君の運命の人ではない僕が、君の結婚式を撮り終えるまで

比絽斗

第1話 偽りのプロローグ、あるいは一人芝居の幕開け(前編)

 使い古された映画のフィルムのように、僕たちの関係には常に、目に見えないノイズが走っていた。


 午前三時、調布にある編集スタジオの空気は、埃と電子機器の排熱、そして数日前の誰かが残した安コーヒーの残香が混じり合い、ひどくよどんでいる。


 モニターの中で、ヒロインが雨に打たれながら愛を叫んでいる。僕はそのカットを三フレームだけ短く削り、タイムラインに並べ直した。


「……みなとさん、まだやるんですか」


 隣で仮眠を取っていた後輩の助監督が、充血した目で僕を盗み見る。


「あと一カット。ここを削らないと、彼女のが死ぬ」


 僕は画面から目を逸らさずに答えた。


 論理だ。物語には常に、冷徹なまでのロジックが必要だ。なぜこのタイミングで泣くのか。なぜこの一歩が踏み出せないのか。観客を納得させるための「理由」を積み重ねること。それが、僕がこの数年間、映画という虚構の世界で叩き込まれてきた唯一の真理だった。


 しかし、自分の人生という名の脚本スクリプトを読み返してみると、そこには整合性など微塵も存在しなかった。


 不意に、デスクに置いたスマートフォンのバイブレーションが、金属製の机を震わせた。

 反射的に画面を伏せようとしたが、通知欄に表示されたその名を見て、指が止まる。


紗季さき:起きてる? 大事な話があるんだけど』


 心臓が、映画のBGMのような不穏な低音を刻み始める。


 大事な話。


 その言葉が持つ質量を、僕は二十代の後半になってようやく理解し始めていた。それは、なぎいでいた日常の海面に落とされる巨大ないかりだ。一度落とされれば、もう二度と、元の穏やかな波には戻れない。


 僕は編集機をスリープさせ、後輩に「先にあがれ」と告げてスタジオを出た。  廊下の非常灯が、不自然なほどに青白い。  


 紗季と僕は、大学時代の映画サークルで出会った。  彼女はカメラの前に立つことを好み、僕はその後ろでレンズ越しに彼女を見ることを選んだ。


「ねえ、湊。私を世界で一番綺麗に撮ってよ」


 新歓の夜、安いビールの匂いが充満する居酒屋で、彼女はそう言って笑った。その時の彼女の瞳に、僕という人間がどう映っていたのか、今でも分からない。


 ただ、僕はその日から今日まで、彼女の要望通りに動き、彼女が輝くための照明を当て続け、彼女の隣という特等席でを演じ続けてきた。


 スタジオの外に出ると、明け方の冷気が肺を刺した。  近くのコンビニのベンチに、彼女は座っていた。六月の湿った夜を吸い込んだような、薄手のトレンチコートをまとって。


「……こんな時間に呼び出してごめん」

 紗季は、僕が持ってきた温かいお茶のペットボトルを両手で包み込んだ。


「いいよ。どうせ編集が詰まってたし。で、大事な話って?」

 僕は、自分の声が努めて冷静であることに安堵した。プロの映画屋えいがやとして、僕は感情を殺す技術だけは人一倍磨いてきたつもりだ。


 紗季は視線を地面に落とした。アスファルトの隙間から、名もなき雑草が不格好に伸びている。


「私、結婚する。……高瀬さんと」


 ラブストーリーの結末として、それはあまりに「予想通り」だった。


 高瀬英一。


 紗季が勤める商社の先輩で、爽やかな外見と、揺るぎない自信に満ちた男。何度か三人で飲んだこともある。彼は、僕がレンズ越しにしか見ることのできない紗季の素顔を、真正面から見つめ、その手を取る強さを持っていた。



「……そっか。おめでとう」


 僕の口から出たのは、感情の乗っていないアイラブユーよりも酷い、感情のない祝福だった。


「驚かないんだね」

「なんとなく、そろそろかと思ってた。あいつ、いい奴だしな」


 嘘だ。


 あいつがいい奴かどうかなんて、僕には関係ない。ただ、彼が紗季という物語のの座を勝ち取り、僕が永久に脇役……いや、クレジットにも載らないエキストラに固定されたという事実だけが、冷たく僕の胸に横たわっていた。



 君とのラブストーリー。



 それは始まった瞬間から、僕一人が勝手に役作りをして、勝手にセリフを練習していた「ひとり芝居」だったのだ。


 紗季は、僕が用意した舞台で踊っていただけで、その舞台が崩れれば、迷わず次の、もっと安全で豪華な劇場へと移っていく。



「それでね、湊にお願いがあるの」


 紗季が顔を上げた。その瞳には、親友に対する純粋な信頼だけが宿っている。それが一番、僕を傷つける。



「式のこと、いろいろ手伝ってほしくて。特に映像。湊に作ってもらえたら、私、本当に幸せだと思うから」


 心の中で、何かが音を立てて砕け散った。  自分の愛した女が、別の男と結ばれる瞬間を、最高の画角アングルで切り取り、編集しろというのか。


 それこそ、悪趣味なブラックジョークだ。


 しかし、僕は笑った。


 頬の筋肉が強張り、引きるのを感じながら、完璧な「親友のふり」をして見せた。



「いいよ。最高のやつ、作ってやるよ」


 そう答えた瞬間、頭の中で「グッバイ」という言葉が反響した。  繋いだ手の向こう側に、エンドラインが引かれた音がした。


【to the next】

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2026年1月17日 19:00
2026年1月18日 19:00

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