号なのだとか。

どうしてそこまで正確な情報を知っているのか、と何気無く質問すると、相手は回答の代わりに、一つの事実を告白した。

『私は現在、アイドル活動を行っています』

 その言葉に、私はどきりとする。けれど、相手があの歌声と同一人物であることを確認する度胸は無く、私は相手に話を合わせる。会話の中で、相手は自身に人気が無いことや、活動の中で私の詩が大きな心の支えになったことなどを吐露した。

『先生がずっと書き続けて下さったお陰で、私も頑張ろうって思えました。詩の一つ一つから、勇気を貰うことが出来ました』

 脈絡の無い告白の連続に、私は返信の手が止まる。不思議と泣きたくなるような感情に駆られた私を置いて、スクリーンは最後の文章を表示させた。

『これからもずっと応援しています。今まで、本当にありがとうございました』

 その言葉によって会話は途絶え、直後、聞き馴染んだ歌声が耳を貫いた。狙い澄ましたかのようなタイミングに、全身が興奮によって総毛立つ。

 相手は、一度も『面白い』とも『感動した』とも言ってはくれなかったけれど、それでも確かに、私は探し続けていた答えを得ることが出来たのだと思う。

 私は瞼を閉じ、静かに歌声へと聞き入る。

 相変わらず調子外れなその音に、涙が零れ落ちた。




『カゼの季節』

人生にはいつつの季節がある

ハル ナツ アキ フユ カゼ

ぼくはいつも カゼの季節だ

ふだんは喧騒にかくれているけれど

ふとしたときに カゼは囁く

ねえ きみはどこから来たの?

ねえ きみはどこへ行くの?

身軽なカゼはぼくを見て ふしぎそうに首を傾げる

ねえ その荷物っておもくないの?

ねえ それ わたしが持って行ってあげようか?

ぼくが答えにこまっていると

カゼは いつの間にかいなくなっていた

そうして ぼくはまたカゼをわすれて

カゼは 次のぼくに同じ質問をする

さいごにカゼは どこへ行き着くのだろう

きみも カゼの終わりに行ったのかな

ぼくもいつか そこに行きたいと思った

かかえた荷物の宛先を いつか知るために




 詩を書き上げた私は、サイトへ投稿することなく、プリンターへとデータを送信する。印刷されたそれを胸ポケットに入れ、数年振りに玄関扉から外へ出た。  

かつての記憶を頼りに、ライブ会場へと向かう。やがて辿り着いたそこには既に誰も居らず、代わりにマイクが一つだけ、ぽつんと置かれていた。その光景に満足した私は踵を返し、鼻歌交じりに帰路を歩いた。

 結局のところ、私はただ許せなかったのだと思う。

 成功して失敗して、そうして愚かしくも毅然と積み上げられた私たちの歴史は、誰かの意思一つで消し去ってしまえるほどに儚く脆弱なものだった。その事実を突きつけられたときに感じた怒りと悔しさが、私を十年以上にわたって突き動かしてきた。

 せめて、最期まで詩人であろうと。どれだけ拙く不細工なものであっても、バトンを渡された一人として足跡を残し続けようと、私は無意味を重ね続ける。

 青い空と白い雲。足取りは軽やかに、空っぽの町が、下手くそな鼻歌で満たされていく。

 雑音は今も鳴り響いている。

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うたう 水科若葉 @mizushina

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